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創作都市伝説 八尺様 「影長き八尺の主」 ~負い目を背負う者の終焉~

あらすじ

主人公は、八尺様に目をつけられた瞬間から命を賭けた逃亡を始める。
伝承や技術を駆使して逃げ続けるが、八尺様の執念深さは終わりを知らない。
やがて、稀代の人形師が作る「運命を肩代わりする人形」にすべてを託すが、結果として衛星が破壊され、最後は寿命を代償に生き延びる選択をする。
しかし、その代償が八尺様との意外な決着をもたらす。


登場人物


主人公

名前:佐藤 悠真(さとう ゆうま)

  • 年齢:22歳

  • 性別:男性

  • 職業:大学生(民俗学専攻)

  • 容姿

    • 身長178cm、痩せ型。

    • 黒髪で無造作なショートヘア、やや猫背。

    • 大きめのメガネをかけ、知的な雰囲気があるが、疲れた目元が特徴的。

  • 性格

    • 冷静で理論的だが、緊張しやすく追い詰められると焦る。

    • 正義感が強く、困っている人を放っておけない。

    • 八尺様に追われる中で成長し、最終的に自分の限界を乗り越える強さを見せる。

  • 口癖

    • 「落ち着け、自分。解決策はどこかにあるはずだ。」

    • 「考えすぎるな……動かなきゃ。」


幼馴染

名前:田中 美咲(たなか みさき)

  • 年齢:21歳

  • 性別:女性

  • 職業:地元のカフェで働くアルバイト

  • 容姿

    • 身長162cm、華奢だが健康的な体型。

    • 茶色のセミロングヘアをポニーテールにしていることが多い。

    • 笑顔が可愛らしく、親しみやすい雰囲気。

  • 性格

    • 明るく前向きで面倒見が良い。

    • 幼い頃から悠真に対して兄妹のような感覚を持っているが、密かに想いを寄せている。

    • 八尺様の最初のターゲットとなり、物語の序盤で行方不明に。

  • 口癖

    • 「大丈夫だって!なんとかなるからさ!」

    • 「悠真くん、昔から考えすぎなんだから。」


神主

名前:藤原 隆道(ふじわら たかみち)

  • 年齢:60歳

  • 性別:男性

  • 職業:地元の神社の神主

  • 容姿

    • 身長165cm、がっしりした体型。

    • 灰色の短髪で、深い皺が刻まれた顔。目に威厳と温かさがある。

    • 白い神職の装束を着ていることが多い。

  • 性格

    • 落ち着いており、厳格だが親身に助言を与える。

    • 八尺様について深い知識を持っており、悠真を導く存在。

    • 命を懸けて主人公を守ろうとする。

  • 口癖

    • 「迷えば命を失うぞ。」

    • 「信じるのだ。自分と、運命を。」


人形師

名前:相沢 蓮司(あいざわ れんじ)

  • 年齢:45歳

  • 性別:男性

  • 職業:稀代の人形師

  • 容姿

    • 身長172cm、痩せているが筋肉質。

    • 黒髪に白髪が混じり、無精髭を生やしている。

    • 作業服のような黒いエプロンをいつも着用し、両手は傷だらけ。

  • 性格

    • 無口で冷淡な印象だが、実は情に厚い。

    • 自分の技術に誇りを持ち、命をかける覚悟がある者にしか人形を作らない。

    • 悠真の寿命が半分になるという条件を突きつけるも、彼の覚悟を認め協力する。

  • 口癖

    • 「人形に宿るのは、魂ではなく運命だ。」

    • 「代償を払う覚悟がないなら、帰れ。」


八尺様

名前:八尺様(固有名なし)

