見出し画像

ある日突然、個人的空間が社会的空間に変わるストレス[義妹生活]

1話で、先に入浴した悠太があとから風呂に入る沙季のために気を遣って、お湯を張り替えるシーンがすごく印象的だった。悠太がとても気遣いのできる性格だとわかるこの描写。私は義理の家族がいないのでこのような生活の経験がないが、ある日突然義理の家族ができて一緒に過ごすというのはものすごくストレスのかかる生活なのではないだろうか。少なくとも私個人が悠太と沙季の立場だったらと想像したら、ものすごく苦痛と感じるだろうなと思った。今回はそれについて書いてみる。

©三河ごーすと・Hiten/KADOKAWA/義妹生活製作委員会

アニメでは描写されてないが、私だったら自分が風呂から上がるときに湯船に自分の髪の毛などが浮いていないか気にするだろう。風呂に限らずリビングや廊下に落ちる髪の毛や、自分の身体から剥がれ落ちた皮膚のゴミなどもそうだ。実際、悠太が湯を張り替えたのもそういったことを想像したからではないだろうか。きっとこれまでのプライベート空間であればそんなことは気にしなかったはずだ。悠太も沙季も二人とも両親は多忙で、しかも同性である点もポイントだと思う。両親が多忙なので、再婚前は一人で過ごすことが多かっただろう。そして同性であれば、母×息子と父×娘のような、異性の組み合わせと比べるとそういった気を遣うことも少ないのではと思う。

そんな悠太と沙季が、ある日突然同じ空間で生活するようになるのだから、同棲してからすぐの時期は我々視聴者からは見えないところですごくストレスがかかっていたのではないかと思う。ある日突然プライベートな領域に他人がやってくるわけだから、どのぐらいのストレスがかかるのかちょっと想像が難しい。家の外でも中でも常に気を張って生活しなければならず、自分が唯一リラックスできたであろう自宅も社会的な空間に変わってしまったのだから。もちろん「意外と平気だった」と思えるのかもしれないけれど。プライベート空間・一人の時間を大事にしたい人間からすれば、これは相当なストレスになるだろうなと感じる。

©三河ごーすと・Hiten/KADOKAWA/義妹生活製作委員会

悠太は父に「再婚することで今度こそ幸せになってほしい」と思っているし、それは沙季の母に対する想いと同じである。大切な親の幸せを心から願っているからこそ、血のつながらない他人との同棲生活も受け入れることができた。だがもし「義妹生活」のようなケースでなく、「単に親同士が再婚して、かつ両親たちがさほど幸せそうでもなく、これからも幸せな人生を期待できない」状況であればどうだろう、と作品外の想像をしてしまう。それは子どもたちにとっては単にストレスのかかる生活になっただけ、ではないだろうか。「義妹生活」では、悠太と沙季が新生活を受け入れられるだけの明確な理由を持っているからこそ成立した関係のようにも思う。

以上のように考えても、思春期の二人は物語開始直後からいきなり難しい問題に取り組んでいたように思う。親の幸せを心から願っているにせよ、新生活を二人自身が望んだわけではないのだ。言い方が悪いかもしれないが、再婚は「親の都合」であって、悠太と沙季はそれを「受け入れた」けれども自らその新生活を渇望したわけではない

悠太の父・太一も、沙季の母・亜季子も、悠太と沙季二人に比べたら新生活におけるストレスは大してないだろう。両親は自分たちが望んで再婚したからである。もちろん新しくできた義息と義娘に気を遣うストレスは発生するのだが(これは10話での、三者面談に対する亜季子の苦悩からもみて取れる)。それに比べ、16歳の高校生の二人にとっては、やはり難易度の高い課題だったように感じてならない。どちらかの年齢がある程度離れていれば、歳が上の人がリードしていけるような気もする。しかし悠太と沙季の場合同い年だし思春期真っ只中であり、この辺りの話題は非常にデリケートなものだ。人生経験豊富な方がリードすることはできないし、お互いに同じ歩幅で手探りで歩んでいくしかない。

悠太がお湯を張り替えたことに気づいた沙季の表情がなんともいえないもので印象的だった
/©三河ごーすと・Hiten/KADOKAWA/義妹生活製作委員会

突然できた赤の他人との家族関係をどのようにスタートするか。この難題をスムーズにクリアできたのは、悠太と沙季の人間力の高さに加えて、二人のこれまでの生活態度ゆえだろう。二人とも頭がよく、努力家で、そして他人を思い遣ることのできる優しい性格である。作中で頻出する「すり合わせ」ができたのも、二人の丁寧かつ慎重なスタンスが噛み合ったから実現できたコミュニケーションだと思う。ドライで・他人に期待しない、他人と距離をとっていたからこそ、感情的にならず客観的・俯瞰的に、そして冷静に物事を捉えることができたからというのもあるだろう。

自分の人生を気軽・気楽に生きたい人たちから「面倒くさい」と嫌われてしまうような、その人たちからみれば過多で過剰なコミュニーケーション頻度をとる悠太と沙季の関係は、非常に丁寧な「すり合わせ」をしていると私は思う。ノンバーバル・コミュニケーションのなかに「察してほしい」と自分の願望を織り込んでそれを受け取る相手側が「理解してくれるだろう」と勝手に期待するのではなく、きちんと自分の意見を言葉で相手に伝えて提案し、相手の返答にも耳を傾ける。手間暇がかかる作業だけれど、突然できた人間関係をうまく構築するために必要なものだと思う。敬語を使うかどうか1つとってもお互いにしっかり確認するシーンでもそれはみて取れる。

©三河ごーすと・Hiten/KADOKAWA/義妹生活製作委員会

このような生活態度は、何も努力してない状態から、いきなり「とても美人な異性と突然同棲することになったから、今日からは心を入れ替えて普段の生活でも常に周りに気を遣えるようになるぞ」と言って実現できるものではないと思う。悠太は、多分父親・太一との二人だけの生活でも太一に気を遣って過ごしていたのではないかと推測する。悠太が他人の細かな面に気づいて、それを労ることのできる能力は一朝一夕で身についたものではないはずだ。元々優しい性格だけども、子どもの頃に実母絡みで非常に辛い思いをしてしまったからこそ身についた(身についてしまった)処世術でもある。それは沙季も同じかもしれない。

以上、アニメ最序盤のシーンとそれに関連する事柄について色々考えてみた。これまで私がみてきた「ライトノベル原作の義妹とのラブコメもの」ではこういった現実的な問題についてはあまり丁寧に描写されなかったように思うし、恥ずかしながら私自身も特段それについて考えなかった。「義妹生活」はこのあたりの描写を細かく時間をかけて丁寧に描いているのが特徴の作品だったと思う。細かな描写が現実的で、見終えたあとにもし自分が同じ立場だったらどう思うだろうと想像が膨らんだ。今回述べたのはあくまで「義妹生活」の最序盤、悠太と沙季との共同生活のスタート部分についてのみであり、アニメ版の肝心の部分については別途記述したい。

いいなと思ったら応援しよう!