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自身の送別会に期待値を下げて臨んだが、悲しかった話
部活の後輩(大学4年間陸上部に入っていました)に、送別会(追いコン)を開いてもらいました。
悲しいことがあっても、辛いことがあっても、
平気なフリして、気持ちを飲み込んで生きてきたことの方が多かったのですが、
気持ちを消化しないまま飲み込むと
のちのち消化不良になることも多くて。
今日は、消化しきれなかった悲しみと、
どうすればよかったかなという話を書きます。
そもそも送別会とは
送別会(そうべつかい)。
部活の直続の後輩が、私のために開催してくれた。
卒業するのが私だけだったから「私のために」
と表現している。
開催してくれたこと、
とても嬉しかった。
ここ3年間は、開催する側、だったから。
だから、だからこそなんだけれど、
楽しみにしていたからこそ、悲しかった。
送別会とは、なんだろう。
私自身、送別会とは、
──────
出ていく人への
感謝やエールを
伝える場所
──────
と、認識している。
認識が私とは
少しズレる人もいるかもしれないし、
感謝の伝え方はいろいろ、
というのもわかる。
が、今回の送別会では、
「ありがとう」も、
「頑張れ」も、
写真撮影や、プレゼントも、
何事もなく、
ただお会計をして終わった。
というふうに感じたのである。
百歩譲って、
「感謝の仕方がわからなかった」
なら、まあ仕方ない。
京大生とは、
そういう人もけっこういるから。
悲しいことに。
うん。
開催してくれた後輩たちは
感謝の仕方を、送別会を、
知らなかった可能性がある。
が、しかし、
直属の後輩は、
お会計の際に、こう語った。
「ごちになります😋」
はぁ⤵︎⤴︎
どゆことやねん笑笑
ごちになるのはいいけど、
えーと、
私に対して何か思ってくれてる?笑
さすがに、悲しかった😭
や、送別会ってなにー?笑笑
期待値を下げまくって臨む自身の送別会
話は準備に遡る。
この時から私は期待値を下げに下げまくっていた。
悲しまないために。
少しずつ話そう。
そもそも、私の部活の所属する種目の送別会は、
現役部員から、出ていく方(今回なら私)の5個くらい上の先輩まで送別会の案内が行き、そのうちの8割くらい来てくれるのが毎年のことだ。
(1回のときのM2くらいまでの先輩)
その先輩方は、研究を続ける人以外は、
京都におらず、各地で仕事をしている
社会人がほとんど。
基本、平日には来れない。
ということは、
かなり前から日程調整をかけねばならない
だが、
今回は企画側が日程調整に動いておらず、
先輩から
「いつやるの?」と私宛に連絡が来る始末。
そして、ギリギリの1ヶ月前に、
私自ら先輩たちに日程調整をかけることとなった。
この時点でいつもとはちがう。
準備大丈夫か?と感じてはいた。
ま、そのくらいはいいだろう。
普段会えない人に会えるのは嬉しいから。
私は開催サイドで最も大変と感じていた日程調整をして、後輩に、「先輩たちはこの日が都合つくらしい」と伝えた。
そして、
あとは準備するので
当日楽しみにしてくれれば
大丈夫です
と心強い返事が来た。
「私は何もやらなくていい」
と。
自己開催送別会は気が引けるので、
嬉しかった。
半分信じて、
半分信じていなかったが…。
そして、いざ開催する日が決まり、
開催情報を、参加できそうな人(特に先輩)に伝えて最終的な人数を把握するという仕事がある。
えっ、、、誰も伝えていない…?
開催2日前。
何となくこの事実に気づいてしまった私は、
また自ら、開催情報を先輩たちに送り出欠をとる
という仕事を請け負った。
せめて一言、後輩くん私に、
「他の方にも伝えてください」
とお願いしたらどうだろうか。
そこまで、考えてなかったんだろうけど。
そして、開催する直前の話。
うちの部には「カンパ」という制度が
存在する。
様々な先輩に声をかけて、
少額の寄付を募る。
そうすることで、部員の一時的な負担額を減らす。
カンパ発表で名前を出して、
受け取り手を気にかけていることを伝える
という意味合いもあるだろう。
カンパについては、
毎年後輩がお世話になってそうな先輩に
ペコペコしに行くのだが、
きっと誰も集めてくれてないだろうと思い、
自らお世話になった先輩(主に社会人)にカンパを求めた。
実際、
私が集めた以外に、
カンパはなかった。
読みは、正解だ。
ま、そもそも開催すること
誰にも伝わってないから、
誰もカンパを渡せないんだけども笑
えーっと、
後輩たち、
何も準備してないんですね🙃
と感じた。
正直。
私の指導不足と言われれば仕方ないが、
あまりにも、想像力が、ない。
「どうしたら喜んでくれるか」
そういう気持ちが微塵も感じられない。
そして、極めつけの
「ごちになります😋」
えっと、大丈夫そ?