  • 容姿

    • 身長240cm、白いワンピースを着た不気味に長い影のような女性。

    • 顔はぼんやりとぼやけ、白い帽子をかぶっているため、表情が読み取れない。

    • 細長い手足でゆっくりと動き、「ぽぽぽ」と機械音のような低い声を発する。

  • 性格

    • 人間を見下し、「負い目」を持つ者を執拗に追い詰める。

    • 本人に感情らしいものはないが、相手の心をえぐるような行動を取る。

    • 負い目を克服する者には興味を失うが、その過程で恐怖を最大限に煽る。

「影長き八尺の主」

~負い目を背負う者の終焉~


俺がその声を初めて聞いたのは、久しぶりに帰省した田舎の実家でのことだった。

大学の夏休みを利用して、のんびりするつもりで帰ったはずだったのに、すぐに「のんびり」なんて言葉が無意味になると気づかされる。

「ぽぽぽ……。」
まるで誰かの喉から漏れる、機械のような不快な低音。

その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
庭先に出た俺の耳に響いたその音が、何かただならぬものだという確信だけがあった。


「悠真、帰ってきたのね!」
家に着いた俺を迎えてくれたのは、幼馴染の美咲だった。

彼女は変わらず元気で、少し日に焼けた笑顔を浮かべていた。
けれど、その笑顔にはどこか影があった。

それは挨拶もそこそこに、「最近、ちょっとおかしなことが起きてるんだ。」と彼女が切り出したとき、確信に変わった。

「おかしなことって?」
俺が聞くと、美咲は少し口ごもりながら続けた。

「ねえ、八尺様って知ってる?」
八尺様。その名前には聞き覚えがあった。

子供の頃、地元の老人たちが語る怖い話のひとつだった気がする。けれど、正確にどんな存在なのか、思い出せなかった。

「確か、背の高い女の妖怪みたいな話だよな?」
俺がそう答えると、美咲は真剣な顔でうなずいた。

「そう。最近、その八尺様を見たって人が増えてるの。しかも、見た人はみんな……。」
言葉を切った彼女の顔が青ざめたように見えた。

「どうしたんだよ?」

「……消えてるの。行方不明になって戻ってこないって。」
冗談だろ、と言いそうになったが、美咲の顔が真剣すぎて言葉が出なかった。

彼女は幼い頃からオカルトが苦手だった。それでもこんな話をしてくるなんて、よほどのことだ。

「ふーん。でも、それってただの噂だろ? 怖い話が好きな奴らが広めてるだけなんじゃないの?」

軽く流そうとした俺の態度に、美咲は眉をひそめた。

「悠真、本気で言ってるの? 私も見たのよ、あれを。」


それから俺は、美咲が語る不可解な体験に耳を傾けた。
彼女が八尺様らしき存在を見たのは、数日前の夜だったという。
近所のスーパーから帰る途中、街灯の下に立つ異様に背の高い人影が見えたらしい。

