土佐のてっぺんで過ごした中学時代 その3
前回は、山村留学に行くきっかけになった、小学校時代のお話をした。
私は27歳で発達障害の一つの、注意欠陥多動性障害(以後ADHD)と診断を受けた。
今回は続きで、留学生活が始まり、2年間の留学生活の中で、自分の身の回りの事をやることの大変さ、両親と離れ、寮で歳が近い人たちと共同生活をする事に、すごく苦労した。
この失敗経験が、現在にすごく生きているので、留学時代と現在を行き来しながら話していく。
留学生活で流した涙の数は多い。
大半は両親が帰ってホームシックになった事によるものだ。
ホームシックの原因は、また身の回りの事をやらないといけない事、また環境に適応出来ていない事から来ていた。
特に夏休みや冬休みの帰省後、私はこの関門を突破しないといけなかった。
特に部屋の片付け、身の回りの整理整頓が本当に苦手だった。
一年目は一人部屋で、二年目は三人部屋で生活をしていた。
指導者の方や、留学生の後輩に、何度も一緒に片付けて貰っていた記憶があり、本当に感謝している。
原因を考えると、ADHDの特性ゆえに、優先順位をつける事が、苦手だったのだろうと感じる。
周りの留学生達は、部屋が散らかりそうになると
「部屋が散らかりかけているな!いの一番に片付けないと、この先苦労する事になるから、やっておこう。 」
という事になり、片付けが開始されるのだが、
私の場合は
「部屋が散らかりかけている。でも、どこから手をつけて良いやらわからない。また聞いてやったら良いや。 」
(またと言う時はなかなか来ない笑)
と言う事になり、部屋は雪だるま式に、どんどん散らかっていくといった感じだ。
留学一年目の夏休み前に、私は臨時で来られた女性の指導者のノリ子先生(仮名)に、部屋の片付けについて教わった。
「ひろき?物はちゃんと決まった場所に置いてあげよう?そしたら、片付けられた物も嬉しいと思わない? 」
当時は、なかなか頭にこの言葉が入ってこなかったが、これは今の私にとって、宝物の言葉。
社会に出て、ADHDの診断を受けて、片付けや無くしものが多くて悩んでいた時、この言葉を思い出して実践してみた。すると物をなくす事が減ったのだ。
これを教えて下さったノリ子先生には感謝して仕切れない🥲
そして、相変わらず周りとのトラブルも起こっていた。
(トラブルの原因は前の記事にも載せてあります)
中学生になると、「あたま」が元気に育っている人は、
「これをやると、相手は嫌な気持ちになるかも。あの子を喜ばせたいな😀どうやったら喜ばせられるだろう 」
「周りと、関係性を築くにはどうしたら良いんだろう 」
「学校や寮生活では周りと合わさないといけないし、周りの為に、態度に出して良いことと悪いことがあるよな」
と言う事が考えられる様になっていく。
ところが、私の場合は「あたま」と「こころ」の成長が圧倒的に遅れていて、相手の気持ちを考える事が難しく、どうしても自分本位になってしまっていた。
それに加えて、特性で、頭の中で浮かんできた事を我慢できずに、実行してしまうところがあった。
ある日の授業中、私はシャーペンの中がどうなっているのかすごく気になってしまい、分解を始めてしまったのだ。
周囲からすると
「何故ひろきは、シャーペンを分解して遊んでいるんだ。 」
となり、担任の先生からは、私からシャーペンを取り上げ、鉛筆で授業を受けるように命じられた。
当時の私は、周りはシャーペンを使えているのに、私だけ使えない事に対して、納得がいかずに、シャーペンを持参して、取り上げられた事は記憶に残っている。(え?そこ?笑)
この類のトラブルが頻繁に起こっていた。
(物だけでなく人を困らせることも度々あったから厄介である)
そんな私はいつも周りから
「ひろき!人と同じ事をせないかんろ! 」
担任の先生からは
「何故シャーペンが使えなくなったかわかるか?お前の信用がないと言うこと!周りに合わせていかないと、誰からも信頼無くすぞ?」
と指摘をされた。
恐らく
「自分本位で、行動するのではなく、周りにちゃんと合わせなさい 」
と言う意味で仰っていたのだと思う。
私も、周りが困っているなとは、感じてはいた。
ただ、何故周りが困っているかがわからず、いつも気づいたら怒られている。
そんな感じだった。
恐らく、特性を持っている人でも同じ様な事で、困ってきた方は少なからずいらっしゃるのかもしれない。
しかし、周りは私に呆れながらも、アドバイスをくれたり助けてくれたりしてくれた。
留学で、どんな助けやアドバイスをもらって今に繋がっていったのかは次の投稿で。
つづく。