自分のためだけではがんばれない自分
こんにちは。
響心(にこ)です。
なんかすごい濁点が多いタイトルですね笑。
今回は、私の原動力って結局
自分以外の誰かなんだな、という話を
ゆるっとしていきます。
どうにもスイッチが入らなくなり
自分の心に素直になろう、と思った日から、
いつまでもどこまでも寝てしまう自分がいます。
それはもう果てしなく。
それに飽きたときに果たして動けるようになるのか!?
というのは今まさに検証中。
でもそんな、永遠に寝ていたい私でも
一応(?)仕事はしています。
それは、これまで積み重ねてきた関係性があるからです。
私を信頼して依頼してくれるなら
その気持ちには最大限応えたい。
依頼してくれる人がいる限りは続けたい。
カウンセラー1本でやったるぜ!!
とならない理由はこの辺もあるかもです。
(自信がないってのもあるが。)
労働=お金 という、単純な側面もあるかもしれません。
私にはまだ自立していない子どもたちがいるし、
実家の家族も高齢であったり病気を抱えてたり、という
先立つものは多いに越したことはない状況です。
また、家族がいてくれてるから
日々ある程度きちんとした食事を取れている
というのは、私にとってとても大きいです。
(これは主婦あるあるかもしれませんね。)
どうも、自分のためだけに料理する気にはならないんですよね。
1人暮らしの頃を振り返ると、
①牛丼屋さん
②コンビニ
③外食
の3択だった気がします笑。
今の自分でも、ひとりになったら店屋物で済ませてしまいそう。
それどころか、昔より色が細くなった分
「食べなくてもいっかー」となりそうでコワイ。。
「誰かのために何かをする」という行為を
「いいように使われてしまう」
「恩着せがましい」と感じてしまい、
あまり良くないことのように思っていた時期もありました。
今思うと、周りにそういう人が多かったのは事実かもしれません。
(自分を低く見積りすぎていたので
自然とそういう人を引き寄せてたのもあるし、
純粋な善意は素直に受け取れませんでした。)
自分のために動くことが正義のように思っていて
長い間、その正義に則って生きてきました。
誰かのためにがんばるなんて綺麗事で、
所詮人は自分のためにしかがんばれないものだ
と思っていました。
でも最近は、そうでもないのかも、と
考えを改めざるを得なくなっています。
「睡眠の私」から「覚醒の私」にチェンジするときって
もれなく外的要因がきっかけなんですよね。
決して自分のためではないんです。
そしてそれが悪いこととも思わなくなりました。
結局人間って社会的な生き物なので、
誰かのためにがんばれる、動けるって
むしろ自然なことなのでは?とさえ思います。
ここで感じるのは
なんでも適度がいいよね、てこと。
がんばることも、過度は禁物。
誰かへの期待も、過度だと重たい。
良かれと思ってしたことに恩を着せるなんて言語道断。
適度ながんばり、というか
やらなければならないここぞというタイミングって
誰にでもあると思います。
その時、あなたは誰を思っていますか?