さつ

大学生

さつ

大学生

最近の記事

架空の日記

ありったけの虚栄心と、偽りの勇気を抱えて、毎日家を出ます。 街中で、正面から一人、また一人と影が見えるたびに私の全身の筋肉はこわばり、その人影が実体となって接近し私とすれ違う時には、いよいよ平常心が保てなくなるのです。前夜からえっさえっさと蓄えておいた何層もの表皮は、その度に情けなく全身から剥がれ落ち、家に帰る頃にはすっかり丸裸です。 けれども、幸か不幸か感覚麻痺が進行しているようで、恥ずかしさというものはとうに感じなくなりました。ただ残るのは、諦めからくる確かな微笑、そ

    • 自己紹介

      こんにちは。さつと申します。 実は既に2つのnoteを投稿していて今更感は否めないのですが、簡単な自己紹介をしようと思います...! 是非最後まで読んでくださると嬉しいです。 自己紹介関東在住の大学生です📚 高校はダンス部だったので踊ることが大好きですし、また息抜きでよく文章も書いています。きっと自己表現が好きなのだと思います。 音楽はJPOP、KPOP、洋楽の順でよく聴きます。特に米津玄師さんの紡ぐ日本語や考え方が好きで、最近一番よく聴いているアーティストさんです🌾

      • 純文学が秘める力

        純文学と、内攻性。 この二つの言葉が隣り合わせに存在することは、特に不思議なことではないと思う。例えば、シリアスなテーマの純文学作品を読み終えたときに、なんとも言えぬ奇妙な感情のレイヤーが自分の内側で芽生え、また発達する感覚は、多くの人々が共有する体験のように感じられる。 1. 大衆文学・純文学の定義 そもそも、大衆文学と純文学の違いや正式な定義が曖昧であることはご承知の通りだが、しばしばそれらは目的の違いを焦点に演繹的に分類され、また個々人によって独自に定義される。最もよ

        • エロティシズムの果てに金閣を見るか(三島由紀夫-金閣寺)

          右は現実で、左は虚構だった。 右は赤く、左は黒かった。 左手に残る微かな感覚を頼りに二つの世界の瀬戸際を彷徨い、到頭左手の親指と人差し指がお互いの存在を確かめ合った時、"エロティシズムの果てに金閣を見るか"という感懐は容赦無く私の心臓を突き、滔々と私を掣肘する主題となった。 三島由紀夫の金閣寺は、私に怨敵を譲るや否や一閃の稲妻の如く姿をくらましてしまった。それは美、それは吃音、それは認識、それは行為、それは模倣、それは嫉妬、それは自惚れ、それは存在であり、私はそれらを"エ

        架空の日記