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私も人の子

5月12日は母の日。
ナイチンゲールの誕生日にちなんで看護の日。

看護師である私と母との思い出話です。

母はがんで他界しています。
診断がついた時や治療の変更、体調が悪くなったときなど、医師の説明があり、家族も一緒に聴くことをすすめられます。

私は、母と一緒に説明を聴きに行っていました。

医師から、転移の説明や治療ができない説明を聞いても、母はいつも前向きで「頑張る、頑張る」「大丈夫、大丈夫」と、言っていました。

一方、私はと言えば。
初めて母が治療を開始した姿を見ては涙が出る
母の髪が抜けたといっては泣き、転移していると聞けば泣く。

母から、「あんた、看護師でしょ。ちょっとしっかりしなさい」と、言われる始末。

がんになったからって、すぐに死んでしまうわけではない、治療が終了したら髪が伸びてくることも、十分すぎるくらい、医学的にも理解しているんです。

そうは言ってもねぇ。
出るんですもん。涙。

病院の後はいつも一緒にご飯を食べに行っていました。
母が自分へのご褒美と言っていたので、私がおいしいお店を探していました。

何度、泣きながらご飯を食べたか。

「これが最後の食事になるかもしれない」
「この食事のことは、忘れないでおこう」とか。
「今は元気だけど、いずれこんな風に食事ができなくなるのか」と思うと、涙が出てきてとまりませんでした。
そんな姿を見て、「また泣いてる」と母は笑っていました。

本来であれば、病気の本人の前で泣くべきではないのかもしれないです。


夫のお母さんもがんで他界しています。
夫のお母さんの病気の説明にも同席しているんですが、泣いてないんですよね。
(仲は良かったです)

自分の親は違うんですね。
看護師だって人の子ですからねえ。
泣きますわ。
と、いうのが私の言い分です。
私だけ?




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