
出産後は、親友以外の女友達と会ってはいけなかった
4年前、娘を出産した。
産前に看護師の仕事を辞めた。
元職場の同僚で、仲良くしてくださった方がいた。
辞める時、「辞めた後も会おうね。出産後、ご飯いこうね」と言われた。
私は当然これはその場限りの口約束だと思っていたのだが、産後2ヶ月頃になるとメッセージがきた。
初めての産後で余裕はなく、外食ではなく我が家でご飯を食べることになった。
私の家に2人の元同僚と赤ちゃんが来た。
元同僚のうち、1人は私と同じ年の独身。趣味が沢山あり、とても楽しそうにしていた。仕事はテキパキとこなし、助けてもらったことも多々あった。
もう1人は3つ年上で、私より3ヶ月ほど早く子どもが生まれていた。家父長制の根強い地域出身の男性と結婚していた。
バリバリに仕事をこなし、タイパ重視の人だった。患者さんにもタイパだった。
この人と初めて会った時、なんとなく苦手意識が湧いた。きつい人だと感じた。だが話していくと面白い人で、慣れてきた頃には会話に花が咲くことが多々あった。
私と3つ年上同僚の彼女は、初産だった。
だから自然な流れで、出産時の話しになった。
分娩時間が何時間だったとか、分娩時の痛みがどうだったとか。
彼女は初産とは思えぬ速さで出産できたようで、助産師さんから「強いね」と褒められたそうだ。
逆に私は難産で、なかなか子どもが出てこず、結果的には仮死状態で産んでしまった。
そのことを話した時、
「いきみが下手だったんだー」
と言われた。
出産直前、赤ちゃんを体外から出すために妊婦は下腹部に力を入れる。
この"いきみ"は、ただ力を思いっきりいれればいいってわけではなく、少しコツがあるのだ。
第一子が私のお腹から出てきた直後、娘は泣きもせず真っ青な四肢がぐったりとしていた姿を、私はきっと一生忘れないだろう。
この会話をしていた当時、娘への罪悪感から逃げたい感情が強くあった。だから「難産だった」から先の言葉は言えなかった。
私が深く話していなかったが故に、もしかしたら苦労自慢のように聞こえたのだろうか。
そんなことを考え
「そうでしたね」
と返事をした。
赤ちゃんの容姿の話しになった。
彼女の赤ちゃんは、とても目がぱっちりしていた。
「性格悪くならないか心配」と言いつつも、とても嬉しそうだった。
赤ちゃんは愛想もよく、ニコニコしていた。
どちらに似ているのか、という話になった。
その話題を振った瞬間、彼女の表情が少し曇った。
彼女の目は二重ではなく、旦那さんも二重ではない。
「私の家系が二重なんだよ…」
と少し焦ったような雰囲気で話していた。
疑われたくないという雰囲気が伝わった。
周りが疑った目で見ているのではないだろかと、ビクビクしているようだった。
私は正直、全く疑ってなかった。
彼女は、家父長制の強い旦那さんにも献身的だった。
それに職場の不倫者を徹底的に否定しているタイプの人だった。
それに不妊治療で泣いている姿を見たことがあったから。
だから、普段の私だったら「変に言いたい人には言わせとけばいいですよ〜」とか「私の弟もおじいちゃん似だったんですよ〜」などと言っただろう。
だがこの時の私は、彼女が欲しかった言葉を言えなかった。
彼女が安心する言葉が何か、私は明らかに分かっていた。なのに言えなかった。
「そうなんですね」
と言った。
彼女の心の余裕のなさが垣間見えた瞬間だったのだが、私はそれを見て見ぬふりをしたのだ。
私の第一子が生まれた時は、私達夫婦の親は飛ぶように喜んだ。
孫フィーバーだった。
お金や物が送られてきて、明らかに浮かれている様子だった。
私の父親は毒親なのだが、赤ちゃんの顔を初めて見た時の父親の顔は忘れられない。父親のあんなに柔らかく愛しそうな目を初めて見た。つい目を背けてしまうほどに。見てはいけないものを見たかのような。
夫の母親は、孫のためなら死ねますと言わんばかりの溺愛だ。今も。
そんな跳ね上がっている祖父母の話しをした。
そしたら彼女の顔がまた曇った。
「うちは全然。兄と姉が子ども何人もいるから、うちの子が生まれても普通におめでとうって感じだった」
彼女の母親は保育士をしている方だったのもあり、子どもに対して慣れていた。冷静とも言える様子だったそうだ。
遠回しに彼女を傷つける話題となってしまったので、話題を変えた。
