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【第6話】ココ・シャネルのイラつきが生んだ黒の革命〜リトル・ブラック・ドレス

こんにちは。

noteを始めて一か月が経ちました。
ここ2週間は時間が取れず、あまり投稿できませんでしたが、その間もご覧いただいたり、フォローや♡をいただいたり、ありがとうございます!

のんびりとしたペースですが、シャネルのお話も半分くらいが過ぎました。

1話〜3話がシャネルがお店を出す前のストーリー
4話がブランド創立当初のストーリー
5話〜がシャネルのアイコン誕生のストーリーです。

5話から1920年に入っています。1920年代は私たちがイメージするCHANELを形作った重要な時だったのだなと改めて感じます。

それではどうぞ☕️


シャネルの苛立ち


1920年代のシャネルは、あることが気になっていた。
こう述べている。

“1920年以降になると、大クチュリエたちは闘おうとした。あの頃、オペラ座で、桟敷席の奥からホールを眺め渡したことを思い出す。ありとあらゆる色がまたしても氾濫している光景にショックをうけた。赤、緑、電気の火花のような青、リムスキー=コルサコフとギュスターブ・モローを混ぜてパレットにぶちまけたみたいな。ポワレがはやらせたこうしたモードには胸がむかついた。(中略)
そのとき横に座っていた男友達にこう言ってやったの。



ー こんな色ってないわ。この女性たちに、わたしは黒を着せてみせる……


こうしてわたしは黒をはやらせた。黒は今もはやっている。黒はすべての色に打ち勝つ色だ。昔はわたしもいろいろな色を使ったことがあるが、最後はマスの白黒に落ち着いた“

ポール・モラン(2024年)『シャネル 人生を語る』山田登世子訳、中央公論新社


オペラ座の席から、ポール・ポワレ(Paul Poiret)が当時流行らせていたモードを眺めたシャネルのショックとムカつきが伝わってくる言葉である。

ポワレのモードがどんなものだったか覚えている読者の方もおられるかもしれない。詳しくは以前の記事を参照してほしい。


ポワレはシャネルより5年早くパリに店をオープンさせ、「モードの帝王」として女性のファッションに一石を投じた。しかし、シャネルはその先輩の服を容赦なく「エキセントリックなコスチューム」と認定している。

“ポール・ポワレは創意あふれるクチュリエだけど、女たちにエキセントリックなコスチュームを着せていた。(中略)(シェヘラザードのような格好をするのはとてもやさしいが、リトル・ブラック・ドレスを着こなすのはとても難しい)。独創性になんか惑わされてはダメ。ファッションで独創性にこだわったりすると、たちまち仮装やら装飾やら、書割のなかに溺れてしまう。”

ポール・モラン(2024年)『シャネル 人生を語る』山田登世子訳、中央公論新社


結局シャネルのクリエーションは一大センセーションを巻き起こし、ポワレの店は時代の波にのまれて閉店に追い込まれてしまう。

そんなシャネルが、1925年頃に作ったドレスがこちら。

『VOGUE』
1925年10月号


これは黒いシルクモスリン*の薄手のドレスで、布をアシンメトリーに重ねてトレーンのようになっている。

スカートの長さは膝下丈になり、ストンと落ちる非常にシンプルなシルエット。大きく開いた背中に2連のパールの長いネックレスを垂らしてアクセントにしている。

何より、喪服・制服・男性服のイメージが強かった黒が日常的なドレスに使われたことは、革命だった。


「リトル・ブラック・ドレス」の誕生


1926年10月1日号のアメリカ版のVOGUEは、シャネルの黒いドレスを“リトル・ブラック・ドレス(LBD)”として大々的に紹介し、黒い車体の大衆車フォードに例えて、まもなく世界中で量産されるだろうと絶賛する。

フォードのモデルT
1921年


実際、「黒いドレスに白い襟とカフスを付けると、毎日のパンのように売れ、女優も社交界に出る女性も小間使いもみなが着た」らしい。黒いドレスが、階級を超えて誰もが着られる服となったのだ。

