子育てが楽しい訳が無い。が、イヤイヤ娘めがけて走る!ダッシュ!
その日は、もう駄目だった。
正直に言ってしまうが、(もう、一人で生きていきたい)と心の中で思っていた。
2歳の娘はずっと泣きわめいている。
━ごはん?
「ちがう!」
━おむつ?
「ちがう!」
━ねんね?
「ちがう!」
ただのよくある、2歳頃におきるイヤイヤ期。
育児本には、親は共感し寄り添いましょうと書いてある。
やってはみるものの、私の小さい心の器の水は今にも溢れ出しそう。それどころか割れる寸前。
子育てを始めてから、自分の弱さを実感する機会が増えた。
なんとか奥に置いて見繕うことができていた部分が、全てあばかれたよう。
自分はもう少しマシな人間だと思い込めていたのに、全くそうではないと突きつけられる。
「やっぱりお前は全く成長もしていないし、良き人間にもなれず品性もなく、やっぱり生まれが低いダメな場所から始まったのだから、どれだけ己と闘おうとダメに終わるんだよ」
そう言われる。
自分の中の、他人のような自分のような者から言われる。
0歳の時の娘は、寝ている時と授乳の時以外はずっと泣いていた。
30分以上もかけるのに、縦抱きじゃないと寝かしつけができなかった。
縦抱きしたまま寝かしつけができても、結局30分か長くて1時間もすれば起こしてしまう。私は本当に寝かしつけが下手だった。
"母親になれば、赤ちゃんが何で泣いてるか分かるようになる"と言われたが、全く分からなかった。感じ取れなかった。
事あるごとに、"愛情不足になっているのでは"という疑問と不安がよぎる。
1歳になって、1日中泣き通すことがなくなったと安心したら、次はイヤイヤ期が始まった。
「生活力があって、賢い子ですね」と色々な保育士さんが、私の様子を気にしてなのか言っていた。だがその言葉を聞く度に私は息苦しくなる。
なぜ、"賢い子"を育てているはずの私はこんなに余裕がないんだよ。
なぜ、同じ親になった友人はあれだけ穏やかな表情なのだろうか。
なぜ、スーパーで見かける親子はにこやかなのだろうか。
なぜ、育児が楽しいなどと言えるのだろうか。
2歳になると、ますます意味が分からなくなった。
この日、自分はもう駄目だと思った。
子を育てる器がない者が子を産んでしまった。
「イヤイヤ期って大変だよ〜。でも可愛いよ」
と絶対に言えなかった。
子どもが泣くのが怖い。
外出先はなおさら。
スーパーに行くのも怖い。子どもがいつ泣き出し、床で寝転び泣きじゃくるか。
何度、大声で暴れ泣きじゃくる娘を担いで歩いたか。
高校生の「やべー…」ってセリフだってしっかり聞こえている。
たかが30分程度で終わる検診も怖かった。保健師の言動に対し毎度嫌な気分になる。
家族で出かけた時、夫がトイレに行っている間の数分ですら怖かった。
なので私が外出できる行き先といえば、公園ぐらいだった。
子育てもギリギリで全くできていないくせに、新しい職場の仕事だってダメダメだった。
もう、全てをやめて0にできないだろうか。私自身も、何もかも、一旦全て消えてしまってくれないだろうか。
そう思って窓の外を見たら、春の陽気で素晴らしい天気だった。
これだけ美しいのに、よくここまで暗い心でいられるな。と自分を嘲笑った。
………。
今の自分、かなり良くない。
よし、桜を見に行こう。
車に乗り、娘と公園に行くことにした。
桜の名所にもなっていて、わりと大きめな公園。
広い芝生があり、ボールで遊んでいる子ども達がいる。
芝生の周りに桜並木があり、見事だ。
娘は歩きたくて仕方がない様子で、テクテク歩いている。
時折しゃがみ込む娘。
地面に落ちた桜を、不思議そうに眺めている。
娘を見て、
(来てよかったー……)
