だれがこの人たちを救えるっていうの?救うってちょっと大げさかもしれないけど…
この言葉を聞いた時の感覚を忘れられません。
とある病院に転職を考え見学に行った時、副看護部長が言っていた言葉です。
副看護部長は病院全体の看護師のトップ2です。
看護師はスーツを着る機会はなかなか少ない。
真夏日で熱中症警戒アラートが発令されていた日、久しぶりに着たスーツは着心地が悪く、汗でベタベタで最悪の気分。
しかし今日は転職活動。病院見学の日。
暑さも気にせず涼しい顔をつくり、相手の印象に残るように振る舞わなければならない。
私以外にも2人、若い看護師が見学に来ていた。
小部屋に案内され、経験のある部署と希望の部署を書くようにと紙を渡された。ペンは渡されなかった。
一瞬「ペンを忘れてないよね自分?」とヒヤッとしたが、大丈夫。ちゃんと何度も忘れ物確認したでしょ自分。ありますあります。
当たり前にありますよ?という顔をしながらカバンからペンを出す。
気のせいかもしれないけど、さっそく試されている気分になった。
その後は希望の部署を選択する理由を1人ずつ質問された。
病院見学は、病院の特徴や目指しているものを病院側がつらつら説明していき、それに対してこちらが質問をするという流れが一般的だと思っていたので、面接のような質問がくるとは思わなかった。
だが大丈夫。この病院で面接をする前提で来たので面接対策も済ませてきた。ほんとたまたまだけどね。
なのでスラスラと自分語りができた。
準備をしていたのもあるが、なんとなく副看護部長との会話は緊張しなかった。いや、してはいたが、ちょうどいい緊張感だった。
たまにこういう人に出会う。ほんの数分しか会話を交わしていないのに、なんとなく気になる。なんとなく好感がもてるというか、本能がこの人とは仲良くなれるぞ・この人面白いぞと言っている。
見た目は私より20歳は上の方。普通に話しているけど、絶対この人部下に厳しくて強い女性だと感じる。
そう。優しくされたわけでもない。外見が俳優のようなわけでもない。ただ本能に従い会話を交わす。
やはり会話が弾む。
会話が楽しい。
普段は初対面の人と話す時、言葉一つ一つを頭で考えてから発言するか、考えすぎて言葉が最小限になってしまうような人見知りな私なのに。
リズムが合う感覚があった。相手が合わしてくれていたのかもしれないけれども。
つまり居心地の良い人だった。
病院の説明の中で、この病院はALSの患者さんが入院していて研究をしてるという話になった。
私は今まで外科系の職場ばかりでALSの患者さんを受け持ったことはない。
ALSは医療系の小説やドラマや映画でよく目にするため、一般知識に毛が生えたぐらいに知っている程度だった。
ALSの研究する施設は以前に比べたら減ってしまったと説明があった。
理由は金銭的だったり研究する人の事情だったりと多岐に渡ると思われる。この病院もALS研究継続が難しいかもしれないという話題が上がったことがあったそう。
その出来事に対して副看護部長が言った言葉が私の中でずっと残っている。
「私達がやらなくて、誰がこの人たちを救えるというの。救うっていうのは大げさかもしれないけど、難病で原因が分からない・治療が分からない人が目の前にいるのに、やめることはしてはいけない」
この言葉を聞いた時、息が止まった。
目を見開きながら3秒程か副看護部長の目を見てしまい、その後ゆっくりと視線が下にいった。
涙が出そうなのを、歯を食いしばり引っ込めた。
自分のことを思い出したのだ。
恥ずかしながらも、自分に言ってもらえた気になってしまった。
この言葉が私に印象を残した理由は、私がポルフィリン症だからだ。
ALSの人に比べたら全くもって大したことないのだが、難病指定され治療法のない遺伝病だ。
遺伝子の変異から起こる病気。
ポルフィリン症と検索をかけると、「ポルフィリン症 吸血鬼」とでる。
これはちょっと笑える。
つまり日光に当たれない。
私は軽い方で、多少の制限はあるものの昼間外出することは全然できる。
この病気にかかる人数はALSの人より少ない。
きっとだが、研究してもお金が生まれないだろう。進んで研究する人はいないだろう。そして今後治療法も見つからないだろう。と思っていた。
当たり前に諦めていた。
だから、難病の人のために研究を続けるべきだとまっすぐに主張したこの人の言葉はそのまま私にまっすぐに届いた。
当然のように諦めていた私なのに、初めて合った1人の女性に救われたのだ。
この言葉を聞いた後からふつふつと私の中で、「孤独じゃないと感じる」ことが大きいことだと認識するようになった。
現代の医療は、治すのは当然。手術は成功が当然。それが我ら医療者のプレッシャーになっているのは確かだと思う。
それでも医療者の根本は、患者とともに病気と闘うのが仕事だ。
1人で闘っている気にさせていないだろうか?と仕事中に考えるようになった。
私に優しくしたわけでも、私を救おうとした言葉でもない。
それでも密かに私に響き渡った言葉なのは確かで、この出来事は私の看護師や人生そのものに影響を及ぼし続けている。
今、難病と闘っている人達へ
私が出会った副看護部長のような看護師が存在します。
この文章を読んでほんの一ミリでも孤独感が減ってくれることを願います。