Don’t think. Feel.の真意が誤解されていることと、言葉の誤った伝承について
「考えるな!感じろ!」
ブルース・リーの有名なこのセリフは、様々な創作物や私たちの実生活でも頻繁に引用されており、リーの死後もなお彼の存在を身近に感じられる。しかしブルース・リーのファンである筆者からすると、非常に違和感を覚えることもある。大抵の場合、まるで何も考えずに衝動的・感情的なままに動くのが正しいかのような、投げやりで思考停止を推奨する物言いとして使われるからだ。私はこのような使い方を誤りであると思っている。この記事では元の発言について解説しながら、言葉の性質についても考えてみたい。
武道について考え続けたブルース・リー
手始めに「Don’t think. feel.」についての基本事項を確認する。これはブルース・リーの創った映画「Enter the Dragon(邦題『燃えよドラゴン』)」での発言が原典である。約束した時間に、リー(劇中の役名)と弟子とが稽古する組み手のシーンで使われた。巷では格言っぽい箇所だけが引用されるが、この発言の真意を汲み取るにはその前の言動のほうが重要である。
このように元のセリフは武術・格闘の文脈で使われた。武術や格闘において考えてはいけないのはなぜだろうか?むしろ考えることは基本的に良いことであって、考えれば考えるほど何事も状況が好転するのがほとんどのはずだ。「考えすぎも良くない」というのは、考えが1つに凝り固まっている場合であって、むしろ考えがまだまだ足りない状況のはずである。期限があることに対して時間内に結論を出せないのはまずいが、時間の許す限り考え抜いた方が基本的に良い結果を生むだろう。
ブルース・リーの発言や書籍を調べればわかるが、彼はむしろ実生活では物事を徹底的に考え抜く生き方をしていた。ブルース・リーはワシントン大学の哲学科に進学しており哲学への造詣が深く、過去の発言にもそういった哲学的な言葉が多い。また、ブルース・リーの武道家としての最大の功績は截拳道(ジークンドー)という格闘技を自ら考案したことである。
テリー・トムの「ストレートリード ブルース・リー創始ジークンドーの核心技法」を読めば、ブルース・リーの過去の発言や資料が参考文献としてまとめられており、腕による打撃だけで1冊の専門書ができてしまうほど截拳道が考え込まれて創られているのが良くわかるだろう。空手やボクシングのような技術体系を自ら生み出したブルース・リーが日々何も考えていないわけがないし、むしろ彼は徹底的に考え続ける性分だったのがわかるはずだ。
考えないために考え抜く重要さ
しかし戦いの場においては考えることは命取りになる。コンマ数秒の間に至近距離で殴り合い・蹴り合いをする場で、いちいち「相手がこうきたらこう動いてその次は・・・」などと考える暇などない。囲碁や将棋の試合のように静かな場所に座ってじっくり考える時間などないのである。刹那で生き死にが決まる状況下では、迷いは死に直結する。
ではそんな特殊な状況下ではどうすれば良いのだろうか。答えは簡単で、考えないことである。だからブルース・リーも「Don’t think feel.」と言っているわけである。ブルース・リーの主張の補強材料にするために、他にも「考えない」例をいくつか紹介する。新撰組三番隊組長斎藤一は真剣での斬り合いについて次のように語っている。この例もまさに「戦いの最中は考えない、考える暇などない」の典型であろう。
次はフットボールのFCバルセロナの伝説的選手、有名なシャビの話だ。2014年の「NHKスペシャル」で紹介された研究によると、シャビは考えずに直感でプレーしているのがわかっている。
シャビ以外にもブラジル代表ネイマールが同じような実験に参加しており、ネイマールもシャビと同様「考えずに」基本プレーを行なっていることが知られている。
フットボールの例からも推測すると、考えず直感的に肉体を動かすためには、基本動作を体に覚え込ませるほどの徹底的な反復練習が必要であると思われる。フットボールにしろ戦闘にしろ、刹那で勝敗が決する状況下では「考えて動いていてはまるで間に合わない」ので、考えずに無意識・直感で動く必要があるわけだ。ブルース・リーの「1万通りの蹴りを1度だけ練習した者は怖くない。私が恐れるのは、1つの蹴りを1万回練習した者だ」という発言から考えても、彼もまた基本練習の徹底とその重要性を説いているのがわかるだろう。
話を「Don’t think. Feel.」に戻す。考えながら戦っていたらその遅さゆえに相手に行動を読まれてしまい、簡単に相手に先制攻撃されてしまう。なので、普段からパンチやキックなど基本的な動作を考えずにできるようになるまで徹底的に練習する。その際、どのように練習すれば効率が良く、どのように打てば相手に効果的にダメージを与えられるかを徹底的に考える。そういったニュアンスが含まれているのではないか。以上を踏まえて、私なりにブルース・リーの「Don’t think. Feel.」を解釈すると次のようになる。
