Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas.
56歳の親父が人生で100回以上聞いた100枚のアルバム紹介(R)を普段しておりますが、本日は番外編と言うか呟き。
先週5日の夜中に実母が亡くなりました。
92歳でした。
まー大往生なのと、そろそろという感じが昨年からあったので覚悟はできていたので、粛々と通夜葬儀を済ませてきました。
ふとこの一文が頭に浮かびました。
(Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas.)
1942年に出版されたアルベール・カミューの歴史的傑作(異邦人)の冒頭です。
和訳すると(今日、ママが死んだ。それともたぶん昨日だったか、僕にはわからない)という意味す。
私は大学をフランス文学専攻で、卒論のテーマでカミューを選びました。
フランス文学など全く潰しの効かない学部で(笑)、皆関係のない企業に就職するのが98%(ほんの一握り大学教授や研究者になるのみ)だと思う。
その上私は音楽を目指し就職もせず上京し挫折し、その後の人生を自営飲食業として生きてきた位ですから、何も関係のない人生です。
私が異邦人を初めて読んだのは中学生の時。
確か好きなミュージィシャンがお勧めしてたので、読んでみたというミーハーな切っ掛け。
古本屋で岩波文庫の異邦人を100円で見つけ読んだんですが、全然意味が分からなかった。
高校生になり、何故だかもう一度読んでみたくなり読んでみたら、感じ方が違ったんです。
その結果大学を仏文科を選ぶという人生になってしまいました。
前置きはこの辺にして、母が亡くなり、この一文が浮かんだんです。
物語では主人公はこの後、太陽がまぶしかったからという理由で殺人をおかし、刑務所で教誨師の説得を受けるのですが、すべて拒否し死刑を受け入れるという物語。
実はこの物語には当時の社会に対する色んな批判が詰まっているのですが、難しい事は抜きにして、主人公は母の死で最後のストッパーが外れたと思う。
かく言う私もバツイチ子なしの一人者生活何で、何時死んでもどう死んでもいいという考えはあるんですが、一つだけ自分に決めてた事は、母よりは先に死なない、母が生きている内は母に迷惑がかかる様な事はしないという事。
そのストッパーがなくなったんで、ある意味自分の心も少し軽くなりました。
とは言え異邦人の主人公の様に犯罪を犯そうとは思いませんが、これからは本当の意味での自分の人生を生きていくという気持ちになりました。
訳の分からないことを書きました。
何のかんの言っても少し混乱してるのかもしれないですね。
母の好きだった美空ひばりの曲を皆様に。