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創作都市伝説やってくる/ちょっと変な趣味/双眼鏡/猛スピード 「 双眼鏡の夜」~静寂を裂く者~前編

あらすじ

「双眼鏡の夜」主人公の男性は、夜中に自宅の屋上から双眼鏡で街を観察するという変わった趣味を持っていた。

静まり返った街を眺めることは彼のささやかな楽しみだったが、ある夜、坂道の上から異様な速さで走ってくる全裸の男と目が合う。

男は満面の笑みを浮かべ、まっすぐに彼の家に向かって走ってくる。

以来、彼の静かな日常は恐怖と狂気に塗りつぶされていく。
裸の男は彼を監視し始め、やがて執拗な襲撃が始まる。
観察者であった主人公は、次第に自らが観察され、追われる存在になっていく。
「何者なのか」「

なぜ自分を狙うのか」

――その謎が深まる中、主人公は恐怖の底に隠された真実に気付くが、そこには彼自身の影が潜んでいた。

主な登場人物

主人公: 倉田 直也(くらた なおや)

  • 年齢: 32歳

  • 職業: フリーライター(自宅で執筆作業をしている)

  • 性格: 内向的で観察好き。好奇心旺盛だが、他人との関わりを避けがち。

  • 容姿:

    • 中肉中背、少し猫背。

    • 黒髪の短髪だが、セットはしておらずぼさぼさ。

    • 眼鏡をかけており、夜中に双眼鏡を使う際は度入りの特殊なレンズを装着する。

  • 口癖:

    • 「静かな夜が一番いい。」

    • 「見ている分には害はないさ。」(自分の趣味を正当化するために自分に言い聞かせるように)

  • 特徴:

    • 夜中に双眼鏡で街を観察するのが趣味。

    • 過去に目撃した犯罪や事件が無意識のトラウマとなり、彼の趣味に影響を与えている。

    • 幼い頃に両親を事故で亡くし、祖父母に育てられるが、現在は一人暮らし。


謎の裸の男(名前不明)

  • 年齢: 40代後半

  • 職業: 不明

  • 性格: 凶暴で衝動的。しかし、時折見せる行動には計画性があり、知能が高いことが伺える。

  • 容姿:

    • 痩せ細った体つきで、骨ばった顔。

    • 肌は異様に白く、目がぎょろっとしている。

    • 笑顔が特徴的で、口角が不自然なほど上がる。

    • 常に全裸で現れるが、冷たい視線と動きが恐怖を煽る。

  • 口癖:

    • 「見えてるんだろう?お前も見てただろう?」

    • 「これで“釣り合い”が取れる。」

  • 特徴:

    • 走る速度が異常に速い。

    • 倉田の趣味や秘密を知っているかのような言動をする。

    • 坂道の上に出没するが、その正体や動機は物語終盤まで明かされない。


隣人: 白石 亜美(しらいし あみ)

  • 年齢: 28歳

  • 職業: 美容師

  • 性格: 明るく親切で、直也に気さくに話しかけるが、根は少しおせっかい。

  • 容姿:

    • 小柄で華奢な体型。

    • 髪は肩までの明るい茶髪。

    • 美容師らしく清潔感があり、メイクも自然で洗練されている。

  • 口癖:

    • 「困ったことがあったら言ってね。」

    • 「直也さん、外の空気も吸った方がいいですよ。」

  • 特徴:

    • 直也の孤独な生活を心配して時折訪れる。

    • 夜に帰宅することが多く、直也の双眼鏡の視界に映ることがある。

    • 裸の男を目撃したかのような暗示的な行動をするが、それが真実かどうかは曖昧。


刑事: 高瀬 和久(たかせ かずひさ)

  • 年齢: 45歳

  • 職業: 警察官(地域課勤務のベテラン刑事)

  • 性格: 実直で真面目。だが、過去の事件の影響で猜疑心が強くなっている。

  • 容姿:

    • 身長180cmのがっしりした体格。

    • 短い白髪混じりの黒髪と鋭い目つき。

    • スーツを着ているが、ネクタイは緩めている。

  • 口癖:

