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人を許す=自分を許す

その昔

すごく不快な思いをさせられたことがある。
当時、彼女とは同じ集合住宅に住んでいて、子どもたちの年齢も近かったから割と仲は良かった。わたしの方が彼女より年上だったこともあって、結構頼りにして慕ってくれていた。月日は流れ、お互い引っ越し、やりたいことをそれぞれ見つけ、時々近況報告しながらお付き合いは続いた。なんのいさかいもなく穏やかに続いていた友だち関係だったが、距離が近づけば近づくほど、わたしには何となく、彼女のズル賢いところとか、遠慮がなく、少し傲慢なところとかがチラチラと見えるようになっていた。

しばらくして、わたしは前職の看護師をしながらグラノーラ教室を始めるようになった。
参考にしていたレシピを自分なりにアレンジし、自分好みの味に近づけていき、少人数で、お友達やお知り合いの人に教えるようになっていた。
そんな時、わたしがグラノーラを作ることを知った彼女が、レシピを教えてほしいと言ってきた。
一瞬返事を渋った。
少人数の、たまにしかやらないグラノーラ教室ではあるが、趣味ではなく、仕事としてきちんとやっていたから、レシピを簡単に教えろと言われることに微かな抵抗があった。

あとになって、その一瞬の抵抗に、ちゃんと気づいて対処しておけば良かったと後悔することになる。

なんか嫌だなと思いながらも、
友だちに頼まれたことを断りきれなかった情けないわたしは、教室でのレシピではなく、参考にしていた元のレシピを彼女に伝えた。

それから数日後。

教えたレシピをもとに、彼女はグラノーラを作り、それをSNSにアップした。

そこまでは良かった。
作ってくれたんだなぁと、なんだかすごく嬉しかった。
友だちが多い彼女のSNSには、コメントがたくさん入っていた。
そのたくさんのコメントには、ほとんどがこう書いてあった。
「グラノーラっておうちで作れるの?!
レシピ教えて!」
それに対して彼女が送ったコメントの全部にはこう書いてあった。
「いいよー!すぐ送るねー!」
「今送ったよー!」

予感的中

深ーいため息が出た。
同時に、ものすごく静かな怒りがふつふつふつふつ湧いてきた。

人に教える前に、ひとこと断りはないのか。
わたしにとっては仕事の内容の一部なんだよ。
お金をいただいて、伝えている内容なんだよ。
それを、さも自分のもののようにしてさらりと誰かに手渡してしまう。

「こんなことで腹を立てる自分は心が狭いのかな。」知り合いにこう相談したこともある。
「いや、それはちょっとひどいんじゃないの。」
知り合いは一通りの出来事に一瞬絶句して、そう答えてくれた。

やっぱりなぁ。
やっぱりひどいよな。
知らなきゃ良かったなぁ。
言わなきゃよかったなぁ。

当時はそんなことばっかり考えていた。
多分、彼女のことを信用していたから余計。
嫌いになってしまう決定打を見てしまったというか。

結果、その件を発端として彼女とはスッパリキッパリ連絡を取るのをやめた。
顔を合わせるようなことがあったとしても、わたしの拒否反応が凄すぎて、心身ともにかなりのソーシャルディスタンスをとった。
反対に彼女は、わたしの態度の原因がさっぱり分かっておらず、どうやらそれに逆切れしたようで、後から知ったのだが、つながりのあったSNSは全てブロックされていた。

それ以降、彼女との縁はぷっつり切れた。
とはいえ近所に住み、子どもたちとも学校が同じだから、全く顔を合わさないないわけにはいかない。
わたしには理由があるが、向こうは原因が分かっていない。多分。
ただ、理由もなく縁を切られたと思っているのだろうなあ。
あれから数年経つが、どこかでみかければみそのことを思い出し、前ほどではないにせよ未だに嫌なヤツだと眉間にしわが寄る。だけど、そう思い続けることにそろそろ疲れてきた自分がいることも事実だった。

もう許そう

縁を切った。
もう何のつながりもない。
顔と名前だけ知ってる単なるただの知り合い。
自分の中の彼女の位置づけは、それでいいじゃない。

今になって考えれば、そこまでムキになって腹を立てるほどのことではなかったのかもしれない。
なぜなら、自分の判断で渡したレシピは、その時点では彼女のもの。相手に手渡したものをどうしようが彼女の勝手だ。
だけどその頃の私は彼女を信用していたがゆえに、そのことがあまりにも身勝手に映ったのだろう。

もう許そう。
彼女を。
そして自分を。
許してあげよう。

やっと、そう思えるようになってきた。

憎み続けることは、結構しんどい。
一旦嫌な思いをしたり憎んだりすると、そこから抜け出すことはなかなかできないのだ。
けど、向こうはもうわたしのことなんて何とも思ってなくて、ああ、そういえばあんなヤツおったな、ぐらいにしか思ってないのだ、たぶん。
そんなの損だ。
自分だけいつまでもそこにとらわれて生きていくなんて、その分の心のスペースがもったいない。

反対に。
自分だって、いい人間かと言われたら決してそんなことはない。振り返って見つめれば、あの時自分は、なんとも心と視野の狭い人間だった。自分が傷ついたのと同じように、相手の心にも波風を立たせてしまったのだ。そんなことも気付かない、ちっさい人間だったなと、数年たってようやく気付いた。

生きていれば、いろんな人に遭遇する。
そしてこの先、またいろんなことが降りかかってくるかもしれない。
けどそれは、神様に人間力を試されているのだ。きっと。
そうやって学んで、進ませてもらっているのだ。

人を許すことは、自分を許すこと。

しんどいけど、つまずきのない人生よりも
ある意味自分の中身は豊かになっている気がするなぁ。



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