確かに、現代においても、黒はフォーマルにも普段着にも、制服にもビジネスにも、女性服にも男性服にも使われている。素材やデザイン次第で雰囲気が変わるので、幅広い用途で使える万能色である。

シャネルの黒いドレスが注目されて以降、さまざまなメゾンからLBDが生み出されており、展覧会でも取り上げられるほどである。

MoMA美術館
2017年『Is Fashion Modern?』展より
Stephanie Keith / Reuters

左から)
ガブリエル・シャネル 1925-27頃のシルクシフォンのイブニングドレス
チャールズ・クリード 1942年のレーヨンクレープのドレス
クリスチャン・ディオール 1950年頃のシルクタフタのツーピースドレス
ユベール・ドゥ・ジバンシィ 1968年のサテンのドレス
アーノルド・スカージ 1966年頃のチュールのドレス


とりわけ、1961年の映画『ティファニーで朝食を』の冒頭で、オードリー・ヘップバーン演じたホリーが着たジバンシィのドレスは最も知られているLBDだろう。

シャネルのLBDは極めてシンプルなシルエットで軽やかな着心地を感じさせる。


2022年には日本でも『ガブリエル・シャネル展 Manifeste de mode』が開催され、黒いドレスも多数展示された。残念ながら私は行けなかったので、もし見に行った方がいらっしゃれば、感想をシェアしていただけると嬉しい。


シャネルの原動力


自分のデザインをコピーされたらやめてほしいと感じるものだが、シャネルがこれを問題視していなかったことは有名な話である。シャネルをクリエーションへと掻き立てたもの。それは苛立ちだったからだ。

“わたしはなぜモードの革命家になったのだろうかと考えることがある。自分の好きなものを作るためではなかった。何よりもまず、自分が嫌なものを流行遅れにするためだった。わたしは自分の才能を爆弾に使ったのだ。(中略)目にするものすべてにうんざりさせられた。記憶を一新して、思い出すものをみな精神から一掃する必要があった。自分がこれまでにつくったものも、他人がつくっていたものも、いっそうの改良が必要だった“

ポール・モラン(2024年)『シャネル 人生を語る』山田登世子訳、中央公論新社


「自分が嫌なものを精神から一掃したい」が原動力だったのは、シャネルらしい。そして、本当にそれを成し遂げてしまうのだ。

もしも今シャネルが生きていたとしたら、何を思うのだろう。「黒を流行らせて見せる」と誓ってから100年経った今も黒のモードが生きていることに、イタズラっぽい笑みを浮かべて「黒は永遠なのよ」などと言うのかもしれない。


おまけのはなし


ここまで読んでくださりありがとうございます。
早いことにもう6話でリトル・ブラック・ドレスまで来ることができました!

秋になってきたのでそろそろ衣替えをされる方も多いのではないでしょうか?
私は秋になると自分の服を見てやっぱり黒が多いな〜と思います。

ヨーロッパの方は黒をシックと感じるようですね。昔イタリア人の先生から「あなたは黒を着た方が似合う」と言われ、そうなのかと思っていましたが、パリに行ってメトロに乗ると、冬は皆ほぼ黒。カーキなどは邪道だと聞いてびっくりしました。

日本は季節に応じて色んなカラーを楽しむ文化なので、その違いも面白いなと思います。

皆さんは今年どんな色の服を着られますか?



参考文献:
ポール・モラン(2024年)『シャネル 人生を語る』山田登世子訳、中央公論新社。
ブロンウィン・コスグレーヴ(2013年)『VOGUE ON ココ・シャネル』、鈴木宏子訳、株式会社ガイアブックス。
徳井淑子(2019年)『黒の服飾史』 河出書房新社。

画像:
https://130littlecollins.com.au/location/
ポワレのドレス。1986年頃エレーヌ・ドゥ・グラモン公爵夫人(旧姓エレーヌ・グレフュール) 遺品より寄贈 、パリ市立 ガリエラ美術館・モード&コスチューム博物館、1922年https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Robe_du_soir,_1986.172.8(3).jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1921_Ford_Model_T.jpg

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