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思春期の出来事に寄り添った話

こんにちは!
響心(にこ)です。

無意識で封印し続けてきたパーツに
とうとう手をつけてしまいました。
今回はその話を書きます。

まだまだ進行形で消化中ではありますが、
書きながらクリアになる部分もあって
言語化してみて良かったと思います。

ひたすら重い話なので、公開するか迷いました。
ただ、思春期の出来事にフタしてる人って
意外と多いかな、と思い。
同じような人に読んでもらえたらうれしいです。


同期とのカウンセリング実習を通して
思い出したことがありました。

それは、同級生のA(仮)のこと。

私は中学時代、同級生の女子に
総シカトをくらったことがあります。

当時仲の良かった子も元凶のグループに取り込まれ、
ひとりぼっちになってどうすることもできなかった。

その元凶グループのボスがAでした。

この出来事は、自分の人生に於いてしんどすぎて
カウンセリング実習で「黒歴史」として話すまでは
人に話したことがほとんどありません。


当時は、家(というか父)も荒れていて、
母はあまりに無力で頼りにならず。
兄姉はすでに社会人で、家にあまりいない。

家にも学校にも居たくない状況。
自分だけの居場所を求めて
一人暮らしに憧れていました。
それだけが私の希望でした。


Aは、小・中学校がいっしょでした。

すっかり忘れていたのですが、そういえば
小学校低学年のとき、Aとは仲良くしていて
よくあそんでいました。

でも私は、Aのことが嫌いでした。

あるきっかけがあり
次第にお互い別の子とつるむようになって、
小学校を卒業するころは
一緒にあそぶことはほとんどなくなってたと思います。


そのきっかけとは、小学3〜4年生のとき。
私がAに対して
「あなたのことが嫌い」という手紙を書いたことでした。

怖くて面と向かって「嫌い」と言えないところに
私の弱さがあります。

手紙は、無記名でこっそり出すつもりが、
気が大きくなってしまったのか
こっそり(でもはっきり)自分の名前を仕込んだことで
クラス中で問題になりました。

その後どう着地したかまでは記憶にないのですが、
この出来事が、Aと私の関係性が変わる
大きなきっかけだったことは間違いありません。


私は小学校低学年の頃
登校拒否していて、本当に学校が嫌でした。

そんな自分と仲良くしてくれたAに
救われた部分はかなりあったと思います。

そしておそらくですが、
私はAに好かれていました。

ただ、活発なAは、周りを巻き込むパワーを持っている。
当時の私は、Aそのものというより
Aの勢いに飲まれていく自分が嫌だったんだと思います。


手紙事件をきっかけに距離が離れたことで
私にとって、Aとの関係は過去のことになっていました。
(実習まで忘れていたくらいだし。)

でもAにとっての手紙事件は、
終わりではなく始まりだったのかもしれません。

だって、仲が良いと思っていた相手から
いきなり「嫌い」と伝えられて
離れてしまったのですから。

心の中に何かしら
私に対するわだかまりやモヤモヤが残っていたとしても
おかしくありません。


Aとは、中学を卒業してから一度も会っていませんが
高校くらいのとき、地元の友だちから
Aのご両親が離婚したと聞きました。

Aは、思春期の多感な時期に
両親や家庭のことでも
苦しんでいたのかもしれません。


私には、とめどなくあふれてくる負の感情があります。

私はどうせいつもひとり。
誰も私なんか選ばない。
私は当てつけにされるだけの存在。
私の胸の内なんて誰にもわかってもらえない。
私なんてどうせ。
私なんて、、
私なんて、

長い間、何が苦しいのかもわからず
自分の存在を否定してうずくまっていました。


「私なんて」の奥深くにアクセスしてみると、
Aに嫌われたことが許せなかった
あの日の私がいました。

私はAに嫌われたくなかった。
Aとの関係をうまくやりたかった。
私はAのことが好きだったんだと思います。


ひとりになったあの日、
こんな風に、原因を探るなんて
とてもじゃないけどできなかった。
この世のすべてから見放されたように思えて
なんで生きてるのかもわからない。
死んでやりたかった。

でも、あの頃の私に言いたい。

そんな思いを持ちながら
よくぞ今日まで生き延びてくれた。

君のおかげで
生きてて良かったと思えた出来事にも
たくさん巡り会えたから。


根本先生のブログ常連の
自立系武闘派女子
略して「自武女」(← 一発変換できるようになったど!)。

私は今でも、ザ・自武女!って感じの
気の強い雰囲気の女性が苦手です。

いつから?何故そうなったのか?
家族の影響も疑ったのですが、
なんだかしっくりこず。

いろいろ心当たりを探ってみたときに
突き当たったのがAでした。

Aとの関係を通して

  • 気の強い人には巻き込まれるかもしれない

  • ネガティブ感情を持ったとして、伝えるのが怖い
    (私の言うことなんてわかってもらえないだろう)

  • どうせ最終的には嫌われるに違いない

こんな思い込みを
自武女さんたちに勝手に重ねているんだと思います。


あの頃は、お互いそれしか方法がなかったとしても
なんて未熟で不器用な感情表現だったか。

その思い込みを外して
もっとちがう方法で関係をつくっていくことが
今の自分なら、できるのかもしれません。

そう思うと、
ずっと重かった何かがまたひとつ
溶けていくような感覚になります。


さいごに

ずっと封印していた出来事と向き合って
得た気づきがふたつあります。

まず、これを書くまで
「手紙事件」と「総シカト事件」は
全く別の出来事と思っていました。
でも、Aの中ではつながっていたのかもしれない
と、Aの視点で見られたのが、ひとつ目。

次、ふたつ目。
私はずっと私のことしか考えてなかった、ということ。
もしAに会うことがあるなら謝りたいと
何十年の時を経てようやく思えています。


ここまで書いたことは全部
この歳になった私の
薄い記憶と勝手な推察でしかありません。
起こったことをどうにか意味付けするための
こじつけでしかないかもしれません。

でも、それで良いと思うのです。
あの頃の出来事を、今の私なりに解釈することで
当時の私が報われ、今の私が生きやすくなるなら。


うまくまとまりませんが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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