もしかしたら、もしかしたら、
コロナで「一般」が変わったのかもしれない、
そう思いたい。
もしくは、下げた期待値も
高すぎたのだと思いたい。
が、そういうふうにも思えぬほどに、
後輩たちからは、
「あ」りがとうの
「あ」の字も感じられなかった。
送別会という場において。
プレゼントのリサーチ、
その人の好きな食べ物、苦手な食べ物、
相手を知る気がないのだろうか。
たぶん、そういう感謝の伝え方知らなかったんだよね、きっと。
普段から、
この子たち周り見えてないんだなぁ
と思ってしまった。
すごくたくさんの人が
気にかけてくれてることも
環境を作ってくれていることも。
いつかは、気づいてほしいな。
自分で「こういうプレゼントほしい」
ということもできたが、
流石に気が引けて言えなかった。。。
※ちなみに、去年の先輩には、後輩からちょっとずつカンパをもらい、ポールスミスのネクタイと靴下をプレゼントした。
くらい、
プレゼントも、
送別会の中で華のあるイベントだ。
これから社会に出たときに、
あの時頑張ったと思えるような思い出を
プレゼントとして形に残して渡していた。
今年はプレゼントがないどころか
感謝すら感じられなかった。
その場で、先輩たちが、
プレゼントムーブを作ってくれて、
「去年のプレゼントありがとうー」とか
「一昨年のこれ使ってるよ」とか
言っていたけれど、
そういう言葉も
後輩たちの耳には情報として入っていないだろうなと思った。
またそれも、悲しかった。
もう少し、大人になってね、、、、、?
きっと彼らにとっては
「ただめし」
だったのだろうけど。
人は、受け取った範囲、想像できる範囲でしか、
感謝できないのかもしれない。
今まで、
受け取り手になったことも、
受け取り手を想像したこともなかったのかな。
そう思うと、
そちらの状況の方が、
悲しいとさえ思ってきてしまう。
こういうとこは、
同志社生の方が器用だよなと
思っています笑
京大生は、偏った人が、非常に多い。
よくもわるくも。
どうすればよかったのか
この「悲しい」という感情を生み出さないために、
また、その感情を消化(昇華?)するために、
どうしたらよいかなと、考えた。
また、同じこと繰り返すの嫌だから🤢
まず、悲しさを生み出さない方法として、
今回の場合だったら、
「感謝を伝える場であること」
「準備が必要なこと」
「わからない時は他の種目の先輩でもよいから分からないことは聞くこと、頼ること」
このくらいが伝わっていたら、
上手くいっていた気がしている。
そして、伝えるのも自分からだと気が引けるので、同期に伝えるのを手伝ってもらったら、悲しくならなかったかもな、
とも感じている。
自分で自分の送別会を裏で作り上げているようで
その自身の行為自体が悲しいし気が引けるが
まだ、悲しさは小さかったと思う。
望むなら、私から何も言わなくても、
そういう後輩の状況に気づき、
伝えてくれるような同期がいたら
よかったなぁと思う。
高望みしすぎか笑
続いて、悲しみの昇華については、
これは、もう、悲しみまくって、みることにする。
事実もその時の感情も、
あえて忘れず、
今後私みたいな状況にある人がいたら、
後輩みたいな状況にある人がいたら、
手を差し伸べることで、
今回の自分も一緒に救えそうな気がしている。
あとは、
「固定観念」
が気づかぬうちにあることに気を配る。
他人宅訪問の「手土産」が
日本の文化であるように
異なる文化が近い人にも流れているのだ。
期待値を下げたけど悲しかった送別会は、
悲しいことこの上ないが、
自分で自分を褒めて感謝とエールを送ります。
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チューリップを買って帰りました🌷
おつかれさまやで!!!!!自分!!!!!
の気持ちをこめて。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
感謝は伝えすぎても伝えすぎることないですね。
素敵なnoterの方々に日々救われております。
ありがとうございます💐
前回の記事で、
「スキしてくれた方を私も見に行く」
と書き、有言実行してみました。
今回も見に行ってみようと思いますー!