現代版化け猫 「夜に囁く猫影」 ~化け猫の宿命に縛られし者たち~
「夜に囁く猫影」~化け猫の宿命に縛られし者たち~
あらすじ:
都会の喧騒を離れ、山間の古びた村に引っ越してきた主人公。
新生活の中で飼い猫を失った悲しみを癒す暇もなく、不気味な猫たちとの遭遇を重ねていく。
ある夜、玄関先で起きた猫同士の争いを目撃した主人公は、その場から逃れられない恐怖の連鎖に巻き込まれる。
猫又にまつわる伝承と、自身に付きまとう奇怪な現象の繋がりを探る中で、主人公は「黒い影」の存在と、過去に隠された自らの罪を知る。
猫たちの目に潜む冷たい光――それは忠告か、それとも断罪か。
主な登場人物
1.. 主人公: 森下 真由(もりした まゆ)
年齢: 25歳
職業: フリーライター(雑誌やウェブ記事を執筆)
容姿:中背(160cm)、細身で肩までの黒髪をラフにまとめている。切れ長の目で猫を思わせる雰囲気がある。服装は動きやすいシンプルなシャツやジーンズが多いが、少し古風なイヤリングをしていることが多い。
性格:冷静沈着だが、根は情が深い性格。物事を観察し深く掘り下げるのが得意だが、時折自分の考えに囚われて周囲が見えなくなることも。
口癖:「なんだか、引っかかるんだよね…」
好きなもの:コーヒー、古い写真集、猫(特に茶トラ猫が好き)。
嫌いなもの:鳥の死骸や虫。幼い頃のトラウマで羽音を聞くと顔をしかめる。
背景:幼い頃から猫を飼い続けてきたが、1匹の飼い猫を原因不明の病気で失った経験がある。それ以降、猫の異様な行動や霊的な出来事に敏感になっている。
2. 黒猫: クロ
正体: 化け猫または猫神の使い.
容姿:漆黒の毛並みが光沢を放つ美しい猫。尻尾は普通の猫より長く、鋭い金色の目が特徴。
性格:冷静沈着で理知的。真由に対して時折厳しい態度をとるが、基本的には守ろうとする意志が強い。
口癖:「愚かな人間だが、助けてやる」(テレパシー的に伝えるイメージ)
嫌いなもの:汚れた水や湿っぽい場所。
背景:真由の家の土地に宿る古い守護霊的存在。ただし、真由の過去の行動によって発生した呪いに干渉しつつも完全に制御できていない。
3. 村の古老: 片山 緑(かたやま みどり)
年齢: 78歳。
職業: 村にある小さな神社の管理人。
容姿:小柄で細身の女性。白髪を短く刈り、和装を着ていることが多い。目は鋭く、笑うと深い皺が目立つ。
性格:知識豊富だが気難しい。猫や霊的な話題に関しては饒舌で、何かを知っていそうで隠しているようなそぶりを見せることも多い。
口癖:「猫を甘く見ないことだよ」
好きなもの:緑茶、猫の彫刻(自作のものをよく作る)。
嫌いなもの:若者の軽率な態度。命を粗末にする行為。
背景:黒猫クロの存在を知っている。村に伝わる猫又の伝承を熟知しており、真由に重要な助言をする役割を担う。
現代版化け猫 「夜に囁く猫影」 ~化け猫の宿命に縛られし者たち~
「夜に囁く猫影」
あの日、引っ越しを決めたのは、衝動的な気分からだったと思う。
東京での暮らしは便利だったし、仕事もそこそこ順調だった。
でも、満員電車に揺られ、締め切りに追われる毎日が、私を少しずつ蝕んでいるのを感じていた。
そんな時、ふと目に留まったのがネットの不動産広告だった。
山間の小さな村に建つ古い一軒家――写真の中のそれは、どこか懐かしさを感じさせる木造建築で、窓越しに見える緑が心を掴んだ。
「これくらいの静けさが必要かもしれない。」
その決断に、深い理由はなかった。
そして私は、仕事の環境をリモートに切り替え、この村へと越してきた。
村の名前は「深藪(ふかやぶ)村。」
聞いたこともない場所だったが、それがむしろ気に入った。
玄関の鍵を回し、中へ入った瞬間、湿っぽい空気が鼻を刺した。
築何十年なのだろう。
柱にはかつて誰かが刻んだ傷跡のようなものが残っていて、床は少し軋んだ。
でも、不思議と居心地が悪いとは感じなかった。
