あえて”空気を読まず”に言ってみる
日本人は、“空気を読む”人種だと一般的に言われる。子供の中学入試向けの国語の教材でも“物事をはっきり言う”欧米人と比較して“あいまいに”“空気を読んで”伝える日本人を比較した評論文は何度も読んだ。おそらくこの刷り込みを読み学んだ子供も、日本人は空気を読んで曖昧に伝える人種だと刷り込まれて成長するのだろうか。
医療安全管理者として働いていた頃、組織の中で人(特に上の立場の人)に伝えることは、ここまで気を遣わなければならないのかと実感する場面に何度も遭遇した。
もちろん役職なしのスタッフが、「今の組織のやり方はおかしいよね。」と同僚達と言うのはお酒のつまみみたいなもので、一般企業に勤めていたときも何度もやっていたけれど。
その組織を動かす側の人たちも、また更に上の立場に気を遣ってなかなか言わない。
だから、あっちの人にいって、その人がなんとか〇〇して、それからようやく当事者にたどり着く。そんなことをしていたら、あっという間に2ヶ月位過ぎてしまう。
これじゃあ、スピードが命の一般企業とは異なるとは言え、病院だってタイミングをのがしていると思うことが何度もあった。
そしてもう一つ思うこと。これじゃあ、組織の上の人は“裸の王様”になってしまう。
だってみんな気遣って本音を言わないんだから。
看護師長には、周りの空気を読まず声を上げるべきタイミングがあると私は思う。
研修で習うような①相手を気遣い認める→②ネガティブな事実伝える→③相手を認め期待していることを伝えるなどの方法ではなく。どストレートに。
きちんと声に出さないと、伝わらない相手もいるから。
自分より立場が上の人に伝えるときには、パワハラにもならないっし~、まあいっか。と割り切ってしまうこともある。
ただ、その際は、自分の感情ではなく“何を目的として”“どんな結果を期待して”相手にとって不快になるかもしれないことを声に出すのかを考えるようにはしている。
一瞬“今、それを言うのか?おまえが言うのか?”という雰囲気になったこともあるが、あえてその空気に気づかないふりをして“こいつ空気読めないな”と思われてもよしとしている。
意外と同じことを他の人も思っており口火を切れなかっただけというケースもいくつもあるので。
以前研修で、人に指摘するときの方法として、
ねぎらう(ほめる)→指摘する(注意する)→ねぎらう(ほめる)というサンドイッチの伝え方を一例として講義を受けたが、この方法では伝わらない人もいると実体験で感じる。
じゃあ、そんなときはどうすればいいのかというと医療安全のチームステップスの2回チャレンジルールになぞらえてみることがある。
もちろん自分の言葉やタイミングを変えての2回チャレンジもあるだろう。
人を変えて伝えてもらう2回チャレンジもあるかもしれない。
知床の遊覧船の事故後のネットニュースで思ったことは“そんなに危ない運行を行う会社だったんだ。そしてそれに気づいていた人は周りにたくさんいたんだ”ということだった。
どうしたら防げたのだろう?どういうふうに声をあげればよかったのだろう?
検査制度の不備や国の制度が不十分だったのかもしれないが、気づいていた人がたくさんいたのに防げなかった結果が悔しい。
私は“安全な医療”を提供するためならば、きちんと声をあげていきたい。
そして、部署の中では私も裸の王様”になる可能性があることはきちんと認識していたい。