    • 「世の中に偶然なんてない。」

    • 「何か見たことがあるなら、今のうちに話すんだ。」

  • 特徴:

    • 倉田が双眼鏡で目撃した事件を捜査している。

    • 過去に起きた類似事件に執着し、その影響で異常なまでの洞察力を持つ。

    • 倉田に対して、「監視する者」としての罪を問いかけるような態度をとる。


被害者の幻影: 松原 美穂(まつばら みほ)

  • 年齢: 25歳(事件当時)

  • 職業: 学生(当時)

  • 性格: 穏やかで控えめ。

  • 容姿:

    • 黒髪のロングヘア。

    • 痩せ型で、目鼻立ちがはっきりしている。

    • 死亡時の姿は白いワンピース姿で、血痕が目立つ。

  • 口癖:

    • (幻影としての存在のため言葉はほとんど発しないが、時折視線で語りかける。)

  • 特徴:

    • 直也の双眼鏡越しに目撃された事件の被害者。

    • 主人公の幻覚や夢に現れ、彼を恐怖と罪悪感で追い詰める。

    • 裸の男との関連性が暗示される存在。


「 双眼鏡の夜」~静寂を裂く者~

第1章: 坂の上の異形


俺には、夜の静けさが何よりも心を落ち着ける。

都会の喧騒から逃れるようにしてこの街に引っ越してから早五年。昼間はフリーライターとして仕事をこなしているが、夜になれば別の顔を持つ。
双眼鏡を片手に、自宅の屋上で街を眺める趣味だ。

これを人に言ったことはないし、理解されるとも思っていない。
ただ、自分にとってはごく自然なことだった。
双眼鏡を覗き込むたびに、普段は気付かない街の細部が見えてくる。

給水タンクの汚れ具合や、ポツンと光る自動販売機。その光景は、昼間には感じられない静けさと美しさを持っている。

だが、その夜だけは違った。

双眼鏡のレンズ越しに、西側の坂道に目をやったときだった。
遠くのほうから、何かがこちらに向かってくるのが見えた。
最初は人だと思った。だが、どうも様子がおかしい。
普通の歩き方じゃない。全速力でこちらに走ってくる。

俺は反射的に倍率を上げた。
そして見えた。痩せ細った全裸の男が、満面の笑みを浮かべて坂を駆け下りてくる姿を。

心臓が一瞬止まったかのように感じた。
俺と目が合っている――いや、確実に見ている。
男は、こちらを見ながら手を振っていた。

「なんだ、あれ……?」

声に出た自分の言葉に驚く暇もなく、男は坂を下り終えると、そのまま俺のアパートの方へと一直線に向かってきた。

俺は双眼鏡を外し、屋上から下を見た。男が走ってくる音が聞こえる。

ズダダダダダッ――!

足音が階段を上る音に変わったとき、俺は慌てて屋上を飛び降り、ドアを閉めた。

そして鍵をかける。

心臓の音がうるさい。男の動きが止まらない。

何が目的なんだ? いや、そもそもなぜ俺を追いかけてくる?頭の中が混乱していた。

ドアの向こうで音が止まった。

いや、止まったのは音だけじゃない。すべてが静まり返った。



第2章: 侵入者
ドアの外は静まり返っていた。

あの足音も、呻き声も消えてしまった。まるで最初から何もなかったかのように。

だが、俺には確信があった。奴はいた。目の前まで来ていたんだ。

そして、どこかにまだ隠れているに違いない。
俺はしばらくドアから離れられなかった。
心臓はバクバクと暴れ、冷たい汗が背中を流れ落ちていく。

「大丈夫、大丈夫だ……鍵はかかってる。」

自分に言い聞かせるように呟き、深呼吸を繰り返す。
だが、そのたびに脳裏に奴の顔が浮かぶ。
骨ばった体、異様に白い肌、そして不気味な笑顔。
なぜあんな男が俺を追いかけてきたのか、その理由が全く分からなかった。

数分、いや数時間が過ぎたのかもしれない。
ようやく体が動けるようになり、俺は窓をそっと開けて外を確認した。
坂道の上も、通りも、完全な静寂が広がっている。
風が木々を揺らす音しか聞こえない。