むしろ「この家が私を歓迎している。」
と思わせるような、温かな空気すら漂っている気がした。
荷ほどきを終えた後、ふと気配を感じて窓を開けた。
庭には一匹の黒猫が座っていた。
痩せているわけでもなく、毛並みも綺麗だったから野良猫ではないのだろう。
けれど、近づいてみるとすぐに茂みに姿を隠してしまった。
「猫か…」私は小さく笑った。
猫は大好きだった。小学生の頃から数えると、これまで20匹近くの猫を飼ってきた。
けれど、今はもう飼っていない。
最後の猫が死んだ時、悲しみが大きすぎて二度と飼えないと決めたからだ。
その夜、布団の中でぼんやり天井を見上げながら、少し昔のことを思い出した。
あの猫が突然豹変し、私に牙を剥いた日のことだ。
翌朝、玄関を開けると、昨日の黒猫が庭で丸くなっていた。
私が顔を覗かせると、目を開け、低く喉を鳴らした。
近寄ろうとすると逃げるでもなく、ただじっとこちらを見つめている。
「どうしたの? お腹すいてるのかな?」
冷蔵庫を開け、チーズをひとかけら持って戻ると、黒猫はまだそこにいた。
そっとチーズを地面に置いてみたが、黒猫は近づこうとせず、私の顔をまっすぐに見ているだけだった。
「食べないの?」
肩をすくめて立ち去ろうとした瞬間、猫が低く鳴いた。
「ニャア」という普通の声ではなかった。
もっと深く、何かを伝えようとしているような音に聞こえた。
それを無視するのは難しかった。
黒猫と目を合わせたまま、何かが喉に詰まるような感覚がした。
言葉にはならないけれど、猫が語りかけているような、そんな錯覚だった。
その日の午後、村を歩いてみることにした。
村は思った以上に静かで、人気が少なかった。
小さな商店が一つと、郵便局のような建物が見えるくらいで、ほとんどは農家の家が点在している。
古い神社があるという話を不動産の人から聞いていたので、足を向けてみた。
鬱蒼と茂る木々の間にぽつんと佇む神社は、想像以上に寂れていた。
鳥居は苔むしていて、手水舎の水も枯れている。
「何か用かい?」
不意に背後から声をかけられ、振り向くと小柄な女性が立っていた。
髪は白く短く刈られ、濃い皺が刻まれた顔には威厳があった。
「いえ、ただ…引っ越してきたばかりで、村を散歩しているだけです。」
その女性――片山緑さんと名乗った彼女は、私の目をじっと覗き込んだ。
「この村に引っ越してくるなんて、珍しいね。この土地は、あまり人を寄せ付けないから。」
「そうなんですか?」
「まあ、気をつけるんだよ。夜、変な猫を見かけたらね…。」
その言葉に、昨夜の黒猫を思い出した。
でも、それ以上は深く聞かずに神社を後にした。
村を後にして家に戻ると、玄関先にまた黒猫が座っていた。
今度は私の帰りを待っているかのように堂々とした佇まいだ。
「君、本当にここが気に入ってるんだね。」
私は軽い冗談のつもりで声をかけたが、黒猫は微動だにせず、またあの低い音で喉を鳴らした。
「なんだか変な猫ね…」そう呟きながら家に入った。
その夜、不思議な夢を見た。
私は暗闇の中にいた。
周囲には光がなく、どこを見ても輪郭すら掴めないほどの深い闇。
けれど、どこからともなく猫の鳴き声が聞こえてくる。
「ニャア」と優しく響く声ではない。
喉を絞るような音が、耳の奥で何度も反響していた。
気がつくと、私の目の前に何かが浮かんでいた。
それは黒い塊で、形も曖昧だったが、どこか嫌な感じがした。
そしてその向こうで、猫の目が無数に光り始めた。
「お前だ…。」
誰かが囁いた。いや、猫の鳴き声がそう聞こえたのかもしれない。
目が覚めた時、全身が汗で濡れていた。
枕元には何もない。
けれど、なぜか視線を感じて部屋の隅を見つめると、黒猫がじっとこちらを見ていた。
「…君、いつの間に。」
その時初めて、この猫の存在がただの偶然ではないと感じた。
翌日、私は片山緑さんを訪ねることにした。
