ピザトーストにのっているピーマンを許す
もう、一人で泣いていたくないと思いはじめてから何ヶ月が過ぎただろう。
流しに溜まる洗い物、遮光一〇〇パーセントの灰色のカーテン
お芋ごはんが美味しかった秋、人質に取られた冬の朝のアラーム
ケーキを一口ずつ交換した春、テーブルの脚下に水溜りができた梅雨
あんこペーストとブルーベリージャムを買ったことを誇りに思う、
トースターで焼いたパンにスクランブルエッグとベーコンを乗せる幸せを知っている。ただ、バターはまだ買えていない。
一日の終わりに、右足にあるアザを見て
いつどこでぶつけたのかを思い出せるような日の繰り返し。
今まで自分を守ってきた思想や逃げ道が自己肯定感ではなく保守的な自己愛だと気づいたとき、これから生きていけないかもと思った。
ごはんを食べたら溜まっているゴミ袋をゴミ捨て場に持って行くぞという決意も夕食の冷や汁と一緒に流れていった。自発的な楽しいを見失い、インターネットへの旅券を右手に握って、気づいたら午前〇時を過ぎている。
骨伝導のイヤホンも、扇風機の風さえも、聴覚を刺激する敵だった。
ここ一週間ほど泣けないでいる曇天にこの身が取り込まれていく。
今日は雨が降るだろうか、降水確率六〇パーセントの天気予報を見て傘を持って出かける。透明ビニール傘を選んだ理由は、雨が空から降っていることを確かめるため。あるいは傘に弾く雨音がいい感じに聞こえるから。
嘘。どんな服にも似合うから。
激安衣料品店で買ったオーロラ色の傘を使わなくなったのはいつから?
もう思い出せない“いつ”から手を離せないでいる。
オーロラ色の傘、クマさんのポシェット、オレンジ色のマグカップ、お花で装飾されたプレート、赤色のチェックのワンピース。好きな作家さんの新作はハードカバーで手に入れる。それだけは欠かせない。
だけど、好きなもので埋め尽くしたこの部屋は、 六月を過ごすには少し息苦しかったみたい。
ずっと気になっていた、晴れの日の空よりも曇り空が眩く感じる理由を探した。いくつもある回答の中で、太陽の光が雲で乱反射して空全体が明るくなるから眩しく感じるという応えを信じることにした。
冷蔵庫から取り出したペットボトルに付いている水滴の流れが徐々に早くなってきた頃、雨が降った。
なにもいらない。
雨の音だけ抱きしめて 大量の雨粒を浴びて一緒になりたい。
そうしたら見つけてほしい。
晴れの日に気づかれない涙は雨の日でも気づかれないんだ、だから、
冷蔵庫の起動音 邪魔しないでね、わたし雨の音が好きなんだよ。
一日経てば昨日のことを忘れてしまう、アザだけが身体に残っている。
未来は明るいと掲げたカラオケオール明けの朝も、おはよう今日もすごい寝癖やねと言ってくれるお母さんのことも、雪遊びのあとにお好み焼き屋さんに連れて行ってくれたお父さんのことも、たくさん会いに来てくれるたこ焼きが好きな叔母さんも、リクエストした煮込みハンバーグとポテトサラダを作ってくれる叔母さんも、野菜の収穫に連れて行ってくれるばあちゃんも、一〇年前にプレセントした手作りの巾着袋を今も使ってくれるじじも、大学の長期休暇が近づくたびに帰省の予定を聞いて遊びに誘ってくれる地元の友達のことも、いつかは死んで忘れてしまう。
過去の“いつ”も未来の“いつ”をも恐れてしまってどうしよう。
どうしようもなくて今日も冷や汁を啜っている。
生まれたからには幸せの元をとる。小さく切り分けて焼いたウィンナーを爪楊枝に刺して食べると、ウィンナーの試食を無限に食べている状況が生まれることに気がついてから生きている間は無敵になった。一つ理想を挙げるとしたら、いつまでも銀色のやかんでお湯を沸かしたい。
電車に乗って隣町へハンバーガーを食べに行ったり、好きなアーティストのライブに行ったり、二日だけ実家に帰ったり。自分の「好き」に基づく印象的な幸せが続くと星が出ていない夜に気づいたときにちょっとだけ不安になる。恐れているのは死ぬこと自体にではなくて、今ある幸せを忘れてどこか他人事として見ていた悪環境に身を置く可能性があることだ。
来世のことはよくわからないからできるだけ徳を積んでおこうと思う。閻魔さまに下心を見抜かれたら少しだけ恥ずかしいかもしれない。
喉が渇いた野良猫の前に飲み水を注ぐ
ひっくり返ったクワガタをもとの体勢に戻す
道路の真ん中で羽が折れた蝶を脇に退けるか迷う
干からびた爬虫類を避けて歩く
日傘で避けられる強い日差しを浴びた結果がこうだったとしたら、動植物はみんな日傘をさすべきだよ。「水は任せて」と言いかけたけど、いつまで続くかわからないから言うのをやめた。
上下を逆さまに間違えた日記の最後のページに書いた、
「結果論でいい人生だったと言えたらいいな」を嘲笑うように、その日記には落ち込みと自省のフローチャートがつらつらと書かれている。
うまく生きていくために自省を繰り返した証だと言えば格好はいいけれど、口に出せる言葉が減っていくだけだった。
言っていいことと言わないほうがいいことの線引きがわからなくなって、何も言えなくなった。喉に詰まるマッシュポテトを、自分で食道を叩いてポンッと取り出す。握りしめて地面に落ちた、ぼろぼろになったポテトの欠片を見つめるのは、取り出した本人だけだろうな。
あと一回分の親子丼の材料が冷蔵庫に残っていることを喜んでいる日があったから多分これからもなんとかなっていく。たぶん。
日記の飯テロに誘惑され、満腹になって眠気に勝てず、瞳の幕を降ろした...
