キダ・タローさんの思い出【エッセイ】
地元大阪の某市にある母校中学校校歌の作曲をされたキダ・タロー先生が今年5月14日に亡くなった。主に関西に根付き、数多くの楽曲やCMソングを手掛けられた天才作曲家であった。全盛期には一日に数十曲の制作もあったというから、間違いなく不世出の芸術家『ナニワのモーツァルト』である。
中学校時代の音楽の授業前は毎回御大が創られた校歌を歌わなくてはならなかった。正直苦痛に思っていた。嫌々歌唱するのにその素晴らしさに気付くわけがない。今となっては、もっと歌詞を味わえなかったものかと悔悟の念すら抱く。氏を強く意識するようになったのは、大学に入学して本格的に小説や詩を書くようになってからだった。日中大阪の繁華街に行くと必ずと言っていいほどキダ・タロー先生が創られた曲が流れていた。それを聴いた人々は皆口ずさんで歩いていた。それは不思議な光景だった。夜になると数々のバラエティ番組に不思議なオジサンキャラで登場してお茶の間を沸かせる。そのへんのお笑いタレントよりも数倍面白かった。天才芸術家と庶民派タレントーそのギャップに痺れた。
そんな偉大なかたが作曲された素晴らしい校歌を、人生たかだか10年そこそこの年齢で毎日聴いて唄えた私は本当に幸せ者だった。
改めてキダ・タロー先生のご冥福を謹んで心よりお祈りいたします。
【了】