私的エッセイ「産まれるには理由がある」
生きることには理由があるように、作ることにも理由がある。
生きる理由。
自分を守る、家族を守る、親を守る等々。
つまり、「誰かを食べさせなくてはならない」「衣食住の営みの機会を与えなくてはならない」。
少し義務的だが、仕方がない。
仕方がないというより、つらい作業だ。
誰しも一度は守られて生きてきた時代があり、今はそういう役回りに就いているということだ。
次に、作る理由。
これには義務的な要素はない。なぜなら何かを作ることは、「他人から求められる要素」があるから。あと、発想はあっても形に出来ないものは世の中星の数ほど存在する。
本当に求められる物とは、作中に実は読者(シーズ?)がいて、後は形にして押し出すだけというような気がする。
「良い作品を作ります」と宣う人には読者(ニーズ?)がいないのと同様で、宣言する前に書けよと。いちいち勿体ぶるなと。
余談にはなるが、読者に恩を着せる創作者は個人的に苦手です。仮にプロのかたからアマチュアへあれば最低です(プロならば、変に体裁ぶらず実力を見せつけて「スキ」押させるべき)。
本当に面白い物だけに共感すれば良いと思います(絶対そうあるべき!)。読後に爽快感だったり、良い余韻を与えられる作品だけが正義であり、そんな作品のクリエイターこそが本当に生き残るべき(=わたしは既に死んでいる!?)だと、日々思っております。
尻切れトンボのようにどんどん自信の無い文脈になりましたが、語調も支離滅裂になりましたが、これからも想うことを、面白いと思うことを素直に綴っていきたいと思います。
皆さま、引き続き宜しくお願いします💦
(→結局、それで締めるんかい(笑)!!)
【了】