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SS|ニコラスの苦悩
ニコラスは何日も考えていた。
どうすれば、このガムを飲み込むことができるのだろう。
何日も噛み続けたが、全く飲み込むことができない。
ニコラスがそのガムを噛み始めたのは、月曜の朝だった。
仕事へ行く前に口に放り込んだ、粒型の小さなガム。たった1粒である。
そのたった1粒が、昼になっても夜になっても飲み込めず
ついに翌日の朝になり、また翌々日の朝になり、気付けば数か月が経っていた。
*
顎が痛いような気がする。
噛み始めた頃の優しい甘味料の味は、ゴムのような味に変わっていた。
惰性で噛んでいる。それだけだった。
友人と食事をする時でも、一人で珈琲を飲む時でも、
そいつは何日も口の中にいて、ニコラスの邪魔をする。
お喋りしたり、歌を歌ったりする時でさえ、そのガムが邪魔だった。
*
ニコラスはそのうち、人と話すのをやめた。
歌を歌うことも、食事をとることも、一人で珈琲を飲むこともやめた。
ただ黙々と、口の中の汚いガムを噛み続けた。
顎は痛くなくなっていた。
徐々に人から離れ、友人と疎遠になり、孤独になった。
ニコラスは、ひたすらガムを噛み続けた。
*
ある日、ニコラスの古い友人が訪ねてきた。
「久しぶりだな、元気か」
ニコラスはこう答えた。
「悪いが、また今度にしてくれないか。話したくないんだ。ガムを噛んでいるから」
ニコラスの友人は心配そうな顔をして
「そんなに長居しないさ。ところで、食事はとっているのか」と言った。
「食べていないよ。だってガムを噛んでいるんだ」
「ガムばかりじゃだめだ。ちゃんと食事をとらないと」
ニコラスは少し悩んだ。「でも、ガムを噛んでいるから」
彼の友人は首を傾げた。「どうしてガムを噛んでいるんだ?」
今度はニコラスが首を傾げた。
「どうしてだって?どうしてだろう…」と呟いて、暫くの沈黙の後にこう答えた。
「たしか、飲み込めなかったからだと思う。このガム、飲み込めないんだ」
彼の友人は目をぱちくりさせた。
「飲み込むだって?吐き出せばいいじゃないか」
今度はニコラスが目をぱちくりさせた。
「吐き出す?そうか、吐き出せば良かったのか」
彼は手近にあった紙屑を手に取り、口の中にある塊を吐き出した。
小さな塊が、ころんと出てきた。ぼこぼこした、何でもない塊だった。
「無くなった。僕の口の中から、ガムが。無くなった…」
彼は口を開けたり閉じたりして、何もない感覚を確かめた。
寂しさと開放感。
ニコラスは顎が痛かったことに気が付いた。
「馬鹿なことを言ってないで、早く支度してこいよ。一緒に食事に出掛けよう」
ニコラスの友人はそう言うと、部屋を出ていった。
*
ニコラスは一人残された部屋で、紙屑に包まれた小さなガムを見つめていた。
白くてぼこぼこした、汚い塊。ずっと口の中にいた、僕の一部…
暫く見つめて、ニコラスはふと気が付いた。
その考えに辿り着いた時、酷く恐ろしく思った。
怖い。怖い。怖い。怖い。
ニコラスは震える手でその塊を掴むと、もう一度口の中に入れた。