俺は大きく息を吐き、椅子に座り込んだ。
ふと目に入ったのは机の上に置いた双眼鏡だった。

「……また見るのか?」

自分で自分に問いかけた。だが、答えは決まっている。
この双眼鏡を覗かずにはいられない。それは恐怖に近い衝動だった。

何かが見えるのではないか、何かが俺を見ているのではないか。その答えを確かめずにはいられなかった。

双眼鏡を手に取り、恐る恐る窓から覗く。
坂道を、家の周りを、隣人の家を――ゆっくりと視線を巡らせていった。

「……いない。」

奴の姿はどこにもない。俺はほっと胸を撫で下ろした。
その瞬間、ふいに電話の着信音が鳴り響いた。

「うわっ!」

驚きで手が滑り、双眼鏡を落としそうになる。
震える手でスマートフォンを掴み、画面を見る。
非通知。嫌な予感がして、俺は一度画面を見つめたまま動きを止めた。

しかし、音は止まない。恐る恐る通話ボタンを押し、耳に当てる。

「……もしもし?」

返答はない。

ただ、何かが聞こえる。
遠くから聞こえてくる微かな音。耳を澄ませると、それが「足音」だと気付いた。

ズダ……ズダダ……ズダダダ……

「まさか……。」
電話越しに聞こえるその音は、確かに奴のものだった。

奴はどこにいる? 近くにいるのか?俺は慌てて窓を閉め、カーテンを引いた。

だが、電話の音は止まらない。足音はだんだんと速く、近づいてきているように思えた。

ガチャ――。

突然、玄関のドアノブが回る音がした。


ドアノブが回る音に、俺の心臓は喉の奥まで跳ね上がった。
ドアを向いて立つことすらできず、俺はその場で膝をついて震えながら耳を研ぎ澄ました。

ガチャ……ガチャ……。試すように、
じわじわと回されるノブ。幸い、鍵はかかっている。だが、それが永遠に安全を保証するものではないと理解していた。

奴は入ろうとしている――それも確実に、俺のいるこの部屋に。

俺はそっと立ち上がり、台所の引き出しに手を伸ばした。
アイロンを握ったときの冷たさが少しだけ安心感を与える。
何か武器になるものがないかと引き出しの中を探すが、鋭利なナイフですら心許なく感じるほどの恐怖に包まれていた。

「来るな……頼むから、来るな……。」

声に出しても効果はないことは分かっている。
だが、何かを言わずにはいられなかった。

そのとき、ドアノブを回す音が急に止んだ。代わりに静寂が訪れ、耳鳴りが鳴り響くようだった。

次の瞬間、ドアに何かがぶつかる音が響いた。
鈍い衝撃音。奴は今、ドアを体当たりで破ろうとしているに違いない。
俺は息を潜め、ドアの方向をじっと見つめた。

ズダン――! もう一度大きな音がした。

「ちょっと、直也さん! いるの?」

その声に、一瞬で現実に引き戻された。
隣人の亜美さんの声だ。彼女は夜遅くまで働いていることが多く、帰りがけに挨拶に寄ることもある。
俺は急いでアイロンを手に取っていた手を離し、玄関へと駆け寄った。