言葉の誤った伝承で生まれる悲劇
ブルース・リーが伝えたいのは「考えずに生きろ!」ということではなく、むしろ徹底して考え抜く生き様を世にみせてきたこと。そして一瞬で生き死にが決まる瞬間には考えている暇などないので、考えず直感で動くことの重要性を説いていることを、これまでの文章で私なりに説明した。以上のことから、「Don’t think. Feel.」が普段の生活から何も考えずに生きていけ・理屈よりも感情を大切にしろという教えなのかというと、全くそうではないことはわかるはずである。
ではなぜ、思考停止を推奨するかのような発言だと捉えている人がいるかというと、使う言葉の状況が本来のセリフと全く異なる場合でも無理矢理当てはめて使われてきたからである。言葉には必ず文脈や使うべき適切な状況があるはずだ。同じ言葉でも、前後の言葉たちとの関係や、言葉を使う状況によって意味が変わる。
元の言葉が使われた文脈や状況を正確に知っていれば、「このセリフは武術に対して使われた言葉である」のがわかるはずだ。もちろん、このセリフを武術以外でも使える状況は存在する。それは、たとえば先ほど例に挙げたフットボールの場合などだ。フットボールの文脈で、基本技術の練度が低く試合中常に考えてボールを蹴っている選手に対しては「考えるな!感じろ!」と言っても、元の意味と遜色なく使えるはずである。
しかしフットボールの例で用いることができるからといって、将来に思い悩んでいる学生や試験勉強を頑張っている受験生に対して「Don’t think. Feel.」が必ずしも効果的なアドバイスとは限らない。あらゆる状況下で万能に成り立つ言葉など滅多にないのだから、弟子に戦いの心構えを説いている文脈をすっ飛ばして、ビジネスマン全般に役に立つ自己啓発的名言のように用いたとしても、それは本来の意味からかけ離れた無意味なものになってしまう。
本来も意味が成り立たない状況にも関わらず、あらゆる状況下で役立つ万能の薬のように強引に用いられることで、悲劇が生まれてしまう。人命にかかわる医療現場で「考えるな!感じろ!」などと言って医師が思考停止でそのときの気分の赴くままに適当に手術をしたらどうなるか言うまでもないだろう。そのような徹底的に考えなければならない状況下でこのセリフを使うのは、誰に対しても不幸である。
言葉の意味は時代と共に変化するが
これまで、ブルース・リーの言葉についての元々の使用された状況下や彼の生き方、そして他のスポーツでの例なども交えて、本来の意味とは異なる誤用について警報を鳴らしてきた。原典を正確に理解せずに「みんなが使っているから」「有名な偉人の発言だから」とありがたがって使う馬鹿な人たちが世界にはたくさんいるが、そうはならないようにしたい。記事の結論として、「言葉の本来の用法や文脈を正しく理解して、適切に使用していかなければならない」と言うのは簡単だけれども、これは結構難しい。
言葉の意味や読み方は絶えず変化していくものである。本来の意味ではなかった誤用が、誤った使用者が増えた結果本来の意味を喰ってしまう、偽物が本物に変わってしまうことは往々にしてある。たとえば「絆」という言葉は、元は馬などの家畜を繋ぎ止めておくための綱・呪縛としての意味だった。「絆される」などまさにそうだろう。しかし現代では人と人とのつながりを示すポジティヴな意味が主流になっていると思う。これも言葉の意味が変化した結果、本来とは別の意味が備わってしまった例と言える。
最近の例でいうと、自民党が憲法改正のためにダーウィンの進化論を誤用して大荒れしたニュースが記憶に新しい。恥ずかしい話だが、筆者自身も過去に「唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」という発言をチャールズ・ダーウィンのものだと誤解していた。原典を正確に理解せずに誤用する人を馬鹿だと書いたが、筆者も彼らと同じ馬鹿なのである。
確かに言葉の意味は、生まれたその瞬間から作った人の手を離れて、時間の経過と共に変化していくのかもしれない。しかし、誤用している人を見れば御里が知れるのは否めないし、元の読み方や正しい意味を知っておくのは教養としても重要であるはずだ。いくら持ち主の手元を離れたからと言って本来の意味とはかけ離れた別人のようになっている言葉を発言者本人がみたら悲しい気持ちになると思う。
言葉は生き物のように変化する事実を知っておきながらも、誤った用法や意味の伝承を自分のできる範囲で遅らせる・食い止める努力をすれば、少しでも悲劇を減らせるのかもしれない。できるだけ正しく言葉を使う努力をすることで、他者とのコミュニケーションを正確かつ円滑にできるようにしたいし、自分自身との対話や創作にも役立てていきたい。