「最初は背の高いおじさんかと思った。でも、なんか変だったの。顔が見えなくて、白い帽子をかぶってて……。」

そしてその人影が「ぽぽぽ」
と奇妙な声を出した瞬間、美咲は立ちすくみ、心臓が止まるかと思ったという。

それでも必死にその場を離れ、家にたどり着いた。

けれど、以来、妙な気配を感じるようになったそうだ。

「それ、本当に八尺様だったのか?」

半信半疑の俺に、美咲は怒ったように声を荒げた。
「だったら説明してよ! あの声、あの高さ! 他に説明がつくなら言って!」
俺は言葉を失った。

美咲はこんなに取り乱すタイプじゃない。

それがこんなに怯えている。
ふざけているようには見えない。
「……分かった。信じるよ。」俺は素直にそう言った。
信じる以外にできることはなかった。


翌朝、俺が目を覚ますと、美咲はもう家にはいなかった。
昨晩、疲れて帰った後の美咲の様子を見ていなかったのが悔やまれる。

彼女に連絡を取ろうとしたが、電話もつながらない。
その時、ふと家の外からあの音が聞こえた。

「ぽぽぽ……。」
心臓が凍りついた。

昨晩の話が頭にこびりつき、動けなくなる。

気のせいだと、自分に言い聞かせようとしたが、足がすくんで玄関の外を見ることすらできない。

「ぽぽぽ……。」
今度はさらに近い。

俺は気配に耐えられず、ついに玄関の扉を開けた。そして――そこには何もなかった。

静まり返った庭の向こうにはただの田舎の風景が広がっている。
それでも、背中に感じる何かの視線が消えない。

「美咲……どこに行ったんだよ……。」
八尺様の噂。美咲の失踪。

そして、あの音。すべてが繋がっていく気がした。

この時、俺は知らず知らずのうちに、八尺様の呪いに足を踏み入れてしまったのだ。


あの「ぽぽぽ」という音を耳にしてから、俺の心には重たいものが張り付いたようになった。

美咲が家に戻らない。

それだけで説明のつかない不安が胸を締めつける。
それに加え、あの音だ。
一度聞いたら忘れられない。

心のどこかにずっと響き続けるような、不快な音。

俺は美咲のことを考えるたび、嫌でもその音を思い出してしまう。
彼女に何が起きたのか。
なぜあんな話をした直後に、姿を消したのか。

その答えを探すため、俺は地元で最も歴史のある神社、「藤原神社」を訪れることにした。


神社に着いたのは昼過ぎだった。
石段を登り切ると、立派な鳥居と古びた拝殿が現れる。
神社自体は小さいが、周囲は鬱蒼とした森に囲まれており、不気味な静けさを感じた。

「誰だ?」
低い声がした。
振り向くと、神主の藤原隆道さんがこちらを見ていた。60代くらいだろうか。
厳しい顔つきの老人で、白い神職の装束をまとっている。

「あの……佐藤悠真です。少し相談したいことがあって……。」
事情を簡単に話すと、藤原さんはしばらく黙って俺を見つめていた。

そして、しわがれた声でこう言った。
「入れ。話を聞こう。」


藤原神主の話を聞いているうちに、俺の心はどんどん冷たくなっていった。
「八尺様は、負い目を抱えた人間を執拗に追い続ける存在だ。昔は地蔵に封じられていたが、その封印が破られて以来、この地で噂が絶えない。」
藤原神主はそう言うと、俺に鋭い視線を向けた。