「亜美さん……ですか?」

「そうよ、鍵が掛かってるけど、大丈夫?」

不安そうな声に、俺は急いで鍵を開けた。
扉を開けると、亜美さんが立っていた。心配そうにこちらを見つめている

「……ちょっと、どうしたの? 顔色悪いわよ?」

「いや……ちょっと眠れなくて……。」

不自然な言い訳をしたが、亜美さんは疑わしげに俺を見ていた。
彼女は玄関の周囲を見回し、不安げな表情を浮かべた。

「……何かあったんじゃない? また双眼鏡で変なもの見ちゃったとか?」

その言葉に、俺は目を見開いた。

彼女が俺の趣味を知っていたことに驚いたのではなく、その言葉に含まれる"また"という言い方に引っかかったのだ。

「また……って?」

「……いや、前にもそういうことあったって言ってたでしょ。警察のことも考えたほうがいいかも。」

彼女の言葉が記憶を引っ掻いた。
そうだ、以前も何か奇妙なものを見たことがあったのかもしれない。

いや、それは確かにあった。忘れたい記憶の一つとして無意識に封じていたのだろうか。

その時、突然坂道の方から男の叫び声のようなものが聞こえてきた。
遠くから、しかし確実にこちらに届くその音は異様だった。
亜美さんも顔を曇らせ、外に目を向けた。

「何……今の音?」

「……さあ。」

だが、内心では分かっていた。
あの音は、あの男のものだ。亜美さんを巻き込むわけにはいかない。
俺は冷静を装いながら、できるだけ自然に言った。

「外は危ないかもしれない。亜美さん、今日は早めに部屋に戻ったほうがいい。」

「……分かった。でも、何かあったらすぐに言ってね。」

彼女は不安そうな目を向けたまま、自分の部屋へと戻っていった。

その後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、俺は再びドアをしっかりと閉めた。

鍵をかけ、チェーンロックをかけ、深呼吸をする。

今夜は終わっていない――これがただの始まりだという直感が、胸の中で不安を煽り続けていた。



第3章: 双方向の視線

夜の静けさが帰ってきたはずだった。
しかし、それは表面的なものであり、俺の中で鳴り止まない警鐘がずっと響いていた。
何かが、どこかで俺を見ている――そんな感覚が肌にまとわりついて離れない。

俺は窓のカーテンの隙間をそっと開け、再び双眼鏡を手に取った。
視界を坂道に向ける。さっきの叫び声の発生源を確認するためだった。

最初は何も見えなかった。
暗闇の中、街灯が坂道をぼんやりと照らしているだけだった。
だが、じっと見つめ続けると、その坂道の最上部に小さな影があることに気付いた。

「……いる。」

裸の男だった。

あの異様な笑顔を浮かべたまま、坂の上に立ってこちらを見ている。

双眼鏡越しに目が合った瞬間、俺の手が震え出した。
だが、どうしても視線を外せない。

あの笑顔は、ただの笑みではなかった。
挑発、嘲笑、さらには何かを知っている者の余裕――そんな全てが混じった、底知れぬ表情だった。

男は動かない。
じっとこちらを見つめたままだ。
だが、その場に立っているだけのはずなのに、俺の中ではその存在が少しずつこちらに迫ってくるような錯覚を覚える。

「お前は……何なんだ?」

自分の声に驚くほどだった。

俺は双眼鏡を置き、窓を閉めてカーテンを引いた。

だが、その背後からも、彼の視線がこちらを貫いているような気がしてならなかった。


その夜の悪夢

ベッドに横たわっても、眠れるはずがなかった。
あの男の顔が瞼を閉じるたびに浮かんでくる。
全裸で笑みを浮かべる不気味な姿が、頭の中で何度も繰り返される。

そして、夢の中で俺は坂道に立っていた。手には双眼鏡を握りしめている。暗い夜道、静寂の中、双眼鏡を覗くとそこには――奴がいた。

男は笑みを浮かべながらこちらに向かって走り出した。
速い。信じられない速さだ。
俺は逃げようとするが足が動かない。男が迫ってくる。目の前に、その骨ばった顔が――

「うわっ!」

目が覚めた。

汗でびっしょりだった。

心臓が早鐘を打ち、呼吸が荒い。

夢だった。

それは分かっている。

だが、現実の恐怖は夢と変わらないほどだった。


翌朝: 不気味な気配

朝日が差し込む頃、ようやく少しだけ気が楽になった。
夜の恐怖は、日が昇ることで少し薄れる。
だが、その朝も安心できるものではなかった。

ドアのポストに何かが挟まっていることに気付いた。
俺は警戒しながらそれを取り出した。白い封筒だ。
中身を見ると、一枚の写真が入っていた。

写真に写っていたのは、俺が自宅の屋上で双眼鏡を覗いている姿だった。

「……何だ、これ。」

背中に冷たい汗が流れる。誰がこんなものを撮った? そして、なぜ俺のところに届けた?

