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武士から学ぶ 志のあり方~武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり

〈まえおき〉
私と母親は とことん真反対だ。

世代間に違いがあることを
理解しているつもりでいながら
各世代の価値観を
無意識に押し付け合っていた頃。

いくら話して分かり合おうとしても
やはり無理なものは無理だと
無駄に話すのを避けていた頃。

あれから、'対話'の仕方を見直してみた。

'私はこうだと思う'
を主張し合うだけではなく
'あなたはどう思う'
を聞き合うようになって

その心のゆとりにより
分かり難い話を聞くことが可能になり

真反対だということを互いに認識し合った。


分かれない自分を厭わしく思う必要も
無理に分かろうとする必要も
相手に分かってもらう必要もないことを

理解できるようになった。


こうした'対話'を繰り返し、
お互いのわだかまりが
少しずつなくなってきた気がする。  

そんな母と、赤穂浪士の故郷へ足を運んできた。
その時に強く感じたことを、
noteにまとめておく。



武士の生き方


自らの意志で殿の仇を討ち本懐を遂げ、
腹を切った四十七の義士たち。

武士のの強さを目の当たりにした。

義士の一人、勝田新左衛門の像


毎日怠りなく
武士の魂である愛刀の手入れをし
自分の精神をも練磨する姿。


誰かに命令されて
一斉に発射する鉄砲隊とは違う。

人を一瞬で斬りうる刀をどのように使うかは
自分の意志で決める。

時には腹を切ることを
自分で決めることだってある。

常に矢印は自分の内側へ向いていたはずだ。


文武忠孝
忠と孝の間で揺らぎ
己の意志を決めきれず
どちらも全うできないために
腹を切る武士もいた。


己の命を、何に使うか。
常に自分の内に問いかけていたに違いない。


人は必ず死ぬ


今の日本では
死ぬことが当たり前でないと言われるが
それは本当だろうか。

あまりにも生に酔い
死を遠ざけすぎてはいないか。


真っ直ぐ見つめるべきものから
目を逸らしてしまっていると感じる。


死ぬことは、当たり前だ。

誰だっていつか死ぬ。
生きるは死ぬということ。

私たち人間は

死亡率、100%だ。


死を敬遠するということは

自分の命をどう使うかという
この世に生まれてきた人間にとって最も重要な問いから
目を背けることを正当化している
ようにも感じる。


誠の生き方とは


それが忠でも孝でも何であっても
自分自身のど真ん中から出てくる意志を
同志と共に最後までやり遂げること。


必ずいつかは死ぬ自分の命を
どのように使い切るか
しっかりと吟味し

やると決めたことを
周りがなんと言おうと
曲げずにやり遂げようとする

真っ直ぐな志そのものを言うのだと思う。


個々によっても時代によっても
価値観は違うから
命の使い方自体に肯定も否定もない。

誰かに忠誠を誓い自らの命を犠牲にすること
武士としての名誉を守り抜くこと
親に従い孝行すること

かつての人々はこれを肯定しただろうし
現代の人々の多くは否定するかもしれない。

つまりこれ自体に良いも悪いもない。


大切なこと①


それは
考え悩み己の意志を持ち

人に寄り掛かるのではなく
例え1人であっても
行動に移し最後まで貫く強さである。



「始めから誰かと一緒でないと成し遂げられない」
「自分一人にそんな強さはない」

そのような志で
この世に頂いた自分の命を
使い切ることはできるだろうか。

得意も苦手も全部1人でこなせなど
そんな意味の分からないことを
言いたいのではない。


依存関係の化けた '寄りかかり合い' と

自律した者同士が手を取り合う共同創造は

全くの別物である。



はじめは1人だからこそ

自分のど真ん中を誰に遠慮することもなく
打ち出せるのではないだろうか。


ピラミッド型の団体に属している者は
その団体のゴールを自分のゴールだと
みなが勘違いしている。

パートナー同士共依存している者もそうだ。


人は生まれてくる時も
死ぬ時も1人であり

生き方とても1人の人間として
個々の命の使い方があるはずだ。


本当の同志とは

利害関係により支え合うものではない。
お互いを利用し合う存在でもない。

自分のど真ん中から出てくる
まっすぐな志、源の部分を

どちらも曲げることも弱めることもなく
分かち合える存在であり

たとえ側にいなくても
地縁・血縁では繋がらずとも

志縁で繋がり続けられる存在である。


近くにいるから火が大きくなるのではなく

もともと燃えていた各々の志が
志縁の存在により
学び合い、成長し合い、
よりたくましくなるのだ。


己の内なる声に耳を傾けよ。

団体のど真ん中でも、
パートナーとのど真ん中でもない

自分のど真ん中を知らない人間に、
何を志すことができるだろうか。



縁ある人とは
1度離れたとても
必ず巡り会う。


強い意志には必ず
同じくらい強い向かい風が吹く。


自分の命をそれに使いたい。
そのためなら、1人でも走り抜ける。

嘘偽りなく自分のど真ん中から
そう思える志を
自分の手で見つけようとする人が
私の周りから1人でも増えてほしい。


大切なこと②


それは
人からの評価や見栄とはかけ離れた

ど真ん中を曲げない真っ直ぐな強さである。

当の本人は気づいていないかもしれないが

エゴや見栄から生まれる志
周りに人がいなくなった時点で
無意味なものとなり
必ず萎れる。

人に評価されることを前提にしか
自分の志を保てない
からだ。

強い志が自分の内から湧き上がるものであれば
誰が何に対してどう思おうと関係なく
突き進めるはずだ。

ネガティブな感情はもちろんのこと
自分を持ち上げられることも拒む勢いで。

これは謙虚でも何でもない。
エゴや見栄に興味がないだけだ。
そんな人が、
志を全うする本来の強さを持っている。


まとめ

これらは、時代が移り変わり
価値観などがどのように変容しようとも

日本に生きた先人から
私たちが受け継ぐことのできる大志

唯一繋がる根本的な部分だと
強く思う。

日本は海外から学ぶことが多いと
思う人もいるだろうが

先人から学ぶこともまた
多いのではないだろうか。

特に、精神性に通ずる部分において
これを受け継ぐ日本人のもとに
海外の人々までもが学びに来ることもある。

これは
今の日本に生きる私たちが
思い出し、受け継ぐべき精神であると共に

今現在大きく揺れ動くこの社会で
最も必要とされているものであり、

次の時代を創り出す一人一人の核となるものだと
確信している。

私自身もこれを体現していくと共に

縁ある人から
の生き方を志す人を
1人、また1人と増やしていきたい。

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

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