「君の話を聞く限り、美咲という娘はすでに……」
その先の言葉は聞きたくなかった。

「まだ分からないですよね? 助ける方法だって、きっとあるはずじゃないですか!」
そう叫ぶ俺に、神主は一度目を伏せた。

そして小さくため息をつく。
「一度目をつけられたら、生き延びる方法は限られている。ただ、負い目を抱えず、振り返らず、八尺様の執念を絶つしかない。」

「負い目を抱えず……?」

「そうだ。八尺様は人間の弱さにつけ込む。後ろめたさ、恐れ、罪悪感。そういったものをエサにして力を強めるのだ。」

俺は黙り込んだ。

自分が負い目を感じていないと言えるだろうか? 美咲を助けられなかった無力さ。あの時、もっと真剣に話を聞いていれば――。

「考え込むな。奴に追いつかれるぞ。」
藤原神主の言葉にハッとして顔を上げた。

「君に残された時間は少ない。逃げるか、戦うか、腹をくくるんだ。」
俺の中で何かが音を立てて崩れ始めていた。

逃げる。

戦う。
どちらも現実味を感じない選択肢だ。

その時、ふと神主が何かに気づいたように顔を上げた。

外に視線を向け、険しい表情になる。
「……聞こえるか?」

一瞬、耳を澄ませると、遠くから微かにあの音が聞こえた。
「ぽぽぽ……」

一気に身体が硬直する。八尺様が近くまで来ている――それが理解できた瞬間、神主が低く命じた。

「今すぐ裏の森を抜けろ! ここに長く留まると命はない!」

「でも……。」

「いいから行け! この神社は八尺様に狙われた者を長く守ることはできない!」

俺は反射的に立ち上がり、神主の指示通りに裏の森へと駆け出した。


森の中を走る間、背後の音がどんどん近づいてくるような錯覚に襲われた。
「ぽぽぽ……。」

それが本当に近づいてきているのか、自分の頭の中で鳴り響いているのか分からない。
ただ、あの不気味な音だけが俺を飲み込もうとしている。

息が苦しくなり、足がもつれる。
それでも止まるわけにはいかない。

振り返るわけにはいかない。
森を抜けた先に小さな村があった。

灯りのついていない、ほとんど廃村のような場所だ。

俺はその中のひとつの民家に飛び込み、ドアを閉めた。
暗い室内で息を整える間もなく、窓の外から再び「ぽぽぽ」という音が聞こえてくる。

冷や汗が頬を伝い、心臓が早鐘のように鳴った。
音が止む。窓の外をそっと覗くと、そこには何もいない。
「……助かったのか?」
そう思った矢先だった。

ドアの向こうから「ぽぽぽ……」という声がした。

ドアの向こうから聞こえる「ぽぽぽ」という声に、俺は身体が硬直した。冷たい汗が首筋を伝い、手足の感覚がなくなる。

どこまで逃げても追いかけてくる――その現実が、今の状況から目をそらさせない。
恐る恐るドアの隙間に目を近づけた。
外は暗い。それでも月明かりに照らされた何かが、そこに立っているのがわかる。

「ぽぽぽ……。」
その影は異常に背が高く、頭がドアの上枠に届くほどだった。
長い腕が静かに動き、ドアに触れるかのように揺れている。
俺は声を殺しながら後ずさった。