神社に向かう途中、村人たちとすれ違うと、彼らは誰もが私に警戒するような視線を向けてきた。
妙な胸騒ぎがした。
「あなた、あの家に住んでるんだって?」商店の前で立ち話をしていた老婆が声をかけてきた。
「ええ、引っ越してきたばかりです。」
「まあ、気をつけるんだね。あそこは昔から『猫に呪われた家』だって言われているんだよ。」
突然の言葉に背筋が寒くなる。
私は急いで神社へ向かった。片山さんは昨日と同じ場所に座り、手に彫刻刀を握っていた。
彼女の前には猫の形をした木彫りの像が置かれている。
「また来たのかい。」
彼女は私の足音に気づくと、顔を上げずにそう言った。
「あの、聞きたいことがあります。私が住んでいる家について、村で噂になっているらしいんですけど…。」
その言葉に、片山さんは手を止めた。深い皺が刻まれた顔が、じっと私を見つめる。
「まあ、そうだろうね。あの家には昔からいわくがある。特に猫にまつわる話が多い。」
「猫にまつわる…?」
「そうさ。あそこに住んだ人間は、みんな猫に追い立てられる。いや、猫が守っていると言った方が正しいのかもしれない。あるいは…猫に狙われているともね。」
「狙われる…って、どういうことですか?」
私は思わず身を乗り出した。
片山さんは少し迷うように視線を逸らし、それから低い声で言った。
「猫又って知ってるかい?」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けたような気がした。
猫又――それは私が幼い頃から何度も耳にした言葉だった。
長く生きた猫が妖怪に変わるという伝承。
その存在を笑い話のように語る大人たちを、子どもの頃の私は不思議に思いながら聞いていた。
「猫又…そんなものが本当にいるんですか?」
「信じるかどうかはお前次第だよ。ただし、あの家に引き寄せられる猫たちには、それぞれ理由がある。そして、その中の一匹は、必ずお前を見張っている。」
「見張っている…?」「そうさ。お前の罪を見ているんだ。」
片山さんの言葉が、胸に突き刺さるようだった。
罪――思い当たることはあった。あの林に埋めた死骸。
けれど、それが猫たちの存在とどう繋がるというのだろう?
「夜に猫が鳴いても、絶対に外に出てはいけない。それだけは忘れるな。」
片山さんの言葉は鋭く、そして冷たかった。
それが、忠告である以上に警告のように思えた。
片山さんの言葉が頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。
あの家、猫、罪、そして私を見張る目――それが何を意味するのか、何もわからなかった。
ただ、夜に猫が鳴いても外に出るなという忠告だけが、やけに耳に残った。
「罪を見ている。」という言葉の意味に身に覚えがないわけではない。
けれど、それはずっと心の奥底に押し込めていた記憶だった。
幼い頃、私が埋めた死骸――あれは確かに犬だったはずだ。
でも、もしその死骸が猫だったとしたら? そんな考えが頭をよぎると、急に胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
私はその晩、早めに床についた。頭を冷やして考え直そうと思ったが、暗闇の中で瞼を閉じると、また猫の目が浮かぶ。無数の光る目が私をじっと見つめている。
それがただの幻覚だと思いたかった。
深夜、耳をつんざくような「ギャッ」という猫の鳴き声で目が覚めた。
瞬間、私は息を呑んだ。昼間の片山さんの忠告が脳裏をよぎる。
「夜に猫が鳴いても、絶対に外に出てはいけない。」
――わかっている。わかっているのに、私は無意識に布団から這い出し、玄関へと足を向けていた。
鳴き声は続いていた。
次第にそれは、ただの猫の喧嘩の声ではなく、人間の呻きにも似た不気味な音へと変わっていく。
私はドアノブに手をかけた。
冷たい金属が指先を刺す。その瞬間、背後から低い鳴き声が響いた。
