自分のリソースが何よりの相棒”私のはたらきかた”
気が付けば定年まであと数年。
全力疾走してきた自分の人生を一度振り替えってみよう、
そんな思いを持って、『わたしのはたらき方』について考える機会を持ちました。
現在の仕事
メーカーの広報担当者として社内報やWeb、映像、製品や印刷物等、展示会向けツールや広告等、ブランディング、デザイン制作のディレクションを担当しています。
最初からこの仕事に就いていたわけでは当然ありません。ここに至るまでのいろんな物語があるわけで…それを綴っていきたいと思います。
社会復帰へのきっかけ
キャリアをスタートしたのは、3人の年子の末っ子が3歳になったとき、そろそろ仕事に就きたい、社会復帰をしたいと思ったのがきっかけでした。
自分に出来る仕事って何だろうと思ってあれこれ探しました。
新聞広告、ハローワーク…あるとき、新聞の折り込み広告に、地元の印刷会社の企画デザイン部署でアルバイト、パートも募集していたので応募。運良く採用されて、末っ子を保育園に入れて働きはじめました。
当時は印刷は版下時代。カッターを使って版下を作って製版して…とアナログ作業も経験しました。そのうちDTPが主流となり、気が付けば会社勤めは20年を超え、残業や徹夜に疲弊しながら、貧血に倒れ、何の為に仕事しているかわからなくなっていました。
転機到来
ある時、会社が希望退職を募る事になりました。
これは自分にとっての最後のチャンスが来た…そんなふうに思えたのを覚えています。
迷いがなかったと言えばウソになってしまいますが、希望退職に応募して、自分の次のキャリアへのステップが始まったのです。
もう50歳を超えていた、自分の年齢での転職は不利なのは理解していました。それでも、人生は一度きり。チャレンジする事に迷いはありませんでした。
ハローワークで求職するものの、書類で落とされるばかり。
印刷会社で20年働いた経験を活かせる仕事に就きたい、と思いましたが、自分のリソースにはまだまだ足りないものがあると思い、Webの知識も付けに学校に通ったりしました。
なんとか人事担当者と直接面談できる場に行って話をしたいと思った私は、公的機関主催の中小企業の転職イベントに参加しました。
ある企業の面談ブースで担当者が、私の職務経歴書を観て、印刷会社経験とWebの学校経歴に目を留め、総合職と営業職の応募だけど、一度応募書類を送ってみたらというお声をかけていただくことができました。
それがきっかけで,マーケティングや広報の仕事に付いている現在。
働くという事
今まで、グループリーダーから渡された仕事を皆で手分けして仕事をする、という形でしたが、今の自分は経営層から降りてきた意思決定をもとに、ぶれない方向性で専門家と一緒にものづくりをしていく立場になりました。
それは、印刷物であったり、映像であったり、広告であったり、媒体は様々であり、やったことのないものもでてきます。
デザインや映像やWebをつくる仕事は、協力会社の助力がかかせません。
今まで培った人脈と、新しくできた人脈を活用してそれぞれの得意分野での協力をして皆で作り上げていく。今までの経験が120%活かされていると感じました。
もちろんそれだけではなく、自分の知識をこれからの時代を担うみんなに伝えていくことも自分の仕事だと思っていて、営業とタッグを組んで、ゼロからの企画起こしから最近取り組む事も多くなりました。
これからの「LIFE WORK」
仕事でコミュニケーション能力をあげたいとおもってコーチングに取り組みました。たくさんの気づきがあり、今仕事で行き詰っている自分にとって突破口がみえたり…
いざやってみると奥が深くて、人生の中でもっと早くコーチングに出会っていれば...そんなふうに思い、コーチングを通じて、人の何かの手助けになりたいと思うようになりました。
これからは、自分もコーチングスキルをあげて、ライフコーチになりたいと思うようになりました。
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私らしいはたらき方
コーチングという、ライフワークがみつかった今、その学びに没頭する毎日が続いています。
一方、趣味は大切な自分のもう一つのステージなので、趣味の活動も大切にしていきたいと思っています。
大好きなのは、ものづくりとデザイン。ありがたいのは、人生のパートナーと仕事も趣味も共通項があるということ。楽しみのベクトルが同じ方向を向いてることは、とても重要な事だと感じています。
仕事を頑張れるのは、趣味やプライベートが充実してるからだと思っているので、オンオフの切り替えをパキッと出来る私らしい働き方を心がけて行きたいと思っています。