この家の中にいることが八尺様に知られたら終わりだ。だが、それが無意味だともわかっている。

あいつはもう俺を見つけている。

ドアノブが微かに音を立てて動いた。
「う、嘘だろ……。」
手が震え、脚に力が入らない。

俺は壁際に座り込んだ。八尺様がここに入ってくるのは時間の問題だ。
ドアノブが静かに下がり、開きかけた瞬間――
突然、外から別の音が響いた。

「カラン……カラン……。」
それは風鈴のようなかすかな鈴の音だった。

八尺様の動きが止まり、「ぽぽぽ」という音も途切れる。

俺は状況が理解できず、ただ固まったまま息を殺していた。

次の瞬間、八尺様はドアから離れた。

そして鈴の音が遠ざかるとともに、あの気配も消えていった。


俺は長い間その場で動けなかった。
八尺様が消えたわけじゃない。
今はただ、どこかへ行っただけだ。

それでも、ここに留まるのは危険だと思った。
立ち上がった俺は、廃村を抜ける道を探し始めた。

夜の闇は深く、遠くでフクロウの鳴き声が響いている。
人の気配はどこにもない。
道を進むうちに、ふと足が止まった。

背後に視線を感じたのだ。振り返らない。
神主に言われた言葉が頭をよぎる。

「八尺様に目をつけられたら、絶対に振り返るな。」
俺は視線を感じる背中を固くしながら、ゆっくりと歩き続けた。

けれど、その感覚は強まるばかりだ。
背後から、長い腕が俺に届こうとしているような――そんな錯覚が胸を締めつける。

一歩、また一歩。歩幅が狭まり、次第に早足になっていく。それでも気配は消えない。
「ぽぽぽ……。」
あの音がまた聞こえた。

限界だった。俺は一気に走り出した。

体中が悲鳴を上げているが、止まるわけにはいかない。
八尺様の気配がどんどん近づいてくる。どれだけ走っても、振り切れる気がしない。

森の中を必死に走る俺の耳に、「ぽぽぽ」という音が不規則に響く。どこにいるのかわからない。

音はあらゆる方向から聞こえてきた。
「くそっ……!」
必死で走る俺の前に、ぽっかりと開けた場所が見えた。

それは広場のような空間で、月明かりが木々の隙間から差し込んでいる。
だが、その中心にいた影を見て、俺は足を止めた。

八尺様がそこにいた。


八尺様は動かない。
ただじっとこちらを見ているようだった。

その顔は白い帽子で隠れており、表情は見えない。
それでも俺を見下ろしている視線だけは感じられる。
背の高さは想像以上だった。

2メートル以上もあるその影は、まるで夜空にまで届くかのようだ。
「ぽぽぽ……。」
八尺様の声が静かに響いた。

全身の毛が逆立つ。
俺は後ずさり、再び走り出した。

しかし、それはすぐに目の前に現れる。
「嘘だろ……!」
俺は足を止めた。

振り返ってもいないのに、八尺様が正面にいる。影のように、瞬間移動をしているとしか思えない。

「ぽぽぽ……。」
八尺様の声が不気味に低くなった。

その時、ふいに俺の耳に別の声が聞こえた。
「悠真くん……。」
それは美咲の声だった。

「……美咲?」
八尺様の影の奥から、美咲が俺を呼んでいる。

俺は信じられない思いでその声に耳を澄ませた。
「助けて……。」
彼女の声が消え入りそうなほど弱い。

だが、それは八尺様の策略だということがすぐにわかった。

「お前が……美咲を……!」
怒りがこみ上げたが、それが無力であることも知っている。

八尺様の足元に、彼女の影らしきものが揺れていた。

八尺様は一歩も動かない。

ただ、「ぽぽぽ」という音が再び響き始める。

それに合わせるように、美咲の影も薄れていった。

俺はその場から走り去るしかなかった。


どれだけ逃げても追いつかれる。どこに逃げても見つけられる。
それが八尺様の恐怖だった。

俺が何度も逃げるたび、八尺様はその長い影で俺を追い詰めてくる。
だが、これだけは分かっていた。

足を止めたら終わりだ。
追われることそのものが俺を壊し始めているのを感じていた。

俺は走り続けていた。
どこを目指しているのか分からない。

ただ、足を止めたら終わる――その恐怖だけが身体を動かしていた。
八尺様の「ぽぽぽ」という声は耳元で囁くように聞こえたり、遠くで反響するように聞こえたりした。

声がどこから来ているのか全く掴めない。その不気味さが、俺の精神をじわじわと蝕んでいく。

やがて、足が鉛のように重くなり、呼吸は荒れ、頭がぼんやりとしてきた。
「もう無理だ……。」
口に出した言葉が自分自身を追い詰めるようだった。

俺はついに足を止めてしまった。

森の中、月明かりも届かない薄暗い場所。
周囲は静まり返っている。
けれど、静けさが余計に恐ろしかった。

「ぽぽぽ……。」
あの声が再び聞こえた。

頭の中が真っ白になる。
声のする方を見てしまいそうになるのを必死に堪えた。

八尺様を見てしまえば、何かが壊れてしまう。
そう思った。
「俺は、振り返らない……!」
自分に言い聞かせながら、もう一度足を動かした。

今度は走れない。ただ、よろよろと前に進むだけだった。


数時間か、数分か。時間の感覚は完全に失われていた。

森を抜けたのか、抜けていないのかも分からない。ただ、気がつくと、俺の視界に一軒の廃屋が見えた。

壁は朽ち果て、窓ガラスは割れ、周囲には荒れ果てた雑草が広がっている。
こんな場所でも、とにかく身体を休めなければ限界だと思った。

俺はフラフラとその廃屋に足を向けた。
中に入ると、かび臭い空気が鼻をついた。
床には木の破片が散乱している。
だが、屋内は妙に広く、何かが隠れるには十分な場所だった。

