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見えなくても可能性を持っている

今日もお読みいただきありがとうございます。

私にとってnoteは、
「考えて書いて発信する楽しさ」と「読んで学んで気づく楽しさ」
両方の楽しさがあります。
ある記事を読んで自分の振り返りにつながったので、書きたくなりました。
noteの好循環です。

元教員の共育LIBRARY りょーやんさんの人間本来の「甘み」を出すためにはという記事を読みました。(一部有料記事ですが前半部分でも十分に伝わってきます)

「人間本来の力」を教育という視点で書かれていますが、これって、子供達だけではなく、私たちみんなに当てはまるなと思ったんです。

私の夫は、オートバイのレース中の事故で、首から出ている腕を動かす神経が、事故の衝撃で引き抜けてしまいました。手術なども試みましたが、神経は回復せず、左腕は動きません。

退院後、自宅に戻ってきた夫に対し、私は身の回りのことを手伝いませんでした。
その時夫は32歳。これからの長い人生、ひとりでしなければならないことはたくさんあります。
今まで通りに仕事を続けていきたいと思っていた夫は、不自由な腕とつきあっていくしかなく、何に不自由しどんな工夫がいるのか本人が身に着けていくしかありません。
夫自身ができないと思ったことは、周りにお願いして助けてもらう、
私が先回りしては、気づけることにも気づけないでしょう。

今も左腕は変わらず動きませんが、オートバイでツーリングも行くし、レースにもでています。
たまに手伝いを頼まれることもありますが、犬用のフェンス作りや簡単な棚くらいだったら作ったりしています。

りょーやんさんの記事では、害虫に弱いリンゴ作りを無農薬で行い、さらにリンゴの甘みを引き出した木村秋則さんの挑戦が紹介されています。
それは、土台となる土壌作りからはじめ、リンゴの木が強く生きていられるように農薬使用以外の方法を模索する。
人間が手を出し過ぎず、リンゴの木本来の力を引き出す。

これは、教育はもちろん、子育てや高齢の両親とのこと、仕事など人に関わること全てに共通するところだと思うのです。
親切な気持ちであったり、失敗させないためにと、周りが手を出し過ぎると、本人が本来持っている力を出すことができない。
介護や看護にもあることだが、本人ができることを奪うことになる。

せかせかとせっかちな世の中だったり、失敗やつまづきを必要以上に恐れることが多い世の中だと思います。
悩んだり、困ったりするから、考えを深め、なんとかしようと工夫する。
だから、自分の最大限の力が発揮される。
なによりも周りの人達がしっかりと目を向け見守ること、待つことが大切だと感じている。


勝手に記事を紹介させていただきました。
気づきをありがとうございます。





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はし
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