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キッチンに小さな椅子を置いてみたら

家庭内隔離って難しい。

新型コロナと共存する世界線になって4年。

家族の誰かが風邪を引くたび、家庭内での感染拡大に意識を尖らせるようになった。

「ここで食い止めなければ、家族共倒れになってしまう」という恐怖。

どこのご家庭でも、特に冬場などは似たようなことを思っているかもしれない。




とはいえ、ごく普通の間取りのマンションに住む我が家。

隔離というのは、実に難しい。

トイレも洗面所もお風呂も一つ。

いくら換気して消毒して回っても、きっとうつる時はうつる。

見えない敵を相手に、はて、これは勝ち目のある戦いなのだろうかと疑問に思わないこともない。

幼いお子さんのいるご家庭などは特にそうだろう。


でも、少しでも防げる可能性があるならば防ぎたい。

見聞きした知恵を総動員して、必死に抗う。


こまめな換気をし、タオルは共用せず。

お世話をする時は、マスクに手洗い。

発症者のお風呂は最後に。

トイレはタイミングをずらし、使用後は手を触れたところを消毒。

これにプラス、症状が悪化していないか、気持ちの浮き沈みはないか、こっそり部屋を覗いては様子を伺う。



そんな風に朝から晩まで気づかいをフル回転させるから、とても疲れる。

「隔離疲れ」とでもいうのだろうか。

世のお父さん、お母さんはたいていが経験したことのある「疲れ」ではないだろうか。

でも、ここで親である自分が倒れてしまっては、元も子もない。


ぽんこつな頭で考える。

何か良い方法はないものだろうか。

少しでも楽に快適に隔離生活を乗り切れるような方法。



ということで、考えた。

キッチンに椅子を置いて、私の生活圏をそこに限定してしまえば良いのではないだろうか。


食事も何もかもキッチンで済ませてしまえば、誰かの飛沫を浴びることもないし、浴びせることもない。

お互いに媒介する可能性が減るかもしれない。


それに、なんといってもすぐにハンドソープで手を洗える。

動くたびに手を洗うような生活にはもってこいの場所だ。

これって、ものすごく合理的なアイディアなのでは!!



ということで、小さなスツールをキッチンに置くことにした。


これがね、思いの外大活躍だったんです。

そこそこ高さがあるので、座るとキッチンカウンターにぴったり。

楽々食事が取れる。

食べ終わったら、横の流しに食器を置くだけ。

斜め後ろに手を伸ばせば、冷蔵庫。

飲み物も調味料も席を立たずに手に取れる。

横を向けばゴミ箱。

テレビ画面は遠くなるからよく見えないけれど、スマホがあれば何でも観れるし困らない。

そんなに動かなくても、大抵のことができちゃう。


もう、最高!

ものぐさな割に心配性な私にぴったり!


キッチンカウンターからダイニングが見えるので、家族の表情がちゃんと分かるのも嬉しい。

飛沫感染のリスクを避けつつも、お互いの顔を見ながらコミュニケーションは取れるというベストなフォーメーション。

この画期的な(?)方法に気がついてから、誰かの体調が怪しくなってきたら、ここキッチンを中心に私は生活するようになった。


そんな隔離生活乗り切りアイテムとして導入したスツール。

意外にも平時にも重宝していて。


寝起きにコーヒーを飲む時、お弁当のおかず何入れるんだっけと寝ぼけ眼で思い出す時、お湯が沸騰するのを待つ時。

少し腰掛けることができるだけで、ちょっとゆとりのある人みたいな気分になる。

(実際はなくても。)

「一旦落ち着こう」と思わせてくれる、休符のような存在とでも言えば良いだろうか。


あまりの快適さに、その後、同じものを洗面所にも置くことになった。


今では娘たちがドライヤーを使う際の必需品。

テカテカに保湿しながら髪を乾かす際に、ちょっと腰掛けられて楽だそう。


確かに彼女たち長いんですよ、髪の毛も洗面所にいる時間も。

鼻歌か何かフンフン言いながら、永遠に鏡とにらめっこしてます。

ほんと永遠に洗面所にいます。2人とも。

最近の中高生はどこもそんなもんなんですかね。



まあ、美容に気を使う余裕があるということは、元気な証拠でもありますが。

今日も散らかり尽くした洗面台を片付けながら、そんなことを思うのでした。


身近でも体調を崩している方が増えてきました。

手洗いの大切さを実感する季節の到来です。

みなさまもどうか体調に気をつけて、良い週末を過ごせますように。

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シマエナガ子
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