プールで本気で泳いだ(やってみたいをやってみる2)
水族館に行くと「いいなぁ」と思う。
すーっ、と目の前を進んでいく生き物をみていると、どうして私は水中で暮らしてないんだろう、と悔しくなる。
いちばん羨ましいのはエイで、どこにも余計な力が入っていないように見える。
あんな風にゆったりと、飛んでいるみたいに泳ぐのが、夢。
物心つく前からスイミングスクールに通い、中高と水泳部だった私は、泳げないという感覚がよくわからない。
水の中の方がずっと自由だし、海を目にすると、どこにでも行ける気がする。
泳ぐのは好きだけど、高校の部活を引退してからは泳ぐことがほぼなくなった。
理由は単純で、水泳というものは、面倒なのである。
水着とタオルを用意して着替えないといけないし、泳いだ後は髪を乾かしてメイクを直さないといけない。
濡れる、ということは地上で生活する人間にとってとにかく面倒。
だから、ずっと水の中にいられたらいいのに、と心から思う。
でも、「やりたい」が「面倒」に負けてばかりな自分を変えたいなと思い、ようやくプールに行った。
泳ぎたいというのもあったし、部活を引退して10年以上ろくに泳いでいない自分がどれくらい泳げるものか知りたかった。
週末の市民プールは、私以外みんな常連、みたいな雰囲気だった。
久しぶりの25メートルプールは、記憶よりもずっと小さい。
プールサイドでシャワーを浴びて、帽子とゴーグルをつけて、プールに入る。
レーンは、歩行用、練習用、長距離泳ぐひと用、と目的が分けられている。
どれくらい泳げるかわからなかったけれど、とりあえず一往復、と決めて泳ぎ始める。
水の中は静かだ。
水泳が好きな理由のひとつに、泳いでる間ひとと話さなくて済むから、というのがあった。
小学生の頃に「泣いててもバレなくていいな」と思ったことを思い出す。
小学生の私は、それを根暗とも思っていなくて、ゴーグルに溜まった涙をこそっと捨てていた。
思ってたよりずっと重たい水の中、腕や足を動かすと、そのたびに身体が前に進む。
自分が動くから進む、ということが気持ちいい。
普段歩いているときだって、足を前に出すから進んでいるのに。
自分の身体を動かして進んでいるとか、息を吸って吐いてを繰り返しているとか、そういう当たり前のこと、水の中だと意識できる。
自分の身体がいまここにある、ということを実感できる。
クロールで50メートル泳いだだけで、ものすごく息が上がった。
情けないなぁ、と自分に負けた気分になる。
続けて100メートル泳ぐことすらできない。
過去の自分ができたことができなくなるというのは、悔しい。
そっか、悔しいって感じるんだ私、と自分に驚く。
悔しい、っていう気持ちがいつ振りかわからなくて、そういう日々を過ごしているな、とちょっと虚しくなった。
休みながらでも今日絶対に1キロ泳ぐ。
そう決めて、往復してはひと息ついて、500メートル泳いだところでプールサイドのベンチで休んで、ゆっくりゆっくり、1キロ泳いだ。
気持ちよかった。
泳ぐこと、というか水の中に存在するということが、好きだなぁ、やっぱり。