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食の形骸化をどう思うか①

難しそうなタイトルを付けたが、これはインスタ映えが嫌いな、いかにも天邪鬼大学生の戯言である。

別に私はインスタ映え自体が悪いとは思っていない。Instagramという自己顕示の場で、写真や動画を通じて表面上だけ自分を良く見せることは至って一般的な行為であると思う。

ただ一つだけ、「食」の分野に関してのインスタ映えを狙う人には疑問を呈したい。

私は昔から「美味しい」ご飯が好きだった。そのため、今では人一倍食に興味があり、みんなより飲食店に行ったり、料理にお金を掛けたりしていると思う。

恐らく大学生のエンゲル係数ランキングがあれば、トップ10には入っているだろう。


そんなご飯好きな私は最近、食に関していかがなものかと思ったことがあった。

それは友人と京都でもかなり有名な中華料理店を訪れた時のことである。2人で料理を決めて注文し、すぐに1品目のチャーハンがきた。

そしてあつあつの内に食べようとしたら、彼女が「注文が全部来てから写真を撮りたいから待って!!」というのである。

私は看守に手をくくられた囚人のようになすすべなく、冷たくなっていくチャーハンを傍観しながら、全ての料理が出てくるのを待った。


そして彼女は机一面に広がった料理をああでもないこうでもないと言いながらお皿の配置やカメラの角度5mmずつくらいを変え、最適な位置でおしゃれに写真を撮った。

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この時、1番最初にチャーハンが来てから15分は経過していた。そして「食べてもいいよ!」というGoサインが出たころには、既にチャーハンは冷たくなって死んでいた。

これなら冷食のチャーハンを買って家で家でチンして食べた方がよっぽど美味しい。


そして彼女は上記のものよりもオシャレに取れた写真をストーリーに載せた。この時私は、インスタ映えを狙った写真を通じて、「美味しい中華料理を食べに来たのではなく、有名で美味しい料理を食べているおしゃれな『私』」を表現するために料理を食べに来たのではないかと思った。


これは食の形骸化ではないか!

本来、料理は最高の「美味しさ」を味わってもらうことに本質的な意義であると思う(少なくとも今回のチャーハンの身になれば、熱いうちに食べてもらいたかっただろう、、、)。

この時私は、美味しいものを食べたいという「目的」のために料理は存在するのであって、自分を良く見せたいという「手段」のために存在しているのではない!と思いたくなった。


料理はやっぱりあつあつの内に食べるべきだ。

次に誰かがインスタ映えのために写真を撮ろうと食べさせてくれない時は、シャッターチャンスの瞬間に一口料理をつまんで意地悪してやろうと思っている。



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