生成絵を辞めた(負けた)理由
また物議をかもしそうなタイトルですが。笑
半クローズド公開の方がいいかなあと思いつつこちらにします。
ずーーっと何年もあった創作意欲がすっかりなくなったみたいです。
去年から引き続き
文章→読書・研究ブログ→映像→GPT漫才→GPT小説とお笑い→生成絵→kindle出版と色々やりましたが、
生成絵で一つの到達点に達したみたいで、やりたいことがなくなったみたいです。
今まではやりたいことがなくても、いつも何かやりたい(?)ような気がしていました。
年配の方達には「いつもやりたい事があっていいわねえ 無い人もいる」と言われていました。
ですが現状はこんな状況です。
本題
生成絵が嫌になって辞めたわけではないです。
先日の生成絵を始めて2か月ちょうどのジャズ絵が出来たとき
「この生成絵以上のものは出来ないな」
と思ったのが理由な気がします
プロンプトで指示をして、自分が想定しているレベルor雰囲気のものが出て来たうちは
「自分で製作している」(?)という気持ちがありました。多分
だけど、プロンプトを工夫しているうちに
自分が想像している以上の物凄い絵が出て来た
ときに、
「あ、これはAIに描いてもらっている」
と思いました。
AIにはもちろん知能と思考の速さで勝てるはずはないです。
「おしゃべり」では現時点で「システム面での」”限界”を感じますが、
「知識」面などで相談すると頼りになります。
(もちろん間違いはあります)
ですがプロンプトで私が想像した以上の素晴らしい絵を提示してきたとき、
「負けた」とは違いますが、
「私が描いた絵ではない」と思ったんですね。
(タイトルでは「負けた」と書きましたが)
それで満足したというか…
先日は「AIの限界を感じた」からかもと記事にしましたが、
逆に「凄いから興味をなくした」のかな?
悔しい、とか落ち込んだ、とか、ネガティブな気分ではありません
昇華に近いのかな。
生成絵で
「自分の手から今までで一番満足できる素晴らしいものが出来た」から、
「もういいのかなー」って感じになったのかもしれません。
とかいいつつ数日~数か月後にはまたなんかしてるかもしれませんが。笑
気分屋なのでそこはわかりません
GPTもやることなかった時にたまたま見つけてハマったのが経緯です
という記録でした。
(追記)
「人間に出来てAIにも出来ない事はあるよね!!」というご意見はよく見かけます。ものの見方や角度も人それぞれですから、取り立て反論する気も
今はありません。
ただ、AIも人間が作ったものなのだから、ライバル視(?)しないで
上手く付き合えないものかな…と思っています。多分
AIを作り出せたところは誇っていいことだと思います。
現時点でGPT4が「わたしはただのサポートアシスタントです」というように
人間がAIをサポートツールとして使えばよいのでは?と思ったり。
ただ、100%AIで描画した絵を「自分で描いた絵です」と言われると
手描きがしっくりくる自分としては「うーん?」と思います笑
(修正や合成など、人力が介入しているなら有りかな?と仮定しています)
以上