振り向くと、あの黒猫が部屋の隅に座っていた。
金色の目が暗闇の中で光り、こちらをじっと見つめている。
「ニャア…」声のトーンが異様だった。
ただの猫の鳴き声ではない。
まるで「止めろ」と言っているように聞こえた。
「…君、何か伝えたいの?」
私は自分に問いかけるように呟いた。
黒猫は動かない。けれど、その目には確かに意思があった。
それでも私はドアを開けた。
外には昼間見かけた茶虎の猫がいた。
だが、その様子がおかしかった。茶虎は毛を逆立て、尻尾を膨らませ、玄関先の空中に向かって威嚇している。
「どうしたの…?」
私が声をかけると、茶虎は一瞬だけ振り向いた。
瞳が怯えているように見えた。
次の瞬間、猫が突然空中に飛びかかる。
その先には「何か」がいた。
何も見えないはずの空間で、茶虎の身体が突然バラバラに裂け、真っ赤な血が霧のように辺りに飛び散った。
目の前で起きたことに、私は声も出せずにその場に立ち尽くした。
茶虎の姿はなく、代わりに黒い影のようなものがゆっくりと動いていた。
その影の中で、無数の光る猫の目が浮かび上がる。
「貴様の罪を見届ける。」
声にならない声が響いた。それは私自身の頭の中に直接響いてくるような、不気味な音だった。
黒い影がこちらに向かってゆっくりと近づいてくる。
動けない。逃げ出すことも、声を上げることもできない。
ただ、足元に何かが触れる感触だけが現実に引き戻してくれた。
「戻れ。」
低い声が耳元で囁かれた。
それは黒猫の声だった。
黒猫が私の足元に立ち、鋭い金色の目で黒い影を睨んでいる。
その瞬間、影が一瞬だけ怯むように揺れた。
「早く、家に入れ。」
再び黒猫の声が響く。
それは確かに人の言葉として聞こえた。
私は言われるがまま家の中に駆け込むと、黒猫もそのままついてきた。
玄関の扉を閉めた途端、影の存在は消えた
。窓から外を覗くと、玄関先には血の跡すら残っていない。
ただ、地面に大きな黒い染みが残っているだけだった。
「どうして…何が起きているの?」
震える声で黒猫に問いかけると、彼は静かに座り込み、私をじっと見つめて言った。
「貴様が引き寄せたものだ。それ以上は聞くな。明日、片山に話せ。」
黒猫の声が止むと、突然強烈な眠気が私を襲い、その場で倒れるように眠りに落ちた。
翌朝、私は夢から目覚めたような感覚で顔を洗ったが、鏡の中の自分の頬には黒い汚れがついていた。それは猫の血に見えた。
玄関を開けると、黒猫が庭で丸くなって寝ていた。
あの夜の出来事が現実だったのか、ただの悪夢だったのか、確かめる方法はなかった。だが、玄関前には黒い染みがはっきりと残っていた。
「今夜、また来るぞ。だが、今度は守れないかもしれない。」
黒猫はそんな言葉を残し、庭の茂みの向こうへ消えていった。
私は恐怖を感じながらも、片山さんの元を再び訪ねる決意をした。
翌朝、黒猫の言葉が頭を離れなかった。
守れない――その意味を考えると、恐怖で胸が締めつけられる。
私は昨日の夜の出来事を確かめるように、玄関前の黒い染みを見つめた。
「やっぱり現実だったんだ…。」
目の前にはっきりと残る痕跡が、すべてが幻ではないことを物語っていた。
黒猫の存在、茶虎の最期、そして黒い影。私が何かを引き寄せたという黒猫の言葉の意味を知るため、私は再び片山さんを訪ねることにした。
片山さんは今日も神社の境内で静かに佇んでいた。
昨日と同じように手に彫刻刀を握り、小さな猫の像を彫っている。
私の姿を認めると、彼女は眉間に皺を寄せた。
「来たね。また何かあったのかい?」
「…昨日の夜、変なものを見たんです。黒い影と、無数の猫の目。それと…黒猫が私を助けてくれたみたいなんです。」
話しながら、自分でも混乱しているのがわかる。
片山さんは私の話を黙って聞き終えると、深い溜息をついた。
「やっぱり、お前があの家に引っ越してきたのは偶然じゃなかったんだね。」
「偶然じゃないって、どういうことですか?」
