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ストーリーテリングの面白さ 読書ノート#3

サマセット・モームの『月と六ペンス』。

10代の頃、読んだ記憶はあるけれど、
内容はさっぱり覚えていないし、
当時の自分には響いてこなかった作品。

題名と内容の関連が分からない。
という、初歩的なところで止まっていた様な気がする。

先日ふらっと入った書店で、一際シンプルな表紙で輝いている様に思えたので、手に取ってみた。
「お、金原瑞人先生訳じゃないか」
敬愛する金原先生の新訳(と言っても、平成26年刊行)だし、
読んでみよう。というわけで、読みました。


時代を感じない小説


感想は、面白い!20世紀前半に書かれた小説だけれど、
全然時代を感じない。舞台は主にロンドンとパリだけれど、風習や風俗なんかの描写が少なくて、人の性格に焦点が当たっているからだろうか。

「訳者あとがき」にはこうあった。

恋愛小説でもなく、冒険小説でもなく、壮大なロマンスでもなく、気の利いたトリッキーなミステリーでもないのに、一気に読者を引き摺り込んで、最後まで放さない。小説の力そのものを実感させてくれる。小説のおもしろさとは一体なんなのか、その答えのひとつがここにあるような気がする。

『月と六ペンス』訳者あとがき

モームは、ゴーギャンの人生に着想を得て、この物語を描いたということだけれど、ほぼフィクションで、芸術に魂を捧げた男というところを強調している。

キャラクター造形の面白さ


ゴーギャンをモデルにしたストリックランドは、非情で愛想のないキャラクターなのだけれど、なぜか憎めない。金原訳によって、そうなっているのか、は分からないけれど、このキャラクター造形は秀逸。

さらに、語り手の「わたし」こと小説家は、矛盾だらけだけれど、全てを面白がれる視点の高い人物で、軽やかなところがある。(やっぱり金原訳だからかも)
「わたし」の人間観察による小説なので、実際に目にしたこと、それから人から聞いたことを中心に書いているけれど、実際にその場面にいることに関しては、自分も登場人物でありながら、どこか冷静な目もあり、観察者の視点を忘れない。
伝え聞いた内容に関しては、相手の性格を伝え、その真偽についての責任は取らず、「嘘でもいい」といった様子。ストリックランドの人となりが伝わればいいのだろう。

それから、会話の切り返しがまた秀逸。やはり、卓越した筆力があるのだ。

余談だが、最近個人的に、印象派関連の小説をつづきざまに読んでいて、
『リボルバー』原田マハ
『楽園への道』マリオ・バルガス=リョサ
それぞれ、キャラクターが違っているのが面白い。

小説を読む人口が全体的に少なくなっているようだけれど、
物語から「何か」を読み取るのが、私は好きだし、面白いと、改めて思う。


人生とは

小説の終盤、ストリックランドに加えて、確固とした医師のポストを捨てて、アレキサンドリアに住み着いてしまった医師の話が出てくる。

わたしは首をかしげた。エイブラハムは本当に人生を棒に降ったのだろうか。彼は本当にしたいことをしたのだ。住み心地のいい所で暮らし、心の平静を得た。それが人生を棒に降ることだろうか。成功とは、立派な外科医になって年に一万ポンド稼ぎ、美しい女と結婚することだろうか。成功の意味はひとつではない。人生になにを求めるか、社会になにを求めるか、個人としてなにを求めるかで変わってくる。だが、わたしは今度も黙っていた。作家風情がナイトに反論はできない。

『月と六ペンス』 p312

成功とか、失敗とか、そんなものは他人に計られるものではない。

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