と思った。
とても穏やかな時が流れ、気持ちが晴れた。
しばらく歩いていると、芝生の真ん中に水飲み場があった。
小学生ぐらいの子達が水を飲んでいた。
丸い、水が上に上がるタイプの蛇口だ。
娘はその様子をじーっと見ている。
小学生が去った後、(水飲み場に行きたい)と手や顔で私に合図を送ってくる。
私は、「遊ぶところじゃないよ」と言いながら、内心は(濡れたらめんどくせ〜)と思い、娘の訴えを拒否した。
しかし娘はあきらめない。
お決まりの、「ちがう!」と言った後、
(1人でも行ってやる)と思い立ったようで、1人でテクテク水飲み場に行ってしまった。
も〜。
はぁ…。
まあ、行くか〜。
と思い、テクテク歩く娘の後ろについていく。
娘はどうやったら水が出るのか、研究し始めた。
まあ、蛇口のひねり方は分からないし、ひねる力もないだろう。
しばらく娘はカチャカチャといじっている。
20分経過。
娘は黙って研究に没頭している。
長い。
もう、飽きた。
こういう時、私は老人のマネをする。
老人のマネをしたら、心も老人のようになれるからだ。
猫背になり、手を後ろに組み、遠い目をする。遠くにある桜を眺めた後、空を仰いだ。
天気がええのぉー…。と心の中で言う。
そうすると、せっかちな心のスピードを少し遅くできる。
30分経過。
そろそろ、老人化の効果が切れそう…。
もう、帰りたい。
そろそろ、諦めてくれないかな。
私は「そろそろ行こうよ〜」と声をかける。
当然、娘は無視だ。
40分経過。
もう、待てないなー。耐えられないなー。
「行くぞ〜」
と言いながら、私は一歩ずつ後ろに下がる。
離れると、「かーちゃーん!」って言いながら来るだろうから。
だが、娘はなかなか私の方に来ない。私に見向きもしない。
10歩ぐらい後ずさったが、娘は来ない。
あーーーーーー。
思いっきり、苛つきもこめて顔を上に向けた。焦点の定まらない目で、口を開けながら空を見渡す。すごく綺麗な青空だ…。
気持ちをリセットさせよう。
心の中でゆっくり5つ数え、充分に空を仰ぎ、視線を娘に戻した。
視線を戻した先には、娘。
と、天高く上がった水。
娘は40分かけて蛇口をひねることに成功したのだ!
水浸しになっている娘。
反射的に走る!ダッシュ!なんで10歩離れたんだよ私!!と心の中で叫びながら。
(私はたまにバスケをするのだが、速攻の時ぐらいの反応だったと思う)
水を避けて蛇口を戻せばいいだけなのに、焦ってる人の判断力はかなり低下する。
自分も水浸しになりながら蛇口を戻した。
蛇口を戻せて、「ふう…」と一息して娘を見た瞬間、頭上に残っていた水が2人の頭に落ちてきた。
実際は少量の水だったのだろうが、その時は「バッシャーン」とバケツの水を頭からかぶったような感覚だった。
…………。
もう、2人で大笑い。
もう、笑うしかなかった。
さっきまでのイライラが、一瞬で消え去った。
なにより、娘だ。
満足して、最高に嬉しそうに笑っていた。
水浸しになった2人で、笑いながら桜並木を歩いた。
いつもだったら遊具で数時間遊んで、帰ろう。帰らない。のやり取りをしてやっと帰宅できるのだが、この日の娘は水で満足したのか、ニコニコしながら車に乗ってくれた。
帰りの車の運転中、「公園に来て、本当に良かった〜」と最高の気分で帰宅した。
公園に来る前の私は一体なんだったのか、こうなったらもう思い出せない。
こういう日があるから、人生は楽しいと錯覚を起こしてしまうのだ。
子育ては楽しくなどないのに、楽しいと錯覚を起こしてしまうのだ。
起こせてしまうのが人間なのだ。
錯覚できるほど、私の悩みなど軽いのだ。
勝手に自分で重く大きくしているだけなのかもしれない。