片山さんは私の目をじっと見つめた。
その瞳には一瞬、憐れむような光が宿っていた。
「黒い影、それは『猫又の怨』だよ。古い伝承にある化け猫たちの集合体だ。その存在が現れるのは、罪を持った人間に対してだけだ。」
「罪…?」
その言葉に、胸が強く脈打つ。
やっぱりあの記憶が関係しているのだろうか。
片山さんは私の動揺を察したように話を続けた。
「お前の罪が何なのか、私は知らない。でも、猫又の怨に目をつけられた人間は、いずれ命を奪われる。黒猫が助けてくれたのは、あの土地に宿る守り神の意志だろう。ただし、あの神がいつまでお前を守れるかはわからない。」
「どうすればいいんですか? 私は…何をすれば?」
「罪を認め、その罪を償うことだよ。それ以外に道はない。」
家に戻る道すがら、私はずっと頭の中で過去の記憶を探っていた。
罪。
片山さんが言う「罪」とは、あの犬の死骸を埋めたことを指しているのだろうか。
それがなぜ猫又に繋がるのかはわからない。
家に着くと、黒猫が玄関前に座っていた。
私が帰ってきたのを確認すると、彼は低い声で喉を鳴らし、家の中へと入っていく。
「君、あの黒い影のことを知っているんだよね?」
私は思い切って問いかけた。
黒猫はしばらく私を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「黒い影の正体は怨念だ。猫たちが生涯をかけて積み上げた怒りや恨みが形になったもの。人間の手によって命を奪われた者たちの思いだよ、」
「でも、私は…猫をそんな目に合わせたことはない。ただ…あの林に死骸を埋めただけ。それがなぜ…?」
黒猫は目を細めた。
「お前が埋めたのは犬の死骸だったかもしれないが、あれには猫も混ざっていたはずだ。なぜなら、あの林はもともとこの土地の人間が捨て場にした場所だったからだ。そこに住む猫たちがどうなったか、想像できるだろう。」
私の心臓が凍りつく。
たしかに、あの時、私が死骸を埋めた場所は奇妙だった。
林の奥に進むにつれ、土の中から白い骨がいくつも出てきたのを覚えている。
あれは、猫たちの骨だったのかもしれない。
「じゃあ、どうすれば…償えるの?」
黒猫はしばらく黙り込んだ。そして、静かにこう言った。
「夜が来たら、もう一度、あの林へ行け。そして、自分の手であの場所を掘り返せ。その時、真実が見えるだろう。ただし、覚悟しておけ。」
その晩、再び猫たちの鳴き声が響いた。
恐怖を振り払うように、私は懐中電灯とスコップを持ち、家を出た。
黒猫は私の後ろをついてくる。
道は暗く、足元もおぼつかない。林の中に入ると、不気味な静寂が耳を支配した。
「ここだ。」
黒猫の声が響く。
彼が立ち止まった場所は、私が数年前に死骸を埋めた場所だった。
私は震える手でスコップを握り、掘り始めた。
土を掘り返すたびに、嫌な匂いが漂ってくる。
そして、ついに――白い骨が露わになった。
犬の骨だと思ったそれの隣に、小さな猫の骨が絡むように埋まっていた。
その瞬間、背後で無数の光が灯った。
振り返ると、暗闇の中で無数の猫の目が私をじっと見つめていた。
「貴様の罪だ。」
猫の目の群れの中から黒い影が浮かび上がった。
私はそれを見つめながら、ただ呆然と立ち尽くしていた――。
黒い影がじわじわと近づいてくる。
暗闇に光る猫の目の群れが、私を断罪しようとする裁判官のようにじっと見据えていた。
息が詰まる。動けない。手の中のスコップが冷たく、重く感じられる。
「貴様は見たくなかったものを見た。これで終わることもできるが、貴様の心次第だ。」
黒い影がそう囁いた。
まるで選択を迫っているかのような声音だった。
「終わる…って何?」
震える声で問いかけたが、黒い影は答えなかった。
ただ、背後にいた黒猫が鋭い声で遮った。
「真由! 掘り返せ! お前が自分の手で埋めたものを掘り起こすんだ!」
「でも…!」
「躊躇するな! それが償いの第一歩だ!」