「これだけ可愛いと、きっと旦那さんも溺愛ですね」
「んー…。あんまりかな…。男の子だったからかな…」
明らかに下を向いて暗い表情でそう言った。
また会話を間違えた。
今思うと、男性が生まれたばかりの赤ちゃんを可愛いと思わないことは、別に不思議な状態ではない。
なぜなら私の夫が、そのタイプだった。
意味が分からず泣き続ける赤ちゃんに対し、妊娠・出産を経験していない男性には母性のような感情は湧かない。勿論、人にもよるが。
今となっては生物学的な理解を示すことができるのだが、当時の私は「こんなに可愛い赤ちゃんに対して可愛いと思わない父親は異常だ。毒親育ちだからそうなのかもしれない(私も毒親育ちなのに笑)」なんて馬鹿なことを考えていた。
その私の考えを知ってか知らずか夫は黙っていた。否定せず、当時の夫は我慢していたと思う。
本当は赤ちゃんが可愛いと思っていないのに、可愛いと思っているフリをしてくれていたと思う。ぼちぼちだが。
第二子が生まれた今は、赤ちゃんを可愛がらない夫の言動に対し、苛ついたり心配になったりしない。
だが彼女たちと会話を交わしていた当時は、私も彼女と同じ悩みをもっていた。
だから"夫が赤ちゃんを可愛いがらないこと"について、色々相談したり愚痴を言えばよかったのだ。
だがその場に夫もいた手前、言い出せなかった。
彼女たちが我が家に訪問した日、夫も同じ空間にいた。
女子トークを繰り広げている際、夫は手作りランチを作ってくれた。
赤ちゃんを可愛がっていたし(半分はフリ)、アパートの階段でベビカーを運んでくれたりした。
ある意味、"いい夫・いい父親"に見えていたと思う。
実際は彼女の夫も私の夫も、大して変わらないのだ。
だがあの時の私達は2人とも愚かだった。
彼女の目には我が家がとても良いように見えていただろうが、実際の当時の我が家はボロボロだった。夫婦でお互いの腹の中はみせず、私は何度も離婚か別居婚を提案していた。
お互いがお互いを異常だと思っていた。
((夫が家に帰って来るから、私は穏やかでいられないんだ))ぐらいに考えていた。
あの時の私は、心の奥底では彼女が我が家を羨んでいることに気がついていた。なのに、それを否定も肯定もしなかった。
「夫婦で協力しあいながら、楽しく子育てしてます!」とは言わなかったが、「色々問題ばかりですが、なんとか頑張って子育てしてます」とも言わなかった。
夫がその場にいたから言えなかったのもあるだろうが、多分夫がいなかったとしても、私は肯定も否定もしなかったと思う。
私は彼女を微塵も羨ましいと思わなかった。なのに、彼女が勘違いしていればいいと、内心思っていた。
勝手に比べていればいいと。
この場にいたのは友人の集まりでもなんでもなく、環境を比べる女と、羨ましがられるものが本当は存在しないのに、あるかのように振る舞っていた女だ。
見えづらい歪ができていたが、それを認めたくない。でも徐々に亀裂が大きくなっていっていた。
出産・育児に関係のない話しをすることにした。
そうすると、以前働いていた時のように会話に花が咲いた。
だが、ずっと疲れが蓄積されていく感じがする。
(早く帰ってくれないかな。これなら私の家でご飯会にしなければよかったな)と思いながら、振られた会話に過剰に反応する。
相手が話した話題に対し、大きな声をで大げさに反応して会話を続ける。
笑顔を作り会話を続ける。今笑顔を止めると、もう笑えなくなるから、ずっと笑顔を絶やさずにいる。
相手の話はほとんど聞いてないのに、話への返しを自分は何かしゃべっている。頭を使わず、反射で声を出して話しているような気がする。聞くことにも喋ることにも頭を使わず、口に勝手に動いてもらってる。頭がぼーっとしてきた。
私の心根を知ってか知らずか、夫が話題を振ってきた。
「俺の職場の先輩で、子どもが先輩に似てるところが1つもないんですよ。出産前に数人の同僚が奥さんの浮気現場を見たって言っても、先輩は奥さんに何も言わなかったんですよ。だから、『自分の子じゃないかもしれないじゃないか。DNA検査したら』って言われてた。でも先輩は『俺の子じゃなくてもいいんだ!』って開き直ってて、あはは〜。奥さんのこと、相当好きなんですね〜」
夫はご飯を作ってくれたりしていたから、女子の会話は聞いていなかったと思う。多分。でも、聞いていたかもしれない。