外がサクサク、中がフワフワ、
ざらめの甘さが絶妙でめちゃくちゃ美味しいワッフルを食べていると
見たことがない量のチョコバナナサンデーが運ばれてきた
カウンターで調理しているマッチョの店員さんを見て
次は何が運ばれてくるんだろう...ワッフル食べてもなく...いチョコバ...みず...
ひどい、
あまりにもひどい。
これからチョコバナナサンデーを食べるところだったのに。
確かに食べていたはずのワッフルが
実は夢でしたなんてオチがあっていいはずがない。
怒りの矛先をどこに向けたらいいかわからなくて、
喉が渇いていたから冷蔵庫で冷やしていた水をがぶ飲みした。
昨日近所のスーパーで買っていた甘い抹茶のかき氷を口にかき込んだ。
今度は覚めないうちに、ね…
都会でお菓子屋さんになりたいという将来の夢とはうって変わった
将来は黒い柴犬と田んぼの周りを散歩したい。近所の駄菓子屋さんに寄って、外のベンチでアイスクリームを食べるんだ。風に煽られて揺れる大きなかき氷の風船に頭を殴られて前髪を手ぐしで直す。額に滲む汗に気がつかなかったのはたぶん、暑いという負の感情よりもアイスクリームが美味しいという正の感情が勝っていたからだ。
家の中から飛行機を指先で追って地球の弧をなぞる。向かう先は知らないけどどこか遠くの場所に向かっていることを知っている。
この場所からじゃ終着点を見届けられない。
夏もいつか終わるから大切にしなくちゃなあと思って、エアコンの冷房を切って窓を開けて扇風機をつけた。
知らなかった、遮光カーテンと窓の間にある一枚のレースカーテンを開けるだけで一気に部屋が明るくなるなんて! 相変わらず涼しい風は入ってこないけど、夕方になって聞こえてきた虫の鳴き声のおかげで少し涼しくなったかも。少しだけね。確かではないから。
めいっぱい百八十度に首を振る扇風機の風が優しく頬を撫でてくれた。
散歩がてらお財布と家の鍵だけを持って外に出てみた。蒸し暑いだけだと思っていたこの空気も、虫の鳴き声を聞いて風にあたって草っぽい田んぼの匂いを嗅いだとき、忘れかけていた小学生の頃の夏休みを思い出した。
夏祭りの出店で取ったたくさんのアクアジェリービーズを落としたとき、
一緒に拾ってくれた周りの人のやさしさと
暑い日でもひとりぼっちじゃないこと。
落とした金平糖を拾おうとして頭から栗山を転げ落ちた話はもうした?
結局その金平糖は見つからなかったし体は栗のイガだらけになったんだけど、仕方ない。栗と金平糖はトゲトゲしてるところが似ているから。
転げてこの身についたイガが取れるのにはまだまだ時間がかかりそうだけど、このイガが金平糖のトゲトゲに変わることを信じて変身までの寄り道を楽しむことにした。焦って空回ってイガが肌に浸透してしまわないように。
話せる話題が尽きないのはあなたが聞き上手だから。
共感や否定はいらない。そうなんだねって、それだけでいいよ!
失敗も、コーヒーを片手に笑って聞いて。砂糖もミルクも入れないで。
覚えているうちに乱れた呼吸のリズムを整えて。
今日も明日も、ルールが作るやさしさの上で生活をする。
車が横断歩道の歩行者を譲ることも、店員さんがお会計の後にありがとうございましたって言うことも素直に受けとる。
自分のための冷たい麦茶を飲んで、自分のための湯船に浸かる。
雲ひとつない晴れ空に干したお布団に入ってゆっくりと眠りにつく。
花奢な生活なんて望んでないよ。
いつか、
いつか大切なものを見つけたとき、
抱きしめるために今は両手を空けている。
左手にはさっき自販機で買ったアイスココア。
蝶々結びした靴紐が浮かれていて、
ふらっと飛んでいってしまわないように
日傘でそっと 日陰に閉じ込めた。
空が高い夏日の雲にはきっと手が届かないから、
部屋の中から雲に恐竜のかたちを見るくらいがちょうどいい。
左手の水滴が肘まで流れてきて思い出した。
はやく飲みたくて、玄関の一〇メートル手前で鍵を取り出す。
ただいまを言うのを忘れないようにね。