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海の向こうで


SUPERHAPPYFOREVER

いい映画というのは、人生のある一部分を切り取って、それを一つの旋律で美しく唄い上げるようなものだと思う。

五十嵐耕平監督による"SUPER HAPPY FOREVER"は間違いなくそうした映画のひとつだ。

この映画は1人の男の喪失を描いている。喪失と再生ではない。画面の中にあるのは純然たる喪失であり、その喪失の裏側で同じだけの真剣さの調べで奏でられているのは、かつて一度は存在した美しい景色。その景色が存在したという事実を永遠に肯定する人間の態度だ。なにかを失った人間に対する作り手の優しく温かい眼差しが滲む。簡単に達成されるものではない喪失からの"再生"を容易く取り扱わないことで、悲しみを正面から悲しむ人の姿に寄り添っている。そして過去はここに今なくとも、かつてそこに確かにあった、ということをささやかながら力強く肯定している。そのためのあまりにも過不足のない90分間だった。



赤い帽子と悲しみを悲しむということ

物語は1人の男がかつて恋人がなくした赤い帽子を探すところから始まる。
赤い帽子を被った子どもを連れた見知らぬ家族に声をかけたり、5年前の正確な日付とともにホテルのデスクに落とし物の問い合わせをしたり、空き家となった飲食店の中に赤い布地のものをみつけてわざわざ確かめるために侵入したり、このなくしものへの執着というか、それを見つけるための必死さは切実なものがある。
物語がすすむにつれてこの佐野という名の男の探している赤い帽子は、この奇妙な宝探しに付き合ってくれる寛大な友人の宮田とその周囲の人たちとの会話の中から最近亡くなった佐野の奥さん(凪)がかつて無くしてしまったものであることが明かされる。

帽子を探すことは亡くなった凪を探すことそのものであり、
凪が世界に存在したことを示す証を求めることでもあり、
凪とこの世界の関係を帽子を通じて永遠に保存したいという欲求の現れであり、
帽子を無くしたことを受け入れることによって凪を亡くしたことを受け入れていく工程そのものでもある。

この工程に付き添ってくれる宮田は、その祈りにも似た執着を理解することができない。誰かにとって本当に大切なものは友人であってもわからないことだってある。大切な人を亡くして、それでも世界と対峙しようともがく佐野の姿は宮田からすれば逃げているように映るかもしれない。
でも、宇宙からのメッセージを受信すればすべてがいい方に向かうなんて安直な救済に飛び付かずに、泥臭く現実を悲しむことに人間の存在の尊さがあるのではないか。
それでも、この映画のカメラは救急の看護師としてたくさんの死を経験し、自分の力なさにふがいなさを幾度となく感じてきたであろう宮田がこうした安直な救いに逃げてしまうことを裁かない。宮田の同志たちにもあくまで中立な視線を注ぐ。それもまた人間の弱さであり、ありのままの人間の姿なのだと。

佐野の世界との戦い方と、宮田のそれは違う。
悲しみの受け入れ方の違いが佐野の狂人ぷりとして発揮され宮田はイラつく。酔ってタクシーの運転手と揉めて、下車すれば嘔吐し、タバコを買いに行かせたかと思えば、そのタバコを投げつけられる。こんな振る舞いをされたら、確かにどんな友人であれ、堪忍できないだろう。
ただ、それくらい佐野は深く傷つき、それをうまく表現できない男性的な弱さを抱えているだけなのだ。
宮田は佐野にお前もセミナーに来いよと誘う。
たぶん宮田の方が佐野よりほんの少しだけ弱い。
宮田が救われた方法で佐野が救われることはない。
こうして2人の仲は決裂する。
人生の中で大きな事態に直面した時、周囲の深い繋がりを持つ人たちと、その事態に対するリアクションを共有できずに仲違いしてしまう。
これも人が何度も繰り返してきている悲劇の一つだ。監督の鋭い観察眼が覗く。

佐野は最後にもう一度、うまく表現できない自分の気持ちを宮田に伝えようともがく。宮田が大層大切にしている例のスピリチュアルな指輪を隠してしまうのだ。焦った様子で指輪を探す宮田に「指輪知らない?」と聞かれ、「すてた」と答える佐野。驚きと怒りと呆れの表情を浮かべた宮田は、いくつかの言葉を探したが適切な言葉が見つからず、結局無言で佐野の元を去る。「また連絡するよ」とふざけてみせた佐野が本当に指輪を捨てたのか、どこかに隠して宮田をはかっているだけなのかは不明だが、きっと宮田が指輪を探す真剣さでおれはあの帽子を探しているんだ、おれに取って無くしたものはそれくらい大切なものなんだ、ということを宮田にわかって欲しくて起こした行動だったのではないだろうか。



海の向こうで

人は無くした大切な人を思い浮かべるとき、海の向こうに想いを馳せる。
そこが彼らにとっての居場所だというように。
海はたくさんの命を運び、そして奪っていく象徴だ。
でも同時に亡くなった人たちの居場所でもある。
あの帽子をずっと大切に持っていたアンは海に向かって歌う。
彼女にとって海の向こうには祖国があって、海の向こうは大切な家族が暮らす希望の場所だから。
あの赤い帽子はよくある映画のシナリオのように劇的に佐野の元に戻ったりはしない。それでも、佐野が過去の凪との思い出を大切にするように、あの赤い帽子を大切に守り続けることで凪との繋がりを紡ぎ、かつて凪がいた世界を愛で続ける存在が他にもいる。
こうしたアンの存在や凪との思い出や帽子のことを佐野が直接知ることはなくとも、"beyond the sea" の鼻歌を通じて、ハイライトのメンソールで開けたそのドアの隙間から、届くその声を通じてアンから佐野にきっと伝わったものがある。
海は愛する人たちの安らぎの場所なんだって。
だから海の向こうで彼らときっとまた会えるよって。

佐野があの時の凪と同じ819号室から眺める海の色はもうあの時とは違う。同じ鮮烈さを持って佐野の瞳を捉えてはくれない。僕らは違う世界を見て、違う世界を生きている。それでもなにかを共有できたと思えたあの人はもういない。
アンブロのロゴが二重に重なるTシャツの背中が悲しい。

あの日踊るように寝息を立てていた、あの背中のままの凪はきっとどこか遠くに今もいる。それは確かなこと。そしてまた、永遠にそうであって欲しいと望む心が、まさにその心があることこそが、彼女の存在を永遠に美しく留めている。

今もSUPER HAPPYに、どこか海の向こうで笑うあの人の横顔よ、永遠に。



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