迷える者 & 迷わざる者 in Valley of Fire
戦争、貧困、地球規模の環境問題。目の前にある世界、そしてそこに横たわる現実は子供の頃に夢見た未来からは程遠い。日々悩み迷える者も少なくない。自分が誰なのかを探し求める者。生きる目的を見出せずに迷宮を彷徨う者。そして、炎の谷の奥深くで道に迷い途方に暮れる者・・・
端から道はないので、「道に迷う」と言う表現は適切ではないかもしれない。しかし、我ながら呆れる程よく道に迷う。初めてのルートでの長距離ランやトレッキングの際には、地図を読み込み入念な準備をする。よって道に迷うことはあまりない。
その一方で何気なしに、ふらっと歩き始める時はかなりの頻度で迷う。長距離を走ることが日常化しているためか、気が付くと遠くまで来てしまって、戻る方向があやふやになっている。田んぼでザリガニやおたまじゃくし探しに夢中になったり、赤トンボを追いかけているうちに帰り道がわからなくなった、あの頃からあまり成長していないようだ。
(園内には整備の行き届いたトレイルが数多くある)
ちなみに、私が幼少期を過ごしたのは武蔵野の地、「となりのトトロ」の舞台となった七国山の近くだ。実在する場所の名称は八国山。サツキとメイのお母さんが入院していた病院も存在する(した?)。となりのトトロの作者の宮崎駿氏は山の裏側(私から見た裏側なので、彼から見れば表かな)に長年住んでいたそうだ。当時の八国山は、小川や田んぼが多く残る里山っぽいところだった。子供にとっては最高の遊び場だ。ハサミが巨大で真っ赤なアメリカ・ザリガニ、通称マッカチンを友人達とよく採りに行った。当然、いつも泥だらけ。明るいうちに帰宅することは無かった。
今では八国山から数千マイルの彼方に住んでいるものの、頭の中はと言うと50歳を過ぎてなお当時とあまり変わっていない。そんな私の現在地はと言うと、バレー・オブ・ファイヤー。ラスベガスの北東1時間程のところに位置するネヴァダ州最大の州立公園。面積は185平方キロメートル、東京23区の三分の一程の大きさである。ロサンゼルス近郊の自宅を早朝に発ち、正午過ぎに着いた。気温は約33度。5月にしては涼しい方だろう。
園内に入るとすぐに「ハチの巣岩」が出迎えてくれた。燃えるような赤い岩が周囲を埋め尽くしている。ユタ州などにあるレッドロックはピンク身を帯びているが、目の前に広がるのはレンガの様な深い赤色だ。赤い物は熱いと脳が認識するためか、そこにただ立っているだけで暑さを感じる。地面を覆うのは粒子の細かいオレンジ色の砂。斜面を歩くとさらさらと流れ落ちる。
(蜂の巣の様な紋様の岩)
(きめの細かい砂が辺り一面を覆う)
ジュラ紀、恐竜たちが闊歩した1億5千万年程前に形作られたと言われる炎の谷、バレー・オブ・ファイヤー。その昔は海の底だった。海底部分が隆起し、堆積した砂の層が地表に姿を現す。長年に渡る雨風の浸食により今の姿となった。名前の由来である燃えるような赤い岩は、大量の鉄分を含有するアステカ・サンドストーン。その鉄分が酸化することにより燃える炎のような色を作り出す。
(ファイヤー・ウェーブ。異なったトーンのサンドストーンの層が波状にうねる)
一見すると生き物が生息するには適さない火星のような世界。しかし地表に目を凝らすとトカゲを始め、様々な生き物がいる。おそらくガラガラ蛇も沢山いることだろうが、藪を覗いて探すをほどモノ好きではない。
岩場には断崖絶壁をものともせず、干乾びた灌木を食むビッグホーン・シープの姿がみえる。あんなパサパサしたもの(カラカラかもしれない)、よく喉に詰まらせずに食べられるものだと、つくづく感心する。
(岩の上の方に一匹、下の方にもう一匹。干からびた草を食んでいる)
(至る所でビッグホーン・シープを見かける)
紀元前300年、アナサジ族の民が狩猟目的でこの谷に頻繁に足を運んだという。しかし水源が殆ど無く、生活に必要な水の確保が困難だったため、この地に定住することは無かったそうだ。現存するペトログリフ(岩石線画)は宗教的な儀式に使われたと考えられている。そこにはビッグホーン・シープと思われる動物の姿が数多く描かれている。
(トレイル沿いに幾つもあるペトログリフの一つ)
園内には短いハイキングトレイルが幾つもある。殆どは2~3㎞の平坦なルート。サンダル履きできめ細かな砂の感触を楽しみながら歩くハイカーも少なくない。
青空を背景に聳え立つ奇妙な形の岩々、足元には茹でたロブスターのような色をした砂、岩肌には古の人たちが残した数々のペトログリフ。短いトレイルではあるが、興味を掻き立てるもので溢れている。これらのトレイルは表示が行き届いており、迷うことは無い。然し、一歩トレイルを外れると話は別である。
ファイヤー・キャニオンを見下ろす高台。手前には黄色みを帯びた灰色の石灰岩。その先には燃えるような赤色の谷が見える。何気なく、あそこまで行ってみよう、と石灰岩の上を歩き始めた。方向音痴は今に始まった事ではない。歩き出す前に少し考えれば、ヤバそうだと気づく筈だ。学習能力が著しく低いのも今に始まった事ではない。これまの人生において幾度となく同じミスを繰り返してきた。
(ビューポイントからの眺め。近くに見えるが思いのほか遠い。望遠で撮影)
戻るべき頂きは谷底からでも見えるだろうとタカを括っていた。周囲の地形が酷似しており、頂きが一つではないと気付いたのは暫く時が経ってからだ。道に迷ったことを認めるのに、さほどの時は掛からない。「ヤバい、またやってしまった・・・」
傍らで音がする。視界を移した先にはビッグホーン・シープが二頭。その距離、僅か数メートル程。全く気が付かなかった。彼らも迷えるハイカーに気を留める様子はない。角の大きさからみて一頭はオス、もう一頭はメスだろう。トコトコとメスがオスの脇を通る。極乾の地に棲むことを余儀なくされたビッグホーン・シープ。すれ違いざまに、オスが本能に従い咄嗟の行動をとった。私のことが全く眼中になかったのも、当然と言えば当然だろう。
彼には種の保存と繁栄と言う大事な役割が与えられている。生命の営みを将来へ繋げるという明確な目的を持つビッグホーン・シープ。「迷い」とは一切無縁の様だ。
私の方はと言うと、迷い彷徨うこと約一時間。何とか炎の谷からの脱出に成功した。今回の脱出劇の立役者は(本当はそれほど大袈裟なものでもないのだが)、いつも「当てにならない」、「飛びまくり」などと文句を並べている、ガーミンGPSウォッチであることは疑いの余地もない。こっちの頂きかな、あっちかな、と狼狽える私を ”Back to Start” なる出発地点を矢印で示す機能(いつも期待に応えてくれる訳ではない)がしっかりサポートしてくれた。ガーミン様にこれまでの非礼を詫びる必要がありそうだ。
翌日の午後、炎の谷は一寸先も見えないような凄まじい砂嵐に見舞われた。
By Nick D