猫のゆりかご①
好きな小説の一つです。
カート・ヴォネガット・ジュニアさんか書かれた
小説。皮肉的な表現が多く、そこがとても大好き
です。
この小説で、一番好きな部分。そして学びを感じた部分を書いて行きたく思います。
この小説には「ボコノン教」という宗教が存在します。この宗教はこの話のなかで要でもあります。
この宗教の経典第1節。ここが堪らなく好きです。
そのまま引用します。(経典かバイブルか、どちらも明確には違うと思いますが、ここでは経典と表記させて頂きます。)
「わたしがこれから語ろうとする様々な真実の事柄は、みんな真っ赤な嘘である」
ボコノン教徒のわたしの警告は、こうだ。
嘘の上にでも有益な宗教は築ける。それがわからない人間には、この本はわからない。
わからなければ、それでいい。
痺れましたね。経典の第一節もそうですし、そこからの主人公の語りにも感心します。
まずは経典から。だいぶヤバい宗教ですよね(笑)。この教祖嘘しかつかないらしいです😐
でもここで疑問です。
嘘しかつかない教祖の第1節だけは真実なのか。
今から嘘しか書かないと言われているこれ事態嘘なのではないか。
このように、語られた物事に精査をかける目。
生きていく上で必要な能力だと思いませんか?
情報リテラシーの向上が必要だと言われてる今は特に必須なのではないでしょうか。
宗教に入る利点は生きる上での指針が決まることだと思います。ぶれない価値観は謝りか否かはさておいて、生きる上で着々と前進できる素晴らしいものだと私は考えています。
それを踏まえ、このボコノン教はまさにあらゆる真実をよりクリアにする過程を自分に与えてくれるような宗教に思えます。
よくよく考えたらですが、あらゆる宗教で語られるあらゆる奇跡は本当なのかと問われたら、考えものですよね。手からワインを出したと聞いた時、神かマジシャンかはわかりませんよね。
まさに、あらゆる物をすぐ真実だと認めず、疑う目から自分の物差しの精度を磨いていく。
己を磨いていけるきっかけをくれた良い宗教です。
と、このように本を読み始めたタイミングでは、とんでも宗教に思えましたが、読み進めるに連れて気がついたら自分がボコノン教に入ってました(笑)。
というか、そもそもボコノン教に入っていると言うのでしょうか?
書いていることは全て真っ赤な嘘だから、信仰するカテゴリーにそもそも入らないのでは?😅
まぁ、結果私は己を信じる道を選べました。
宗教をツールとして使う距離感。ここも私はしっくりきています。是非読んでみてください!
次回は、この宗教を信仰している主人公の発言に焦点を当てて感想を書いていきたく思います🤔
また、上記に書いてある、真実という熟語に対して、事実と対比する形で読み解いた記事も書いています。興味があれば是非見てみてください。
(下記リンクから飛べます。)
https://note.com/nichi0025/n/n69060292091b
面のゆりかご