視線を感じた気がして窓を開ける。

坂道を見るが、今は何もいない。ただ、空っぽの坂道の向こう側に、誰かの気配がするような気がしてならなかった。


新たな疑念

その日、俺は亜美さんに写真のことを話すべきかどうか迷った。
いや、彼女を巻き込むわけにはいかない。
あの男がどういう意図で俺に接触してきたのか分からない以上、誰かを頼るのは危険すぎる。

ただ、何か確信があった。
この写真を撮ったのは、あの男に違いない。
俺が彼を「観察」していたように、今度は彼が俺を監視しているのだ。

だが、なぜ? ただの狂人の気まぐれか、それとも――俺の過去に関係する何かがあるのか?

俺の脳裏にふと、以前双眼鏡越しに見てしまったあの出来事が蘇る。
数年前、夜中に何気なく覗いていた時に目撃した、2階の窓から侵入する誰かの姿。そしてその後、あの家で起きた殺人事件。

「あの時の……。」

声に出してしまった。

そうだ。

何かが繋がり始めている――だが、その全貌はまだ見えない。

ただ一つ確実なのは、奴が俺をただ怖がらせようとしているわけではないということだ。

奴は俺を知っている。そして、何かを知っている。


第4章: 観察者の影

あの写真を見て以来、俺は自宅にいることすら安全だとは思えなくなった。昼間ですら、背後に何かの気配を感じる。
どこかから常に監視されている――そんな感覚に苛まれる日々が始まった。

あの男が何者なのか。そして、なぜ俺を狙うのか。

その理由を突き止めなければ、恐怖は消えない。

俺は昼間の明るい時間を利用して、奴が現れる坂道を調べることにした。


坂道での違和感

昼下がり、坂道の上まで歩いていった。
明るい日差しの下では、あの場所もただの平凡な通りに見える。

だが、ここには確かに「何か」がある。
双眼鏡を覗いたあの夜、確かに男はここに立っていた。

坂の上からは、俺の住むアパートが小さく見える。
だが、思った以上に遠い。
裸の男がこちらを見つけ、さらに手を振ってきたあの異常さを考えると、この距離では何かしらの道具を使って俺を見ていたはずだ。

「双眼鏡か……それとも、もっと高性能なものか。」

俺が坂の上に立ちながら呟いたその時、後ろから声がした。

「倉田さん、何してるんですか?」

驚いて振り返ると、そこには隣人の亜美さんがいた。
軽い買い物袋を下げ、こちらを不思議そうに見ている。

「あ……いや、ちょっと散歩をしていただけです。」

不自然な言い訳だったが、亜美さんはあまり疑っている様子はなかった。むしろ彼女の表情には、どこか俺を気遣うような優しさが見て取れた。

「最近、元気ないですよね。何かあったら、本当に言ってくださいね。」

「……ありがとう。」

亜美さんはそのまま坂道を降りていったが、俺の心には妙な違和感が残った。
あの親切な言葉の裏に、何か別の意図が隠されているような気がしてならなかった。


過去の記憶が呼び覚まされる

坂道を離れ、家に戻ると、ある映像が頭の中に蘇ってきた。
それは、あの事件の夜だ。

数年前の深夜、俺はいつものように双眼鏡で街を覗いていた。
その時、隣のブロックの2階の窓に、不審な男の姿を見つけた。
泥棒かと思ったが、男は手慣れた動きで窓を開け、室内に忍び込んだ。

そのまま男が中で何をしていたのかは分からない。
ただ、しばらくすると悲鳴が聞こえた。
俺は慌てて警察に通報するべきか迷ったが、恐怖に囚われて動けなかった。

翌朝、その家では殺人事件が報道された。
女性が刺されて死亡していた。
だが、犯人は捕まらず、事件は迷宮入りとなった。
俺は双眼鏡越しにあの犯行を目撃していたはずだ。
だが、警察には何も言えなかった。それが俺にとっての「罪」だった。

「まさか……あいつが……?」

あの裸の男が、あの時の犯人だという可能性が頭をよぎる。

もしそうなら、奴は俺がその瞬間を見たことを知っているのか?