「ここで少し……休もう……。」
そう呟いてその場に座り込む。

心臓が激しく脈打ち、全身の汗が冷たく感じられた。けれど、ほんの少しだけ、気を抜けたような気がした。

その時だった。
「ぽぽぽ……。」
声が、また聞こえた。

頭がぐらりと揺れるような感覚に襲われた。
声は、廃屋の中から聞こえている。

まるでどこにでもいるような、あの奇妙な響き。
「来るな……頼むから、来ないでくれ……!」
声に出しても無駄だと分かっている。

それでも、恐怖が言葉を絞り出させる。

何かが床を軋ませる音が聞こえた。

八尺様だ。

間違いない。あいつがここに来ている――。

俺は無我夢中で廃屋の裏口へ駆け出した。
振り返らず、音から逃げるように闇の中を突き進む。
裏手には広い畑のような荒地が広がっていた。

地面はでこぼこしていて走りづらい。
それでも、足を止めるわけにはいかない。
「ぽぽぽ……。」
声が俺を追いかけてくる。

あれだけ走っても、距離が縮まるばかりだった。
息が詰まりそうになる。

肺が火を吹くように痛む。
身体はもう限界だ。
それでも、俺はひたすら前へ進むことしか考えられなかった。

「くそ……こんな……。」
暗闇の先に、かすかに光が見えた。

道だ。舗装されたアスファルトの道が見えた。
俺はそれを目指して最後の力を振り絞る。
やっとのことで道にたどり着き、崩れるように座り込んだ。

光の方を見ると、ヘッドライトを点けた車が近づいてくる。
俺は手を振り上げ、助けを求めた。
「助けて……!」

車は停まり、運転席から人影が降りてきた。
その瞬間、俺は心の底から安堵した。
「大丈夫か?」
それは中年の男性だった。

俺をじっと見て、心配そうに声をかけてくる。俺は必死に状況を説明した。
「追われてるんです……八尺様っていう化け物に……!」
男は一瞬困惑した顔をしたが、「とにかく乗れ」と言って助手席を開けてくれた。

俺は彼の車に乗り込むと、力が抜けたように座席にもたれた。

車が動き出す。

少しずつ背後の暗闇が遠ざかっていく。

それでも、まだ心のどこかで落ち着けなかった。
「ぽぽぽ……」
あの音がまた聞こえた気がした。


車はやがて、小さな町の外れにある古びた工房の前で停まった。
運転手の男は俺に、「ここなら安全だ」と言った。
「ここは……?」
「相沢蓮司っていう人形師の工房だ。
お前みたいに追われてる奴を助けてくれる人だよ。」

