震災遺構を訪れて③女川の復興を見て思ったこと
そこは、都内のおしゃれなカフェのある一画といえるような、
軽井沢のハルニレテラスを彷彿させる「小さな街」だった。
三連休の中日。多くのカップルや家族連れの人であふれており、笑い声があった。
ソフトクリームが売り切れていたので、クレープを食べてぼんやりしていると、
どこからかライブの音楽が聞こえてきた。
もともと地理に疎く、今回の旅行は予備知識なく行くと決めていた私にとっては、この街の
3.11の前の姿、3.11直後の姿は想像つかなかった。
少し散歩をすると、基礎部分がむき出しになった旧女川交番、七十七銀行女川支店の跡地には、慰霊碑があった。従業員12名がお亡くなりになられたり、行方不明だったニュースは聞いたことがある。
2年前にこの地を訪れた主人と息子は、私にここを見せたかったらしい。
新しい街。
すべてが流された後に出来た街。
ここまで来るのにどれだけの人の力が必要だったのだろう。
どれほどの悲しみの上にこの街は出来ているのだろう。
改めてネットニュースで見ると、女川は、復興のトップランナーとも言われているらしい。
海とともに生きることを決め、安全な居住を確保し、人が集まる街を作った。
テラスから振り返ると海が見えた。海のにおいがした。
旧女川交番の近くに、復興計画に関する掲示物があった。
その中で印象に残った言葉がある。
「還暦以上は口を出さず。」当時の商工会長が、10年20年かかる復興の結果を見ることができないかもしれない自分たちは、アドバイザーとなり、世間に叩かれたときの盾となる。
だから、これからの世代に復興計画の中心となるように、働きかけたという。
https://www.sankei.com/article/20210310-YQP4Q3JLRZOVTCRRE3SPGVLWZ4/
人口の一割を震災で奪われたこの地の復興から、私はきちんと自分事として受け止めたいと掲示物の言葉を噛み締めていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?