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母になるとは、


この記事は、妊娠関連のお話です。
重めなので閲覧は自己責任でお願いします。
1人の考えとして書いてます。




私の周りの友人は私よりも先に結婚している人がほとんどで子どももいる。
独身で仕事も不安定な私からして、友人たちが遠くに感じてしまったことがある。友だちの幸せはうれしいけれど、そこも否定はできない。


そしてついに、私の姉も妊娠をして去年の春に出産した。ただ、姉もそれまでたくさんの苦難があったことも知っている。
妊娠出産をしてきたお母さんたちは自分からは何も言わないだけでたくさんの試練を乗り越えていると思う。


結婚して3年目の夏、私の好きな芸能人やYouTuberが妊娠していき、今度は私の番だと妊活を始めた。
(今思えばこういうきっかけで妊活やる気になったのもどうかと思う…)

妊娠するが、妊娠が分かっても喜ぶことが出来なかった。
きっと、自分がこれから母になる準備が思っている以上にできていなかった。
覚悟が足りていなかったのだ。それでも自ずとだんだん芽生えてくるものだと思っていた。

そして、早い段階で赤ちゃんの成長は止まってしまった。
不思議と涙がいっぱい出た。悲しかった。
ああ、私はこの子を産みたかったんだ。元気だったら今頃臨月にさしかかる頃だ。

ショックなのはわかったけど、ほんのちょっと「だろうな」とも思った。
心の準備不足による安堵の言葉ではなく、身体面での不安なことが大きかったことが要因だったのかも(元々その時は生理不順だった中での妊娠だったり、つわりもそんなに進んでなかったため)


身内や頼れる知り合いに報告をしていたが、残念な報告をするのがいちばん苦しかった。
嬉しそうに「おめでとう😭💖❣️」と言ってくれた人たちへすぐにこんな悲しい報告をしなければならないのが、許されるなら逃げたいくらいに辛い出来事だった。
(早く報告しすぎたと反省にもなった)


あれからもう、半年は経った。
とくに変化もなく日々を過ごしてきた。

先月、去年のクリスマスが終わり年末ムードに入っていこうとした時に唯一報告していた幼なじみにラインでやっと流産を報告した。
実際会ったときに報告することも考えたけど、できなかった。かといって私の性格上ずっと抱え込んだままなのはしんどかった。
早く報告してしまいたかったので自分のベストな形で年内に報告しようと思った結果、このタイミングになったのだ。
幼なじみは当たり障りない対応で、会いたいと思ったらまた会ってやってくださいと返事が来た。

時間も経ったし生活もできてるから大丈夫と思っていたが、報告の文章を入力しているときに涙がポロポロと出た。
特にその後は気分が落ちたわけじゃなかったが、日に日にこれがきっかけでまた落ち込むことになった。

三が日に実家へ帰った。
姉家族を目にして、胸の奥がズーンとする。
姪っ子に会う度に抱っこをさせてくれるのだが、それすらも胸が苦しかった。でも家族の空気感で抱っこを拒否できなかったので抱っこをした。私の心はざらっとした。


更に、SNSで繋がっている学生時代の友達が2人目の出産報告の投稿が目に飛び込んできた。
ダブルパンチを食らったみたいだが、おめでとうとメッセージを送った。


だけど、これを機にまた「子ども」を意識するようになった。

流産してちょっと時間が経った頃はとにかく自分のメンタルいっぱいいっぱいで子どものことを考えていなかった。
なにより、また流産したら……と思っていた。

だけど、急に子どものことが頭ではなく、「感覚」で私の中に浮上してきた。去年よりもつよく。

妊娠から出産、そして子育て。それに限らず、何でも初めてのことはワクワクな反面不安が大きくのしかかる時がある。
だけど、越えて母になるのかなと思ったし、最初から完璧な母なんて居ないよね。
未熟者だけど、お子と共に1歩1歩成長をしていけばいいのかな、と考えが浮かんだ

自分の中である程度の整理ができた時に、また実家へ行くタイミングがあった。
その時は素直に姪っ子がかわいいと思えたし、姪っ子ちゃんにはワンワン泣かれたが抱っこもできた。

前よりはその覚悟ができたように思う。

この先、様々な波があるかもしれないが
この気持ちだけは忘れまいとここに残すことにした。


ここまで読んで頂きありがとうございました。

ちなみに、関係ない話ですが
見出し画像は自作のモールドールです( ´∀`)b←

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