失望することのない希望をもつ(岸見一郎さんの本)
こんにちは。にこままです。
最近、希望について考えている。
今、自分に希望をもてているか。
これからの自分の未来に、希望をもっているか。
息子は、私たち夫婦の希望の象徴だ。
この子の成長は、希望の光。
この世に生まれてきてくれただけで、希望、そのものだ。
この希望を期待に変えないように、心がけてはいる。
〇〇になってほしい。
〇〇な大人になってほしい。
とは、思わないように。
期待と希望について、岸見一郎さんの本の一節を、
何度も読み、咀嚼し、どういう意味なのかをずっと考えている。
息子の存在に感じる希望は、存在としての幸福なのであろう。
親の私たちが感じているように、
息子も生きているだけで幸せだ、と感じてくれたなら、
これ以上嬉しいことはない。
今、私がずっと考えているのは、自分自身に対する希望だ。
自分のこれからに、希望をもてているか。
〇〇をしたい。
〇〇ような〇〇になりたい。
そんな期待ではなく、
どんな選択でも、どんな状態であっても、
私が私であろうとすること。
つまりは、自分の人生を信じることができているかということ。
岸見さんの言葉を借りるなら、
何もなしえなくても、
他者と結びついている貢献感=幸福を、
今、感じているなら、
それ自体が希望である。と。
今、私は、夫と息子のこの家族になれたことを、
本当に幸福に感じている。
この夫と、息子と出会い、家族になれたこと、
奇跡だ。
岸見さんの考えだと、
その家族といられることだけで希望だということなのだろうか。
未来に希望をむすびつけなくていいと。
宗教と哲学の大きな違いは、
哲学は答えなき問いを思考し続けることと
岸見さんは言っていた。
人生への希望について、考え続けていきたい。
考えすぎると、にこにこできなくなるから、ほどほどに。
息子よ。
今日もママは、にこにこできていたかな。
家族の太陽でありたいな。