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「積み木」と「ジェンガ」と絵
静かな夜が落ち着かせてくれるようなときには、吉田篤弘さんの本を読む。
「おるもすと」は、この時のために図書館から借りてきた。僕が本を買わないのは、父親が購入してくれた漫画が部屋の隅で山になっていることが理由になっている。
彼の本は独白的で、本のタイトルにもなっているように、いつも何かしらのキーワードが物語の中心にある。この本の中には、「おるもすと」だけでなく、いくつかのキーワードが存在する。
僕はこういった本を好む。たった一行の文や言葉を説明する為だけに、本一冊を懸けて伝えようとすることは、とても分かりやすいし、著者の熱意が明らかだ。お勧めがあればコメントで紹介してほしい。
こんな本を読んでいるものだから、僕の頭の中にも比喩表現が浮かんできた。
「積み木」と「ジェンガ」である。これが僕の中で描くことと結びついた。調べてみると、「ジェンガ」というのは、「積み上げる」という意味らしい。重複している。ただ、僕は 「積み上げる」 ことだけでなく、崩さないように 「抜き取る」 ことにも着目した。
白いキャンバスを汚す最初の色が最後まで残っていることはほとんどない。なぜなら、色というものは隣接する色によって見え方が変わるからだ。嘘だと思うが事実である。だから、置かれた色が別の彩りの中でまったく異なる色にみえてしまう。
つまり、最初に置く色はほとんど失敗する。色が増えていくたびに、少しずつ変化があるからだ。しかし、上手な絵描きはこれを見失わない。見失わないようにひとつずつ慎重に選択していくか、気にも留めずにどんどん色を足していって、最後にまとめて修正する方法が思いつくが、僕が前者のやり方を好む。
「積み木」がキーワードとして挙がったのは、この慎重な色選択が倒さないように積み上げていく様子と同じだと思うからだ。描く前から既にある程度の完成図がないと、選択が正しいかどうか判断がつかない。形を保ちながら積み上げるのは、その先に完成される城が見えているからで、色をひとつひとつ足していくのは、その先に伝えたい雰囲気や印象を持つ絵がみえているからだ。
「ジェンガ」には積み上げることの他にも、「抜き取る」ことが含められている。試行錯誤して色を埋めていった絵には、必ず無駄な色が存在する。それを既に塗られた隣の色と統一し、色数を減らしていく作業になる。「単純化の作業」 と僕は呼んでいる。色数が少ないことの利点は、分かりやすくなることだ。ジェンガは倒さないように抜き取って、さらに上に積み上げていくゲームだが、絵では、何かを表している色を塗り潰してしまわないようにすることになる。表現を損なわないまま、色数を減らす。これが僕の絵にとって重要な工程になっている。
最初に完成が思い描かれていて、最初の2色でさえ、ほんの一部でもそれが表現されていなければ始まらない。種火を絶やさないように、終始、関係性を保ちながら積み上げて、最後にノイズを取り除く。ずっと「保っている」ことが重要だ。いい加減にやっていいところなどどこにもない。どこかで見失ってしまったら、最初から。ジェンガだったら、崩れて、また積み上げるところからだ。
おまけの絵
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