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ロンドンは釧路を思わせる街だった

 9月4日正午過ぎ、ロンドン・ガトウィック空港に降り立った。3日夜にモスクワ・ドモジェドボ空港で先輩(夫)とポピ子(娘)と別れ、早朝のアラブ首長国連邦・ドバイ空港で約2時間トランジットしてロンドンへ。片道約14時間かかったから、直行便で日本からロンドンへ来るのと時間的に大差ない。モスクワ―ロンドン直行便があった頃は片道約4時間だったというから、本当に不便になったものだ。ところで、私にとってこれが初めてのロンドンである。
 
London School of Economics and Political Science(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカルサイエンス)の学生寮の入寮日は15日なのだが、私はEarly Arrival Booking(早期到着予約、以下EAB)制度を利用して、6日に入寮した。理由はいくつかあるが、最大のそれは、モスクワで入手できない課題図書があって、それをロンドンで購入して読んでおきたかったからだ。
 
しかし、EABを実行するのに、ここでも困難に直面した。モスクワでは制裁のためにVISAやMasterが使えず、クレジットカード決済のみ受け付けているEABの支払いができないのだ。考えた挙句、一度ロンドンのホテルに入り、そこで支払いをしてから入寮するという二段階方式を採用した。これが高くついた。
 
EABの支払いから入寮まで2日を要するため、ひとまずロンドン南西部にあるヴィクトリア駅近くのB&Bホテルを2泊3日で予約したのだが、それだけで計約3万円支払った。

ガトウィック急行が到着するヴィクトリア駅
駅周辺は旅行者や通勤客でにぎわっている

朝食や夕食は出ないため、基本的に外食になったが、スターバックスでアイスラテ(S)とクロワッサン1個を注文して約1400円。マクドナルドのハッピーセットを注文したら約900円。辟易して総菜店で黒パンのサンドウィッチ一つを購入したら約千円。勘弁してくれよ、と入った近くのスーパーマーケット「Sainsbury’s」(セインズベリーズ)で辛ラーメンのカップヌードル1個と大きめのミネラルウォーター1本を買って、ようやく約470円まで下がった。それ以来、スーパーマーケットは私にとって憩いの場である。ちなみに、寮へ出発する6日の朝に、本場のスコーンが食べたくて立ち寄ったヴィクトリア駅近くのケーキ屋さん(ガイドブックに載っていた)は、「クリームティー」というスコーン二つと紅茶のセットで約2750円。ロンドンに到着3日目にして「外食は二度としない(コーヒー以外は)」と心に決めた。

「クリームティー」というスコーンと紅茶のセット。高かったけどおいしかった

さて、表題の件だが、ロンドンの一体何が釧路を想起させるのか。それは夏の涼しい気候と曇り空、そしてたまに発生する霧である。さらに緑豊かな街並みと、すぐ近くに生息するリス(ほぼ毎日見る)、キツネ、シカなどの野生動物だ(テムズ川にはたまにイルカの群れが現れるらしい)。こうした気候・自然が私に、心の故郷・釧路を思い起させるのである。

6日午前11時にホテルをチェックアウトし、タクシーに乗ってロンドン南東部のサザークという地域にある寮に向かった。天気はロンドンに到着した4日からずっと不安定で時折、雨が降る。空気はひんやりし、この日は少し霧が出ていた。「なんか天候が釧路っぽいなぁ」と思って窓の外を見ていると、車はテムズ川に架かるランベス橋に差し掛かった。そこで見えたのは、一つ北側のウェストミンスター橋のたもとにある、てっぺんがガスって見えなくなっているビッグベンだった。私はハッとして、「これは……完全に釧路川にかかる幣舞橋(ぬさまいばし)から見えるキャッスルホテルじゃないか!」と叫びそうになった。

夏の釧路は曇天で肌寒く、霧深い。11年前の5月、東京から釧路の事業所に赴任した私は、お日様の見えない日々に鬱々としていた。また、都心の高層ビルに通勤し、表参道や丸の内で流行しているファッションや人気イベントなどをメディアで紹介していた私にとって、ラムサール条約に登録されている雄大な釧路湿原がすぐそばにあり、カヌーの聖地として知られる釧路川が太平洋に注ぎ、少し街はずれに車を走らせると霧の中からタンチョウやエゾシカやキツネ、リス、テン、たまにヒグマが現れるような野性味あふれる環境は、カルチャーショックでふさぎこむのに十分だった。私にとって、釧路はまさしく「異国」であった(注1)。

そんな鬱々とした私を見かねたある先輩が私に「知ってる? 釧路はロンドンと緯度がほぼ同じなんだよ(注2)。気候も似ていて、夏は涼しくて25度いかないんだって。つまりここはロンドンだと思えばいいんだよ」と謎の激励の言葉をくれた。余裕がなかった私は「はぁ」と苦笑するばかりだったが、11年経った今、「あの先輩が言っていたことはあながち間違いではなかった」と独り言ちた。すごくおおざっぱに言えば、北海道東部の経済の中心地・釧路(実際、2024年9月時点で日本銀行釧路支店が存続している)に世界各国から人が集まって、人口が900万人ぐらいになると(ちなみに2024年8月時点で約15万人・注3)ロンドンにかなり雰囲気が近づくということだ。

そんなことを考えていたら、見知らぬ街・ロンドンに急に親近感がわいてきたので、なんとか楽しく過ごせそうである。
 
(注1)2013年当時、釧路市内に貼ってあった観光ポスターのキャッチコピーは「釧路という異国」。好評だったのだろうか、22年から釧路市役所ブログのタイトルになっている。
 
(注2)実際は、ロンドンは北緯51度、釧路は北緯42度なので、10度くらい高い場所にある。
 
(注3)釧路市住民基本台帳人口https://www.city.kushiro.lg.jp/shisei/toukei/1007125/1007126.html

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