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お釈迦様の悟り 米チップス

お釈迦様の悟りには四諦八正道があるという

これは

苦諦(くたい) - 迷いのこの世は一切が苦(ドゥッカ)であるという真実[4][5][7]。
集諦(じったい) - 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実[4][5][7]。
滅諦(めったい) - 苦の原因の滅という真実[4]。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ[4][7]。
道諦(どうたい) - 悟りに導く実践という真実[4]。悟りに至るためには八正道によるべきであるということ[4][5][7]。

正見
正見(しょうけん, 巴: sammā‑diṭṭhi, 梵: samyag-dṛṣṭi)とは、仏道修行によって得られる仏の智慧であり、様々な正見があるが、根本となるのは四諦の真理などを正しく知ることである。



正思惟
正思惟(しょうしゆい, 巴: sammā-saṅkappa, 梵: samyak-saṃkalpa)とは、正しく考え判断することであり、出離(離欲)を思惟し無瞋を思惟し、無害(アヒンサー)を思惟することである。逆に避けるべき思考は邪思惟(micchāsaṅkappo)である[16]。



正語
正語(しょうご, 巴: sammā-vācā, 梵: samyag-vāc)とは、妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、離間語[注釈 1](陰口,仲違いさせる言葉)を離れ、粗悪語[注釈 2](誹謗中傷,粗暴な言葉)を離れることである[16



正業
正業(しょうごう, 巴: sammā-kammanta, 梵: samyak-karmānta)とは、殺生を離れ、盗みを離れ、非梵行(性行為)を離れることをいう[16]。五戒の不偸盗、不邪婬に対応する[16]。この二つは正思惟されたものの実践である。



正命
正命(しょうみょう, 巴: sammā-ājīva, 梵: samyag-ājīva)とは、殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むことである。命(巴: ājīva)は単なる職業というよりも、生計としての生き方をさす[16]。



正精進
正精進(しょうしょうじん, 巴: sammā-vāyāma, 梵: samyag-vyāyāma)とは、四正勤(ししょうごん)、すなわち「すでに起こった不善を断ずる」「未来に起こる不善を起こらないようにする」「過去に生じた善の増長」「いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践について努力することである。



正念
正念(しょうねん, 巴: sammā-sati, 梵: samyak-smṛti)とは、四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが「正念」である。



正定
詳細は「四禅」を参照
正定(しょうじょう, 巴: sammā-samādhi, 梵: samyak-samādhi)とは、正しい集中力(サマーディ)を完成することである。この「正定」と「正念」によってはじめて、「正見」が得られるのである。



これを一厘の仕組みから解説できます



世界をひっくり返す一厘仕組み

https://ash-cat07.hatenablog.com/entry/2024/06/26/055158

一厘の仕組み 簡単にしました 御霊磨き

https://ash-cat07.hatenablog.com/entry/2024/07/04/063343



心がある真ん中に身欲や煩悩が来ている今の世は

身欲の濁りが全身に広がり 澄み切らない 安らぎも得られない



しかし真ん中の心に真を入れると澄み切った心は全身に広がり安らぎを得られる



真ってなによ?!



って思うかもしれないので 今日買い物に行った話をします



俺は給料日だったのでスーパーにお使いに行ったついでにスーパーやコンビニで買い物をすることにしたんだ



目には色々なものが映る 反射的に欲望が湧き上がってきてそれに従って何も考えずに選びそうになる



でもちょっと待ってみて心の真からの興味 好きという気持ちに従ってみた



それは米のチップスだった

米のチップスだというのも驚きで新しいし 快晴しおというのもシンプルで響きがいい


新鮮さと興味が生まれた それは単なる欲望とは違って体の芯から湧き上がる好きだ興味がある これを体験したいという気持ちだった



単なる欲望ではなくて芯からの真のもの



そしてそのチップスを食べたらザクザクした食感

が面白くて塩の味も新鮮で買ってよかったと思った



身欲に従うと全身は濁ってしまうけど心からの真のものに従うと喜になる それは好きという気持ちを大事にすること 中心の心に従うということだ



上中下三段の御霊の立て分け

真ん中に身欲や煩悩が来ることエゴが来ることが

全身に濁りを生み メグリになり苦になる



そうじゃなく真ん中にマコトを入れる



マコトは色々ある お釈迦様は八種類あると言った



真ん中に真理 真 誠 マコトを入れることで

迷いがなくなり澄み切ることができる



これは7つの習慣で 原則に従った生き方 真北の法則 コンパスに従う 良心に従うといったことで書かれている 良心ということだ



正しい法則 原則によって全ては動いていると言って自分の望みは原則に従ったものだろうか

目標や夢は良心の声に従ったものだろうか



良心の声に従うとき道は開ける というものです



良書でマーケットプレイスでも安いので買って読むことをおすすめします



良心はこの本で言われている良心 原則 真北の法則 コンパスといったものと同じです



この良心という心 マコトという自分の心から湧き出る真のものに従うときに安らぎが得られる

それは火の座 霊の座にマコトという透明な真のものが来ると 水の座 体の座 全身も上流が澄んで下流が澄むように澄み切る



米チップスのように心の真ん中から望んだものを食べても 全身は濁らないことがわかった



むしろ澄み切る



お釈迦様の悟りは心に誠マコトを入れて真の智 真理を入れることで安らぎが得られるということなのかなあと思いました



ウメハラも格闘ゲームの真理を入れて強さに近づいています



俺もFGOの真理を入れることで強くなろうとしています



それに自分の本当の気持ち 本当の心 嘘ではないマコトから出たものに従うことで



霊の世界にある心とこの世にある体を繋ぎ

霊の世界とこの世を繋ぎ 繁栄する



喜びも生まれる 利益も出てくる お陰がある

道が分かる 正しい道にある 御霊が澄み切る

一厘の仕組みはお釈迦様の悟りにも通じていたんだと思います



そんなことが米にこめられたお釈迦様の悟りだと

俺なりに解釈してみました



米チップスは目が覚めるような美味しさでした


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