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秋学期前半を振り返る(第1週~第6週)・学習編

9月30日から授業の第1週が始まり、なんとか1カ月半、無事に乗り越えることができた(たくさん傷付くことはあったけれど)。まず、とにかく忙しい。生活するのに必要最低限のことをしている以外はほぼ机で勉強している。それでも予習・復習が追いつかない。
 
▽叩き込まれる知識
私の秋学期の時間割は、月・木・金に講義(大教室で教員が概要を説明する授業)があり、それに付随するセミナー(学生が少人数で講義の内容を議論する授業)が月・火・木に入っている。1つの講義とセミナーで課される読書はだいたい3冊。それが週に3つなので、3×3で週に9冊の論文を読まなければならない。1週間で9冊、2週間で18冊……と週を追うごとに読書数が9の倍数で増えていく。一つの論文はだいたい15~30ページあり、1冊ずつ全ての内容に目を通していると時間がいくらあっても足りない。いや、日本語であればできる。しかし全て専門的な英語で書かれているので、非常に悔しいが、序論と結論に目を通してだいたい分かった気にならなければならない。これをこなすのが肉体的にも精神的にも、とても大変だ。ただ、全ては自分の興味のあるトピックなので、つらいけど、面白い。

そうして週を追うごとに読書のこなし方に慣れてきたと思うと、セミナーでのプレゼンテーションが回ってくる。私の学科でよく言われる読書量の目安は、「3・6・9・12の原則」というもので、セミナーに参加するなら3冊、プレゼンテーションをするなら6冊、1500ワード程度の小論文を書くなら9冊、3000ワード程度の小論文を書くなら12冊と相場が決まっている。つまり、プレゼンテーションをするなら、セミナーで課されている3冊にプラス3冊足さねばならない。これがものすごく負荷がかかる。週に9冊読むのでいっぱいいっぱいなのに、プラス3冊である。プレゼンテーションが2週連続で続くともうカオスである。結果、寝不足となり、朝早めに起きて弁当作りはおろか、せっかく購入した自転車での通学すら危険すぎてできず、バスで半分寝ながら通学するという生活になっている。

LSEのキャンパス。最近は曇り空が続く

▽80ページのスライド
講義と言えば、教員が1時間半から2時間程度、専門的な内容を時間に追われながら早口で、冗談を交えてしゃべるので、10~20%の理解にとどまる。出国前、留学エージェントから大学院での英語でのノートの取り方(コーネル方式など)の習得の重要性を教えられたことが懐かしい。効率よくノートを取るどころか、英語が聞き取れないので何も書けない。というか、授業内容が全て初めて知ることなので、全てノートを取って頭に叩き込む必要がある。しかし、授業が聞き取れないのに一体どうすればいいのか? そこで大変役に立つのが、大学が学生に提供している授業のレコーディングでの復習である。しかも字幕が付いている。これがなかったらどうやって勉強していたんだろう? と思うくらい重宝している。

さて、このレコーディングを使っての復習だが、2時間の講義で、80ページあるスライドを見ながら、A4用紙50ページ分のスクリプト(字幕)と取らし合わせて勉強するとなると、1日10時間程度机に向かっても終わらない。情報量が膨大過ぎる。しかし全て私にとって大事な情報なので、約2日かけて復習する。これもなかなかの負荷がかかる。
 
▽現金給付について小論文を書く
振り返ると、ウェルカム・ウィークで学生が元気にあいさつを交わしていた時が微笑ましい。みんな、週を追うごとに寝不足となり、ストレスが溜まり、疲労が蓄積してドロドロになってくる。第4週あたりでなんとかこの生活習慣に慣れてきたかな、と思うと、それを見越していたかのように、大学はフォーマティブ・エッセイ(Formative essay)の提出時期に入る。

この1500ワード程度の小論文は、授業の成績評価には入らず、学期末のサマティブ・エッセイ(Summative essay)の練習として課される。ちなみにサマティブ・エッセイは成績評価に入る3000ワード程度の小論文である。フォーマティブ・エッセイはあくまでも「練習問題」であり、教員たちは「出すのは任意だけど、絶対出した方がいい」と強く推してくる。というわけで、3つのフォーマティブ・エッセイを第5週から第6週にかけて授業と並行して書くことになり、読書量は跳ね上がる(もう数えない)。

ちなみに開発学のエッセイで私が選んだお題は「条件付き現金給付は『変革的』か?」というもので、「無条件」現金給付を激推ししている私は、「絶対に無条件現金給付の方が社会を変革できる」などという主張を立て、あまり客観的でない(学術的ではない)論文を書いてしまった。おそらく専門家による冷静な赤字が入った論文がそろそろ戻ってくるだろう。

学生寮の近くで見かけたリス

▽「私、眠いわ」
絶賛、フォーマティブ・エッセイを作成中の第5週の開発学のセミナーで、非常に興味深い光景が見られた。ラウンドテーブルで一緒になった学生たち5、6人と、与えられた議題に対して議論する機会があった。確か、テーマは「なぜ開発援助はうまくいっていないのか?」で、4つの選択肢から1つを選ぶことになったので、私たちは「ドナー(主に西側の富裕国)による開発アジェンダの設定」を理由に挙げた。

5~10分ほど各グループで話し合い、その結果を発表することになっていた。私たちは、とにかく何か知恵を絞らなければならず、「開発手続きの受益者を巻き込んだ民主化が必要である」という結論に至った。それから、それを実現させるためにどうしたらいいのかを考え、「たぶん、SNSの活用」(なぜなら大手メディアはどこの国でもたいてい政府のコントロール下にあるから)とか「たぶん、国内の小さな市民団体の連帯」など、とりあえず今の状況で考えられることを挙げていった。ここで重要な事実は、みんな、疲れすぎて頭が回転しない、ということである。

なんとか私たちのグループの意見表明を終え(パキスタンから来た聡明な男子学生に全て任せた)、隣のグループの発表に移った時、私はあることに気付いた。私のグループの誰もが(私も含めて)、疲れ切って呆然としていたのである。誰かはスマホを見たり、誰かは視線の焦点が定まっていなかったりした。誰もほかのグループの発表を聞く余裕などなかった。その光景を見た私はぼんやりと、「私たちはものすごくハードな、長い長い夏期講習合宿をロンドンでやっているのだろうか?」と思った。メキシコから来た女子学生は隣で、「私、眠いわ」とつぶやいた。

そしてこうなること(つまりだいたい1カ月くらいで学生がドロドロになること)をさらに見越してか、大学は第6週から「リーディング・ウィーク」という読書週間を設けている。この週は表向きは読書週間だが、余裕のある学生にとっては短期休暇とも取れる。つまり、「少し休んで体力を回復し、さらなる勉学に励めよ」という大学からの思し召しであろう。しかしもちろん私のような学生にとっては小論文の作成や講義の復習に全ての時間を取られてしまうので、体力が30%ほど回復できればいい方である。

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