人形師――俺はその名前に引っかかりを覚えながらも、工房の中に入る決意を固めた。

中に入った瞬間、無数の人形がこちらを見ているような錯覚に襲われた。
その奥から、鋭い目つきをした中年の男が現れる。

「ようこそ。八尺様に追われる哀れな魂よ。」
その声には、俺が信じていいのか分からない、不気味な響きがあった。

工房の中は薄暗く、壁一面に奇妙な人形が並んでいた。
それぞれが微妙に異なる表情を持ち、まるで俺を見下ろしているような感覚に襲われる。

「……ここで俺を助けてくれるって、本当なんですか?」
俺の声は震えていた。

相沢蓮司と名乗るその男は、人形たちを背に立ったまま、じっと俺を見つめている。

「助ける……か。それはお前次第だ。」

「俺次第?」

「そうだ。助かりたいなら、覚悟を決めろ。」

蓮司はそう言うと、奥の作業台へ歩いていき、大きな木箱を取り出した。
その中には、頭部だけの未完成の人形が入っていた。

「これが最後の手段だ。」
彼は人形を手に取り、鋭い目でこちらに言葉を投げかけた。

「この人形には、お前と同じ運命を背負わせることができる。お前を追う八尺様の呪いを引き受けさせる代わりに、お前の寿命の半分を捧げてもらう。」
俺は息を飲んだ。

蓮司の言葉の意味を理解するのに数秒かかった。

「寿命の……半分?」
「ああ。代償なしに呪いを肩代わりするものなんて、この世には存在しない。お前がここで選ばなければ、八尺様に捕まるだけだ。それでいいのか?」

その言葉には、情けも同情も感じられなかった。俺は拳を握り締め、蓮司の顔を見つめ返した。

「半分になったら……俺はどれくらい生きられるんですか?」

「俺に分かるわけがない。ただ、選べるだけマシだと思え。」
蓮司は淡々と答える。

俺の心の中で葛藤が渦巻いていた。

寿命を半分にする――それは自分の未来を半分捨てるということだ。
それでも、八尺様から逃れるためには、それしかない。
「……お願いします。」
俺はそう言った。

蓮司は小さくうなずき、作業台に向かって人形を慎重に置いた。

「ただし、この人形は簡単に作れるものじゃない。完成には少なくとも1年かかる。その間、お前は逃げ続けなければならない。」

「1年……!」

俺の顔から血の気が引いた。

1年も八尺様から逃げ続けるなんて、到底無理だと思った。

「逃げられるかどうかはお前次第だ。ただ、この工房に八尺様は入れない。この間だけは安全だ。」

蓮司の言葉に、わずかばかりの希望を感じた。

俺は深く息を吸い込み、頭を下げた。
「分かりました。お願いします。」


その日から俺は、人形が完成するまでの間、八尺様から逃げ続ける日々を送ることになった。

蓮司の工房から出ると、再び追跡が始まった。

どれだけ走っても、どれだけ遠くまで逃げても、八尺様の「ぽぽぽ」という声が追いかけてくる。

一時的に神社や寺院の保護を受けることもあったが、長く留まると必ず八尺様が近づいてくる。

神主や僧侶たちは俺を守るために尽力してくれたが、その多くが犠牲になった。

「ぽぽぽ……」
逃亡生活が半年を過ぎた頃、俺の身体は限界に近づいていた。

睡眠不足と恐怖の積み重ねで、気力も体力も削られていく。

走り続ける脚は鉛のように重く、心臓はいつも苦しくなるほど脈打っている。
「あと……6か月……。」
それだけが俺の希望だった。

蓮司が作っている人形が完成すれば、この悪夢は終わるはずだ。

それだけを信じて、俺は逃げ続けた。


1年目の最後の夜、蓮司から連絡が届いた。

「人形が完成した。工房に来い。」
俺はその言葉を聞いて、初めて心の底から安堵した。

だが、それも一瞬だった。工房に向かう途中、再び八尺様の気配を感じたからだ。

「ぽぽぽ……」
背後から追いかけてくる音。

それは以前よりも強い圧力を感じた。
あいつは、俺が終わりに近づいていることを知っている。

俺は全力で走った。
蓮司の工房が見えた時、心臓が爆発しそうだった。
ドアを開けると、蓮司が待っていた。

「来たか。これが、お前の運命を背負う人形だ。」
作業台の上には、俺にそっくりな人形が置かれていた。
その精巧さに息を呑む。

髪の質感、肌の色合い、目の光――すべてが自分そのものだった。
「こいつを人工衛星に乗せて宇宙へ送る準備をする。」
蓮司はそう言った。

「宇宙……?」

「地球上では安全な場所なんて存在しない。だが、宇宙なら話は別だ。八尺様の呪いは、この人形を追って地球を離れるはずだ。」

俺はその計画の壮大さに圧倒されながらも、同時に希望を見出した。ついに八尺様の呪いから解放される。


翌日、俺と蓮司は人形を人工衛星に乗せるための施設へ向かった。
科学者たちの協力を得て、すべてが順調に進んだ。

打ち上げの日。ロケットが空高く飛び立つのを見上げながら、俺は涙を流した。

「終わった……これで、終わったんだ……。」
だが、それは希望に満ちた涙ではなかった。

代償として捧げた寿命の半分が、胸に重くのしかかっていた。

人工衛星の打ち上げから数週間が経過した。

俺は久しぶりに心の底から解放された気持ちで眠ることができた。
八尺様の「ぽぽぽ」という声も、あの長い影も、夢にさえ現れない。
人形を通して八尺様の呪いを宇宙に送り出した。

それだけで、俺が地球上で再び追われることはないはずだった。
しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。

その知らせが届いたのは、打ち上げから28日目のことだった。
蓮司からの電話は、いつになく短く、そして冷たいものだった。
「衛星が……爆発した。」
その言葉は信じられなかった。