新たな接触

その夜、俺は部屋で机に向かっていたが、外から物音が聞こえた。
窓の外を覗くと、坂道にまた奴が立っている。

「今度は何だ……。」

双眼鏡で確認すると、男は手に何かを持っていた。

それは紙袋だった。

男は笑顔を浮かべたまま、坂道を降り始め、俺のアパートの前で止まった。

そして、玄関の前に紙袋を置くと、立ち去った。

俺はすぐに外に出る気にはなれなかったが、数分後、意を決して袋を取りに行った。

中には写真が入っていた。
またしても、俺の姿を捉えたものだ。
だが今回は、それに加えて一枚の手紙が入っていた。

手紙には、こう書かれていた。
「お前も見ていたよな。見ていただけじゃないだろう?」
俺はその文字を見た瞬間、全身が凍りついた。

奴はただの狂人ではない。

奴は俺が目撃したこと、そして俺が何もしなかったことを知っているのだ。


第5章: 坂道の誘い

手紙の文字は、まるで胸の内を見透かされたようだった。
「お前も見ていただけじゃないだろう?」
その言葉には、俺が目撃者であるだけでなく、共犯者だと暗に告げるような響きがあった。

冷たい汗が再び背中を伝う。

あの男が何者なのか、その正体に近づくことへの恐怖と、何も分からないまま追い詰められる恐怖が、心を苛んでいた。

ふと、窓の外を見る。坂道の上には、やはりあの男が立っていた。
双眼鏡を手に取り、震える手で覗き込むと、男は変わらず笑顔を浮かべていた。そして――今度は、俺に手招きをしていた。

「……何をしろっていうんだ。」

声を出したところで何の解決にもならないことは分かっている。
それでも、あの男が俺に向ける執拗な視線と笑顔に、ただ黙っていることはできなかった。


踏み出した坂道

その夜、とうとう俺は覚悟を決めた。
このままでは何も進まない。あの男がいる坂道へ、自らの足で向かうことを決意した。

玄関を開けると、夜風が冷たく頬を撫でた。
手には懐中電灯を持ち、震える心を抑えるようにゆっくりと坂道を上っていく。
足音がやけに大きく響く中、周囲を見回しても何も動くものはない。
ただ、坂の上に立つ男の影がこちらをじっと見つめていた。

やがて、男との距離が縮まっていく。息が詰まるような感覚の中、ついに彼と数メートルの距離にまで近づいた。

「お前……何が目的だ?」

声を振り絞った。だが、男は答えない。
ただ笑顔を浮かべたまま、紙袋をまた差し出してきた。

俺は恐る恐るそれを受け取った。
袋の中には写真が数枚入っていた。

それは、かつて俺が双眼鏡で観察していた何気ない街の風景だった。
給水タンク、自動販売機、坂道を歩く人々――どれも俺の趣味そのものを切り取ったような画像だ。

「……これは、どういう意味だ。」

男はやっと口を開いた。
その声は、想像以上に低く、どこか不快感を与える響きを持っていた。

「お前も、見てただけじゃないだろう?」

「何の話だ。」

「俺が何をしたか、お前は全部知ってる。見ていただけで、何もしなかった。それだけじゃない。お前、楽しんでただろう?」

「違う! そんなことは――。」

言い返そうとする俺の言葉を、男の笑い声が遮った。

「お前の目だよ。それが答えを持ってる。」

そう言って男は、坂道を下り始めた。

振り返りもせず、闇の中へと消えていった。


罪の記憶

その晩、俺は眠れなかった。
あの男が言った「お前も楽しんでただろう」という言葉が、頭の中で何度も反響する。

俺は楽しんでいただろうか? 確かに、双眼鏡で街を覗くのは楽しかった。

人々の動きや日常が、小さな映像の中で切り取られるその瞬間が好きだった。でも、あの事件の夜も同じだっただろうか?

記憶を掘り起こすうちに、あの日の詳細が鮮明に蘇る。
窓から侵入した男を見た時、確かに俺は恐怖を感じた。
しかし、どこかでその異常な光景を「面白い」と思ってしまった自分もいたのではないか――。

「そんなはずはない……。」

自己弁護の声が空しく響く。だが、もし俺が心のどこかで「観察すること」

に満足を覚えていたのなら、それは俺自身が「観察者」から一歩踏み出し、あの男と同じラインに立つ可能性を秘めているということだ。


続く


後編


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