黒猫の目には鋭い光が宿っていた。
まるで私の心を見透かすような視線だ。私は震える手でスコップを持ち直し、再び掘り始めた。
スコップが硬いものに当たるたび、記憶が引きずり出されるような感覚に襲われた。
数年前の出来事。捨てられていた犬の死骸を見て、私は「放っておくのは可哀想だ」と思っただけだった。
その場所にはたくさんの骨が散らばっていた。
猫も混ざっていたなんて、私は考えもしなかった――いや、考えないようにしていたのかもしれない。
手の中に、朽ちた骨が掘り出される感触が伝わる。
その瞬間、周囲の空気が変わった。
黒い影がわずかに揺れた。
そして、闇の中にいる猫たちの目の光が一瞬消えたかのように感じられた。
「そうだ、それでいい。」
黒猫が低く囁いた。
私はすべての骨を掘り返し、慎重に土の上に並べた。
犬の骨も、猫の骨も。それぞれが互いに絡み合っていた。
「どうすればいいの?」
私は黒猫に問いかけた。
「祈れ。そして、その祈りが届くように行動するんだ。」
祈れ――私は戸惑った。
祈り方なんて知らない。
でも、目を閉じると自然に手が骨の方に伸びた。
「…ごめんなさい。」
思わず口をついて出た言葉だった。
「あなたたちがここでこうなったことを、私は知らなかった。気づこうともしなかった。ただの自己満足だったのかもしれない。それでも、許してほしい。もし、償いができるなら…。」
言葉に詰まり、涙が零れた。
目の前の骨に向かって謝るなんて滑稽だと思った。
でも、その瞬間、風が吹いた。
森の中の空気が一瞬で柔らかくなったように感じられた。
黒い影が再び動き始めた。
だが、今度は猫の目の群れがそれを包み込むように鳴き声を上げた。
「これで終わりではない。」
黒い影が最後にそう囁いた。
影は徐々に小さくなり、やがて完全に消えた。
黒猫が静かに前に歩み出た。
「これでひとまず、怨念は退いた。だが、お前の罪が完全に許されるわけではない。」
「…どうすればいいの?」
「この土地の猫たちを守れ。捨てられる命が二度と出ないように。そして、過去の自分の行いを忘れるな。それが償いだ。」
私は頷いた。
その言葉がどれほどの重みを持つのか、正直なところまだ理解しきれていなかったかもしれない。
それでも、この土地で生きる猫たちのために何かをする。
それなら私にもできるはずだと思った。
その夜、私は家に戻り、再び眠りについた。目が覚めた時、黒猫の姿はどこにもなかった。
朝、玄関を開けると、庭に新しい猫が座っていた。
小柄な茶トラの猫だった。どこか懐かしい気配を感じる猫だったが、初めて見る顔だ。
「君もここが気に入ったの?」私は思わず笑いかけた。
その猫はじっと私を見つめ、喉を鳴らした。
エピローグ
それから数ヶ月、私は村での暮らしに馴染んでいった。
片山さんの助けも借りながら、私は村の猫たちの保護活動を始めた。
林に捨てられていた骨は、すべて丁寧に集められ、片山さんの協力のもと神社に供養された。
黒猫の姿はもう見かけなくなった。
でも、彼がどこかで私を見守っている気がしてならない。
そして、あの夜の黒い影と猫の目も、もう夢に現れることはなかった。
ただ一つ、片山さんに教えられたことが今も心に残っている。
「罪を償うってのは、簡単に終わるもんじゃない。大事なのは、罪を知って、許されるまで続けることだよ。」
私はまだその途中だ。
それでも、この土地で猫たちと共に生きることで、少しずつ前に進んでいける気がしている。
再び忍び寄る影
猫たちと穏やかに過ごす日々が続いた。
林に供養された骨の場所には、片山さんと一緒に作った小さな石碑が立っている。
そこには「すべての命に安らぎを」と刻まれていた。
この村に越してきてからの出来事を思い出すと、今でも背筋が寒くなるが、どこか安堵も感じていた。
私は少しずつ、自分の罪を償えているような気がしていた。
それでも、何かが心の奥に引っかかっている。