「……なんですって?」
「俺たちが宇宙に送った衛星だ。何者かの影響で爆発したと聞いた。人形も跡形もなく消えた。」
俺は頭が真っ白になった。

あの人形が消えたということは――呪いが俺の元に戻ってくるということだ。

「待てよ、蓮司さん。どういうことなんだ……八尺様が、人形を追って宇宙まで行ったんじゃないのか?」

蓮司の溜息が受話器越しに聞こえた。

「お前を追う執念を、八尺様を侮るべきじゃなかった。宇宙が安全だなんて思った俺が甘かった。」

「じゃあ……また俺を……追ってくるのか?」

「そうだ。」
蓮司の返事は短かった。

その後の言葉は耳に入らなかった。
電話を切ると、体中の力が抜けた。もう逃げ切ったと思っていた。

すべてが終わったと思っていた。それなのに――。

「ぽぽぽ……。」
あの音が、耳の奥で再び鳴り始めた。


八尺様は帰ってきた。どれだけ走っても、どれだけ遠くに逃げても、あの気配が途切れることはない。

俺は再び、命を懸けた逃亡の日々に戻っていた。
だが、前回と違うのは、俺の身体がもう限界に近づいていることだ。寿命の半分を失った影響が出始めていた。

胸が重く、呼吸が浅い。頭がぼんやりとして、足元がおぼつかない。
それでも、逃げ続けるしかなかった。

「ぽぽぽ……。」
背後から響く声。

追いかけてくる八尺様の影は、まるで俺を嘲笑うかのようだった。

何度か安全な場所に身を寄せようとしたが、どこも八尺様の侵入を防ぐことはできなかった。

寺院の結界も神社の加護も、すべて無力だった。

まるであいつの力が増しているかのようだった。


数日間逃げ続けた後、俺はとある廃墟の中でついに立ち止まった。疲れ果て、膝をついて、動けなくなった。

「これ以上は……もう無理だ……。」
誰もいない空間に呟く。

もう逃げ切れない。

寿命を半分失った俺の身体は、まともに歩くことすらままならない。
「ぽぽぽ……。」
背後から聞こえる音。

八尺様の影が、ゆっくりと近づいてくる気配がした。
「くそ……。」
俺は反射的に地面に落ちていた棒を掴み、振り向かずに背後に構えた。

だが、何も効果がないことは分かっていた。

棒切れ一本で、八尺様に抗えるわけがない。
「殺すなら……早くしろよ……。」
そう吐き捨てた瞬間、背後の音がピタリと止んだ。

気配が消えたわけではない。
八尺様は、まだそこにいる。

だが、何かが変わったのを感じた。
今までのような威圧感が消え、俺を見下ろす視線がどこか淡白なものに変わっていた。

「ぽぽぽ……。」
再び響いたその音は、前とは違う調子だった。

冷ややかで、まるで興味を失ったかのような響き。
俺は気づいた。

寿命を半分失ったことで、俺自身が弱りきり、八尺様の「見下す対象」から外れたのだ。

「ああ……。」
俺の身体から力が抜けた。

八尺様は、俺を取り込む必要がないと判断したのだ。

俺の寿命は、既に尽きかけている。

呪いの対象としての価値を失ったのだろう。

八尺様の影が、静かに遠ざかるのを感じた。

「終わった……のか?」
俺の声は震えていた。だが、八尺様が振り返ることはなかった。


その後、俺は人里離れた小さな町でひっそりと暮らし始めた。
八尺様の呪いは消えたように見える。

だが、それと引き換えに、俺の寿命はあとわずかしか残っていない。
夜になると、あの「ぽぽぽ」という音が耳の奥で鳴る気がする。

それはただの幻聴なのか、それとも八尺様の名残なのか、俺には分からなかった。

ただひとつ分かるのは、八尺様は完全に消えたわけではないということだ。

俺が死んだ後、次の「負い目を抱えた者」を探し始めるだろう。

そして、その者がどこまで逃げられるのか――それは俺にはもう知る術がなかった。

終わり

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