![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/118105661/rectangle_large_type_2_aabaf739d85e21562c9e0eb7de65e2fa.png?width=1200)
「本日は、お日柄もよく」を読んで。
困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思ったとき、想像してみるといい。三時間後の君、涙がとまっている。二十四時間後の君、涙は乾いている。二日後の君、顔を上げている。三日後の君、歩き出している。
本書はWEBマーケティング職をしている自分にとって、そしてnoteで一生懸命文章を書く練習をしている自分にとって、語彙力や文のリズム感、そして単なる表現力を超えて魂を込めた文章というものを思う存分堪能できる、読んでいてすごく心地の良い小説だった。
だがしかし、最終的には引用した上の名言があまりにも自分に響きすぎて、とても勉強になったはずなのに、読後はこの言葉しか頭に残らなかった。
2年前、過呼吸に襲われ会社に行けなくなったあの日、この言葉に出逢っていたら、今頃どうなっていただろう・・・。
もちろん、今は(悩みや不満はいっぱいあるが)それなりに充実した日々を送れているし、今考えても当時の仕事は自分に向いていなかったと思うし、「仕方なかったがこれでよかった」と心から思っている。
だけれども、やはりこのことに対して心の底では後悔、悔しさ、みじめさを感じているのかもしれない。だからこそ、この文章に出逢ったときに、すぐに当時のことを思い出し、「もし・・・なら」と考えずにはいられなかった。
過ぎたことはもう戻れないので仕方がない。人生には各々タイミングというか、「必要なときに必要な出来事が起きる」ということは往々にしてあると思う。
当時はこの言葉に出逢っていなかったが、今幸せならそれでいい。
そして、この言葉に出逢えたこれからは、この言葉が自分がこれから困難に遭遇したときに必ずや力となってくれるだろう。
自分は良くも悪くもそう簡単に感動しないので、やはりそれだけこの言葉が自分にとって衝撃だったということだろう。
これを自らの考えとしてではなく、あくまで物語の中で登場人物に自然に言わせる作者には強く関心させられた。