ゲームをしていて最近のおかしいと思うこと
ゲームをしていて最近、考えすぎかなって思ったことがあながち間違いじゃないと思うことができました。人の数ほどやはり価値観や考え方色々あるなか自由あるべきがあれば、制約されるべきという発信に対し、アンチと呼ばれる人達が批判をする。例えていうのであれば誹謗中傷がいい例だと思います。人間の営みの中には一方的に攻撃してくる人達がいて、彼らは攻撃したいだけで、正解を言ってることがあれば彼らはとことんマウントをとるかのごとくまるで、力ずくでのしかかるように言葉出踏み倒しにきます。けど、これらはゲームだけの話にあらず、現実世界に呼応している。むしろ、ゲームの世界にも危機はある。無論、漫画やアニメにも。さらに反対を言えば現実世界より国が平和で人々は時折喧嘩をするかと思えば許し会えている。
気になるのは、ゲームだからとかアニメだからとか言われてきた人いると思います。しかし、そんなことを言う人ほど、なぜゲームは平和なときあれほど平和なのか?考えたことはないのだろうか?戦争、経済、インフラ、いまでは戦争の1歩手前みたいなことさえ思います。直接こういったことをゲームに繋げたくないのですが、思ったので書きます。
まず個人的に僕はPVPは苦手で嫌いです。プレイヤー対プレイヤーはいまではAPEXこそ有名ですが、そのAPEXで初めて感じました。昔はというと、古臭く聞こえて仕舞うのですが、ロマンが死んだゲームをするようになっている気がするのです。APEXのようにドラマも感動もない射撃ゲームにランクというものが格付けになっていて、上手い人ほど当然つよく、トップにたちます。
ただ問題なのは、そう言った人達の癖、サブ垢を作って弱いレベル帯で遊ぶこと。それきくとそれほどではないのですが、立ち位置、プレイの仕方の強制だったり。強いものが弱者を率いたり、従わないものは批判したり最悪配信で名指しありなどと問題がありました。
僕は子供のころからRPGとか育成もしてきましたがやはり当時のSquareenixこそゲームであるべきだと思うのです。はっきり言えば物語と物語にロマンやあるべき意味など深いことを考えたり、思うことをやめたあるいはやめてさしまったからではないかと思うのです。昔から偏見やあまり周りに好かれてないこともあってそこであったのがSquareenixでクロノクロスやブレスオブファイアなど、神や事象といった到底人の手から遠く離れた存在と話しができている。そんなとこから人とはと考えるようになりました。ゲームはゲーム、アニメはアニメなんて言ってる現実ほど子供を殺す現実にゲームはゲームなんていえるのか、と。税金で稼ぐ賃金から50%を取られ、子供作ることさえ困難を極めるこの時代。人と人とが手を差し伸べあうどころかゲームに限らず、実力主義がもはや一方的で何がなんでも向上心を求められる。できたら美徳みたいな。
もはや作りだしてきた環境さえ違うと思ってしまう。教師は勉強を教えるのが仕事。けど、教える人が教えた、教えていく人を学ばないから例えばパワハラがこんにちまで生き、未だに無くならない。それは、教える力がない。無いというより出来る出来ないで育成するからだと思います。優秀を求めすぎ、競争心=格差に繋がるのだと思います。よく話す。目の前にいるのは立場ではなく、同じ人間なのだということが大切なんだと思います。
あと、良く〜説。パラレル、考察はあまりすべきではないと思います。最近ではFF7がリメイクされ、公式が愚かなファンの声に答え、こともあろうに死人を蘇らせ、パラレルのつもりが正史にしてしまいました。しかし繋げようと思えばなんでも良くなってしまう。死人は蘇ることはありません。=人生は1度きりを子供のうちから学べると思うのです。道徳心や判断を下していくRPG系こそ、ゲームのあるべき形ではないかと思うのです。