あの黒い影が「これで終わりではない」と言った言葉――それが忘れられない。
ある晩、ふと目が覚めた。
いつもなら熟睡しているはずの時間に、何かの気配が私を揺り動かしたような感覚があった。
「…何?」
耳を澄ませる。
外から聞こえるのは、風が木々を揺らす音だけ。
猫たちが夜行性だということは知っているから、多少の物音は気にしない。
けれど、この夜は違った。
窓の外から、かすかに猫の鳴き声が聞こえた。
「ニャア…」
その声に胸がざわつく。
聞き慣れた可愛らしい鳴き声ではない。
かすれた声に混じる、低い不快な音。何かを訴えているような、叫びにも近い声だった。
恐る恐る窓を開けた。庭には、見たことのない猫が立っていた。
その猫は私を見ると、低く喉を鳴らしながら地面を引っ掻き始めた。
「どうしたの…?」
私がそう呟いた瞬間、その猫の後ろから漆黒の影がふわりと現れた。
影はゆらゆらと揺れながら猫に覆いかぶさる。
その瞬間、猫は「ギャッ!」という悲鳴を上げて消えた。
「嘘…また…!」
恐怖で体が動かない。私はただその場で立ち尽くし、目の前の異様な光景を見つめていた。黒い影がゆっくりと私の方に向かってきた。
「お前の罪は、まだ残っている。」
頭の中に響く低い声。それはまるで、心の奥底を抉るようだった。
再び現れる黒猫
「戻れ!」
不意に鋭い声が響いた。
振り返ると、いつの間にか黒猫が私の足元に立っていた。彼は金色の目を光らせ、影を睨みつけている。
「お前はまだ終わりではない。だが、今は手を出させない。」
黒猫の低い唸り声が響くと、黒い影はわずかに揺らぎ、後退していくように見えた。それでも完全に消えたわけではなかった。
「また守ってくれたの…?」
私が黒猫に問いかけると、彼は鋭い視線で私を見上げた。
「貴様の償いは終わっていない。その中途半端な態度が、影を再び呼び寄せたのだ。」
「中途半端…? どういう意味?」
黒猫は小さく鼻を鳴らし、冷たい声で続けた。
「貴様は、自分が償っているつもりでいるだけだ。本当に罪を償う気があるなら、この土地に漂うすべての怨念を消し去る努力をするべきだ。供養の石碑を建てただけで満足するな。」
彼の言葉に、私は深く胸を刺された。
確かに、私は「供養したからこれでいい。」
と思い込んでいた。償いとは、それだけでは終わらないのかもしれない。
新たな償いの旅
黒猫の導きで、私は村中を歩き、怨念が漂う場所を探した。
林の奥には、まだ見つけていない捨てられた骨があった。
それをすべて掘り起こし、清める作業を続けた。
片山さんも協力してくれた。彼女は神社で祈りを捧げながら、私にこう言った。
「償いは、行動と時間が必要なんだよ。一つの罪を清めたからといって、すぐにすべてが許されるわけじゃない。けれど、その行動を続けていれば、少しずつ救われる。」
私はその言葉を信じ、毎日少しずつ償いのための行動を積み重ねた。
最後の対峙
数週間後、再び黒い影が現れた。
今度は逃げることなく、私はその影と向き合った。
「お前の行いを見てきた。それでも、全てが消えたわけではない。」
「それでも、私はこれからも続ける。自分が罪を犯したことを忘れずに、猫たちを守り、この土地の命を尊重していく。」
影はしばらく沈黙していたが、やがて静かに溶けるように消えていった。
黒猫はその様子を見届けると、小さく頷き、私に背を向けて歩き出した。
「これで、ひとまずお前は自由だ。だが、これからも自分の行いを忘れるな。」
私はその言葉を胸に刻みつけた。
終章:新たな日常
それから、私は村で猫たちの世話を続けながら、静かな日々を送っている。
あの黒猫の姿を見かけることはなくなったが、彼がどこかで私を見守っている気がしてならない。
償いの道はまだ終わらない。
それでも、私はその道を歩み続けることを選んだ。
玄関先に座る新しい猫たちを見ながら、私は小さく微笑んだ。
「これからも一緒に、生きていこうね。」
終わり