SullivanとGoogle翻訳
先生の臨床経験を読みました。
私とは違ったやり方で治療されていることを知りました。
つい最近読んで勉強になったと思ったのでmailします。
interpersonal theory of psychiatry
chapter 22
"Towards a Psychiatry or Peoples
[Editors' note:
This chapter is mainly taken from "Towards a Psychiatry or Peoples" (Psychiatry 11:105-116).
❷❹
Much more important, for my present purpose, is the import of
the illustration as an example of 'curative' processes in interpersonal
fields.
It is from prolonged consideration of psychotherapeutic
"successes" and "failures"------and of possibilities for increasing
the proportion and speeding the achievement of the former
----- that I have come to feel sure that we may depend on everyone's
drive toward more adequate and appropriate ways of living;
in
a word, toward improved mental health, if an improved ability
to foresee the future can offer a fair prospect of becoming contented.
That "if" is a big one when one has been 'out of life' for
years in a hospital for the mentally disordered, when one is advanced
in years, or when the prospect appears to entail giving up
sources of prestige and income which one's current, however
troubled, life is providing.
google翻訳は以下の通りです。
「私の現在の目的にとって、はるかに重要なのは、対人関係の分野における「治癒」プロセスの例としてのこの例証の重要性です。心理療法の「成功」と「失敗」、そして前者の達成の割合を増やし、その達成を早める可能性について長期にわたって検討した結果、私は、より適切で適切な生き方、つまり、将来を予見する能力の向上が満足感を得る十分な見込みを提供できるのであれば、精神的健康の向上に向けたすべての人の意欲に頼ることができると確信するようになりました。その「もし」は、精神障害者の病院で何年も「人生から外れて」いた場合、高齢の場合、または、現在の、どんなに問題の多い生活でも提供している名声と収入源を手放す必要があると思われる場合には、大きな問題です。」
最後の文は意味不明です。
意味不明なので、自分で訳してみた。
私の訳は次の通りです。
二つの文に
thatが使われています。
thatは二つの文に別れています。
でも、意味的には二つの文はつながっています。
編集者のHSPもそのことを知っているので、そのまま記述しています。
「私の現在の目的のために。
ずっともっと重要なこと。
それは、人間間の領域の中で「治癒的な」過程があるという一つ例を明示すること。
それは、精神治療的な「成功」と「失敗」を長い間考察することからくる。
「成功」の達成の割合を増大させる可能性、「成功」の達成の速度を速める可能性である。
もっと適切な生活方法に向けた個々の人の衝動に我々は依存するということを私は確かなことだと感じるようになってきている。
一言で言うと、改善された精神的健康に向けて。
満足を得られるようになるという全くの予見を提示することができるという改善された一つの能力。
精神障害者のための病院の中で、何年もの間、人が「人生を使い切って」きたとき、
人が老齢になったとき、
予想が
特権と収入の源をあきらめることを伴うと思われるとき。
そのとき、
その人の現在がいかに困難なものであっても、「if」は大きなものである。
人生は意味がある。」
entail: 伴う
life is providing
人生は意味がある。
「if」とは、改善された精神的健康に向けて、もっと適切な生活方法に向けた個々の人の衝動が生まれる「ならば」
この文の中で、
「if」=「ならば」
である。
研修医だった40年近く前、K病院に3年いた。
そこは一流と言われる医師が集まる病院。
そこに
週2回勤務していた。
患者をあてがわれた。
その中には、中学生、20代の女性、30前後の男性二人、70代の老人、50代の二人の男性がいた。
今思うと研修としてすばらしい患者の組み合わせだった。
当時は絶対に退院できない人を任せおってと思っていた。
面接時、患者は皆、楽しそうだった。
面接時、患者が「楽しそうだった」ということは、患者にとって大切なことである。
それは治療者が持っていなければならない必須の能力である。
当時、若かったし、どうしても精神科医をやりたかったので日々精一杯の面接をやっていた。
そこの病院で3年かかったが、結果的に20代の女性患者が退院していった。
退院が目前に迫っているときには何回も短期の外泊をやらせて、外泊がうまくいけば退院させるという方法を、経営者でもあるそこの病院の医師に教えていただいた。
このような方法によって、その人は退院できた。
父親には非常に感謝された。
中学生もよく外泊していた。
父親には昔の息子が戻ってきたと喜ばれていた。
30代の男性は絶対に退院できないと思っていた。
その患者には
服薬を減らしていった。
最後には保護室に1カ月入りっぱなしになって、うんこを壁に塗りたくっていたそうである。
うんこを壁に塗りたくっていた「そうである」と言うのは同僚の医師が教えてくれた。
当時、私はそこの病院では当直をやっていなかった。
だから、「そうである」ということになる。
そして、「薬を減らすな」と同僚の医師に怒られた。
その後、患者は保護室から出られるようになった。
投薬量は以前より増えた。
患者には「薬が増えてしまって」といつも謝っていた。
でも、昔の息子にもどったと父親に感謝されていた。
今雇ってもらっている病院にも、長期入院していて、重症だから家族も見れないだろうと思って治療をあきらめてしまっている患者が二人いる。
それは私が怠慢だということでもある。
そう反省する。
「自分で勉強して、自分の精神衛生がよくなればそれでいいや、どうせ他の医者でも治せないのだから。
このように冷遇されている。
私が医師として能力がないと言われ、このように冷遇されている。
それなのに、私がわざわざ手間隙かけて自らすすんで辛い思いをしながら、患者のためにしてやらなくっても」と思っている。
だから、
積極的に面接による治療をしていない。
でも今でも
職員が「診てくれ」と言ってくれれば、必ず病棟に診に行く。
診察室へ患者を連れてきてくれるなら診ています。
それは今でもやっていることです。
昔もそうだった。
昔からそうやってやっている。
今回、Sullivanの著作をあらためて読むと、
「出してくれー、出してくれー」という患者には退院する能力があると思う。
この人は退院できないと誰が見てもそう思ってしまう入院者がいる。
そんな患者でも、患者が退院したいという衝動を持っていることで、その患者は退院という目的を持つことができる。
患者はその目的を達成するためにいろいろと努力し、工夫する。
その事実は病気がよくなる可能性が患者に残されているという証拠でもある。
それは患者がどんなひどい不適応を起こしていても、今それが理由で退院できなくても、その「if」があることで、患者は「精神衛生をよくすることができる、人生に意味があるということを知る可能性」を持っている。