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「家族という関係。」/ショートストーリー

お隣のおうちは久しく、おひとりだった。
たしか、息子さんは都会でご家庭をもっていると聞いたし、娘さんの方も遠いところでお仕事に就いているはずだ。
その話しをわたしにしてくれたご主人は3年前に急死している。

それで奥さんがずっとおひとりで暮らしていた。
外向的で朗らかなご主人と違って、奥さんの方と言えば無口でご近所付き合いは最低限しかしない。
まあ、昔と違って人づきあいなんて希薄になっていた上、世界的な流行り病のせいでご近所といえど、顔を見ても頭を下げるぐらいになっている。
今の状況は人づきあいが苦手な人には暮らしやすいのだろうか。家族がいないひとりのかたは孤独死とか考えないのだろうか。

そんなことが頭に浮かぶのはたぶん根拠のない自信があるのかもしれない、わたしは大丈夫だと。

わたしのほうは。
夫はまだ元気で、同居している長男夫婦とも程よい距離間を保ってうまくやっていると思う。
娘の嫁ぎ先は車で30分のところ。
そのせいか、わりと頻繁に遊びに来てくれる。
我が家はにぎやかなほうだろう。

それに比べてお隣はひっそりとしている。
静かすぎて、ひどく怖い。
それは、奥さんが毎朝必ず玄関前の道路を掃き掃除しているを見ると安堵するぐらいにだ。
だんだんと、奥さんはわたしが挨拶すると逃げるように家へ引っ込んでしまうようになった。

そのお隣のおうちに突然娘さんが戻ってきた。
それからだ。
死んだように暗いお隣のおうちに日が差したように変わったのは。

娘さんはお父さんに似たのか、よく笑い声が遅くまで聞こえてくる。
ご主人が亡くなってから放置されていた庭の手入れも一緒にしている。
わたしが挨拶するとふたりとも笑顔で返してくれるようになった。
わたしは隣の奥さんの笑顔というものをはじめて見たような気がする。
わたしは良かったと心から思った。

昔、一度だけご主人が困ったような顔で話してくれたことがある。

奥さんはお子さんに対してとても過干渉らしい。
お子さんたちの事は全て奥さんが決定しているらしい。
どんなにご主人が奥さんと話し合っても少しも変わらなくて困っているとご主人は悲しそうな目をしていた。
わたしにはそんな奥さんといつも挨拶のだけの物静かな奥さんを重ねることが出来なかった。

そんなある日、ご主人の話しに合点がいく経験をしたのだ。
「なんの不満があるの?あなたたちのためにお母さんは。。。」
初めて聞くお隣の奥さんの悲鳴に似た叫び声。
娘さんは何も聞こえないかのように、駅の方に大きなスーツケースを引きながらスタスタと歩いて去ってしまった。
娘さんはそのまま家を出たらしい。

夕食時、お隣のそんな話しをはじめて家族にした時、子供たちはあまりその話に興味がなかったようで、ふうんという感じで終わってしまった。
子供の世代では私たちより、もっと近所との繋がりが薄い。
ただ、娘が自分の部屋に戻る時にわたしの目を見ながら言った。
「そういうの、毒親って言うのよね。うちはホントそうじゃなくて良かった。」
「えっ。毒親。」
わたしは初めて毒親という言葉を知った。
しばらく、わたしの関心事が毒親になったことを覚えている。
あまりにその言葉のインパクトが強かったせいだ。

そのお隣の残された母親のもとに家をでてずっと帰らなかった娘さんが、毎日のように訪れて夜遅くまでいる。
娘さんは今どういう気持ちでいるのだろう。
ようやく、毒親の母親を赦すことが出来たのだろうか。

娘さんが訪れるようになって1年ぐらいして、お隣の奥さんは亡くなった。
どうやら、ガンのようだった。
こういうご時世のせいで、家族葬となった。
息子さんと娘さんがご近所に簡単な挨拶をして回っている。

わたしはお悔やみの挨拶をしながら、娘さんの顔をまじまじと見つめてしまった。
娘さんの顔が違うのでわたしの頭は混乱していた。
わたしのその様を察したのか、娘さんが口をひらいた。
「家政婦さんを私だと思ったのですね。」
「家政婦さん?」
「私と兄とでお願いしたんです。母が長くないとわかって。兄は遠いですし、私は近くに戻って結婚していましたが。」
そこで間が開いた。
娘さんの目から涙が一筋流れた。
「母とはうまくやれないどころか、ずっと赦せなくて。母はいつもわたしのためにと言ってはコントロールしていました。私には母との関係がトラウマになっていたので、ガンで長くないとわかっても母に会う気持ちが湧きませんでした。だから。」
「だから、自分のかわりに家政婦さんを頼んだんですね。」
「ええ。母は家政婦さんとはとてもうまくやれたようです。」
「そうねえ。わたしが勘違いするぐらいに。」
「もし。私が戻ったとしてもきっとうまくはいかなかったような気がします。他人だから、距離が保てたのではないでしょうか。」
「お母さんね。とても楽しそうでしたよ。」
「ありがとうございます。母が亡くなる時、私達だけでなくて家政婦さんも来てくれたのですが、家政婦さんだけ泣いたんです。話しによるといつも娘のように可愛がってくれたと言うのです。」
娘さんはまた一息ついた。
「そんな家政婦さんを見て、不思議なことに母に対する憎しみのようなものがおさまっていきました。悲しいことかもしれませんが、母が亡くなってやっと母を赦せると感じたんです。ひどい娘でしょう。すみません。こんな内輪の話しをしてしまって。」
そういって穏やかに笑う娘さんの顔は奥さんの笑顔によく似ていた。


わたしには、お隣の奥さんはどういう気持ちだったのかと考えてみたけれど、わかるはずもないと思って、改めてお隣のお家に向けて手を合わせた。
家族とはなんと難しい関係なんだろう。
わたしの子供たちはわたしの実の子じゃない。
夫の連れ子だ。
愛しいとは思うが自分の子供がいたら、今の関係とは違っていたのだろうか。

きっと、それもわたしには永遠にわからない。




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