全く悪気のない顔でしゃべっている。ように見えるけど、どうだろうか。分からない。
彼女が赤ちゃんの顔が自分たちに似ていないのを気にしていることを、夫は気づいていなかったのかもしれない。
私は
「そういえば、前にその先輩の話しあったね」
と言った。
彼女は会話に軽く頷く程度だった。
さあ、帰りましょうか。となった。
帰り支度をして彼女達は「また遊ぼうね」と言って帰っていった。
日はまだ高く登っている時間帯だった。
彼女が帰った後たまらなくなり、外を散歩しようと夫に提案した。
息が止まるほど散歩をしたくなったのは初めてだ。
外に出ないとおかしくなりそうだった。
提案すると、夫も散歩したかったようだった。
夫と赤ちゃんと3人で近所を散歩した。
最初は「楽しかったね〜」「他人と会話したのは久しぶりだったな〜」「ご飯美味しかったありがとね」なんて会話をしていた。
だが途中で限界がきて、
「楽しかったけど…。ちょっと疲れたな」
と言ったら、夫は
「めちゃくちゃ疲れたーー」
と吐くように言った。やっと言えたと言わんばかり。私が「疲れた」と言うまで、夫は言うのを我慢していたようだった。
夜、暗闇で泣き続ける赤ちゃんを抱っこしながら、ぼーっとする頭で今日一日のことを考えていた。
後悔の一日だったと思った。
彼女とは、こんな関係ではなかったのだ。
波長の合う相手ではなかったにしても、楽しい時間を共有できる友人だった。
違うなりに、相手を思いやれる関係だったはずなのだ。
相手を傷つけないように言葉を選び、会話を交わしていた。
彼女はきつい女性だが、傷つきやすい一面もあった。だから彼女自身も相手が傷付いてやしないかと気にすることもあった。
だから今日の私達は、相手が傷ついていることに気がついていながら、止められなかった。表立って何か言い合いをしたりしたわけではない。
だが、ちっとも思いやった気持ちで相手と会話ができていなかった。
私は、なんでそんなことをしてしまったのだろうか。
これはしょうもないマウントが起きていただけなのだろうか。起きていたとして、それはなぜだったのだろう。
私は友人が少ない。(私の友人をやれている人に対し、どうかしているんじゃないかと思うほどだ)
だから友人になりえる人と出会った時、私はかなり慎重になる。
相手は本心から私と友人になりたいのか、知り合いにとどめたいのか。私自身も、どうなのか。
だから、ここまで繋がりができるなんて稀だ。
稀だったのに、その機会を自分で壊してしまった。
今日は楽しかったねメールもなく、この日以降連絡は一切なかった。
私は彼女を微塵も羨ましいと思わなかった。なのに、彼女が勘違いしていればいいと思った。
これがなぜなのか、長年分からなかった。
だが先日、親友の家に行って会話をしていた時に気がついた。
私が
「私のいきみが下手だったから、仮死状態で〜〜〜」
と凄く軽い口調で言った。
私は何か会話を続けていたのだが、親友は珍しく私の言葉を遮った。
「ちがうよ」
と強い口調と表情で言われた。
そう言われた瞬間、私は凄く泣きたくなった。
その時、そうか、私は"違う"と言われたかったのか。と気がついた。
子どもを仮死状態で生まれさせてしまったことに対して、心の中で折り合いがまだつけれてなかったのだ。
そのことに気が付かず、無視をし続けていたのか。
だからあの日、彼女に「いきみが下手だったんだ」と言われた時、私は心の底では傷ついていたのに、それをなかったことにして見せないように格好つけて彼女に合わせ、でも彼女に仕返しをしてやりたい気持ちになって。彼女が私の環境を勘違いして羨ましいとか、羨ましいと思っていなかったとしても、友人として心を寄り添わせる会話を意図的にしなかった自分の行動の理由がわかった。
折り合いがついていなかったことに気づいていれば、話題を変えたり軽く誤魔化したりができただろう。
それができてたのならば、いちいち傷ついたり怒りもわかなかったかもしれない。
そもそも、産後数ヶ月のタイミングで会うべきではなかった。
ホルモンバランスが乱れに乱れているのだ。
気を遣わない相手とのみ、会うべきだった。
第二子が生まれた後はこの教訓を活かし、親とも会わず、親友のみ会うことにした。
今回は以前のような失敗はなく、友達は増えてもいないが減ってもいないです。