15ソルフェージュの思い出 音大受験生と同じクラスに

ピアノのH先生がエレクトーンのT先生の音楽教室に迎え入れられてにすぐの頃だったと記憶している。T先生の発案で、T先生の音楽教室の生徒たちは、無料で毎週土曜日はソルフェージュの集団レッスンを受けることになった。

ソルフェージュというのはとても大切だから、とのことだった。私は後にそれを痛感するのだが、当初はなんのことやらさっぱり意味がわからなかった。

これは、ミニコンサートと同様に、T先生が自分の教室を立ち上げた際にやりたかったことのうちの一つだったのではないか、と思う。

クラスは3クラスあったと記憶している。レベル別だったのか何だったかのか覚えていないが、小学4年生頃だった私は、同年代の子供たちのいるクラスに入った。6人くらいだったろうか。写真が残っているので、よく覚えている。

H先生のソルフェージュは、聴音中心だった。すぐに他の子供とレベルが違うことに気づいた先生は、私を違うクラスに入れた。少し年上の生徒のいるクラスに入った。そこには、エレクトーンの上手な雅子ちゃんもいた。私を入れると3人くらいだったような記憶がある。

雅子ちゃんは聴音が得意だった。すらすら書いていくのをみて、すごいなーと思った。私も、追いつきたくて、H先生に早く正確に書き取るコツというのを教わって実践していた。すると、かなり得意になってきた。

雅子ちゃんがいつ頃やめたのか覚えていないが、そのクラスが維持できなくなったのと、何となく物足りなくなってきたのを感じたH先生は、私を音大受験の準備をしている生徒のクラスに入れた。

上野学園のピアノ科の高校に通う生徒と同じクラスだった。彼女は、大学は武蔵野音大に進みたいということで、H先生のレッスンを受けていた。

ハ音記号の読み方は慣れなかったが、得意の聴音やリズムでは全然困らなかった。4声までは楽に取れた。

T先生の発案で、訳のわからないままはじめたソルフェージュだったが、毎週が楽しみだった。ゲームを攻略するような感覚だった。

しかし、2年もしないうちに、土曜日の無料ソルフェージュレッスンは廃止されることになった。おそらく、H先生の負担の割にはソルフェージュを続ける生徒が少なかったからだと思う。最初のクラスで一緒だった子供たちは、とっくに辞めてしまっていた。そもそも、ソルフェージュ大好き!なんて子供は、今も昔もほとんどいないだろう。

その頃小学6年生になった私は、塾が忙しくなってきたので、ソルフェージュにまで通う余裕がなく、クラスが無くなってちょうどよい時期でもあった。

振り返ってみると、自分のレベルにあったソルフェージュレッスンを受けていたのは、多分1年くらいだったと思う。しかし、このたった1年の経験が、大学でジャズをやっていた時も、クラシックの作曲を勉強していた時も、またフランスに来た後も、大いに役に立つのであった。

T先生とH先生には、感謝しかない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?