早いもので、40歳もあと1ヶ月で終わろうとしている。 あんなに 「40歳にはなりたくない・・・。」 と思っていた自分が懐かしく思う。 前の記事でも言ったが、私は30代や20代の頃の自分よりも今の方がダントツに好きだ。それだけは揺らがない。 ただ、日々の生活の中で 「やらかす」 ことはたくさんある。 この日記は、私のやらかし具合を見て 「こんなやつでも生きていけるんだなw僕(私)も前向いていこう^^」 と思ってくださることを目的として書いていこうと思う。 そして、私自
『突然ですが、皆さんは、今の自分と過去の自分はどっちが好きですか?』 これは、私が最近行きつけの銭湯に向かって歩いていた時に、うざいYouTubeの広告から流れてきた一言w 私は2〜3秒足を止めてこの質問に心の中で 「うん。間違いなくダントツで今の方が好きだな😃」 と答えた。 私は、20代や30代前半まで、自分が嫌いだった。 どちらかというと、人の顔色を伺ってばかりの奴だった。 「おいおい、そんな人間って簡単に変われんじゃろ?根拠のない自信は中途半端に終わるで?」
昨日、久しぶりに発達障害の自助会に参加をした。 昨日は仕事のお話をする機会があったので、今日はそれについてお話しする。 今、例えば 「私、オープンかクローズのどっちで行こうか迷ってます💦」 と言う人の道標になれれば嬉しく思います さて、話を戻す。 これまで ・介護職 (1年3ヶ月:この途中にADHDと診断) ・病院での事務職 (約7年:ADHDをオープンにして就職@以下オープン) ・ものづくりの職業訓練校に入校 (1年;CADや金属加工の勉強をしてものづくり企業への就職
昨日、3月16日、私はヴィッセル神戸とサンフレッチェ広島の試合を観戦するため、神戸市の御崎公園にあるノエビアスタジアムに行った。 サンフレッチェ広島は生まれ故郷のチームであり、小さい時から応援してきたチームでとても愛着がある。 今日の試合は絶対勝ちたいと思って、広島の応援モードに入ろうとしていた時とても素敵な歌に出会ったので、今回はそのお話をする。 それは「神戸讃歌」と言う歌だ。 これは1995年に起こった、阪神淡路大震災からの復興を願って神戸の方々が、作った歌だと隣の
2023年12月、私は40歳の誕生日を迎えた。 そして今シーズンの元日、私は自分と約束をした。 「絶対に何があっても音楽で手は抜かない」 昨年の今頃、私は39歳の誕生日を迎えて、40歳にリーチをかけて、とてつもない危機感を感じていた。 上半期、私は漠然と、今後どうしたらいいか分からずに悩んでいた。 本当に小さな一歩を踏み出すことでさえも、ためらっていた。 そんな中で、ライブバーを経営している音楽仲間が、 「うちのライブに出てみない?」 と言うお話をいただいて、私は出
お久しぶりです! 私は先日、お掃除ロボットのルンバを購入した。 ルンバくんを購入して、私は日常生活での、心身の負担が減ったので、そのお話をしたいと思う。 この投稿が、私と同じ悩みを持っている人の、問題解決のきっかけになればとても嬉しく思います😀 ルンバくん購入のきっかけは adhdの特性上、幼少時代から掃除がどうしても苦手だったからである。 埃が溜まっていても、 「掃除をしなきゃ。。。。」 と思うと精神的にしんどくなり、後回しにしてしまい、雪だるま式に埃が溜まってし
先日「みんnanoライブ 」というイベントに出演させて頂いた。 場所は京都の円山公園の音楽堂で開催された。 このライブのコンセプトは 「ダサくても、どこかで聞いたことがあっても良いから、「勇気を出して」オリジナルを一曲披露してみよう 」 である。 今回は、このライブでドラマが起こったので、それについての話をしたい。 私の友達で、佐原総将くんと言う靴を磨きながら、世界一周している男性がいる。 今回のライブで、総将くんのために作った「夢」と言う曲を歌わせて頂いた。 彼の
私には、5年に一度とても楽しみにしているイベントがある。 それは中学校の同窓会だ。 30歳、35歳、40歳と5年おきに開催されていて、今回もお誘いの連絡があった。 私は二つ返事で 「いく!ありがとう 」 と答えた。 特に幹事をしている友達が、みんなとの繋がりを大切にする人で、そのお陰で毎回みんなと再会することが出来ている。 このメンバーとは、中学3年の時からの付き合いだ。 私は、中学1、2年は高知県へ留学していた。 (山村留学の話は、過去のブログに載せていま
先週の日曜日から、今日まで勉強の連続だった。 前回の投稿で 「先週の日曜日、私は恋活イベントで玉砕した」 話をした。 私は、何がダメだったのかを考えるために、身近な方々に相談させて頂いて回った。本当に感謝しかない。 相談させて頂いた方々からの回答は 「あなたの事を気に入ってくれる人が現れるまで、自分を磨きなさい! 」 だった。 ここで私という人間がどういう奴なのかを掘り下げていく。 (ネガティブな内容が多々出てきますので、耐えられない方は退出OKです) 私は、発
今日は番外編で、この1か月間に起こった私の話をする。 最近個人的に、色々あった。 それをみかねた音楽仲間から 「こう言う恋活のイベントがあるから、行ってみなよ? 」 と言う話を頂き行ってみる事にした。 恋活イベントには2回ほど参加した。 1回目は5対5 2回目は7対7 女性の方がテーブルにスタンバイして男性がテーブルに行って3分話して、次のテーブルへ移動すると言う感じだ。 年齢は男女とも20代から40代くらいだ。 結果は? はいw惨敗でした😂 しかし見えてきたも
前回は、山村留学に行くきっかけになった、小学校時代のお話をした。 私は27歳で発達障害の一つの、注意欠陥多動性障害(以後ADHD)と診断を受けた。 今回は続きで、留学生活が始まり、2年間の留学生活の中で、自分の身の回りの事をやることの大変さ、両親と離れ、寮で歳が近い人たちと共同生活をする事に、すごく苦労した。 この失敗経験が、現在にすごく生きているので、留学時代と現在を行き来しながら話していく。 留学生活で流した涙の数は多い。 大半は両親が帰ってホームシックになった
今回は何故、地元の中学校に進学せず山村留学に行く事になったのかを話す。 私は、27歳で発達障害の1つの注意欠陥多動性障害@以後ADHDと診断をされた。 (会社や学校で、どんな事で困っていたかは、過去の記事に載せている。) 今回は、発達障害があり現在、必死に頑張ってる本人さんや、子育てに奮闘する親御さんに、 「発達障害の特性ゆえに、周りと上手くいかなくて困ってても、こう言う進路もあるよ😊」 って言うメッセージを込めて記事を書く。 小学校時代、体も弱く周りから、怒られたり虐
5月の連休を利用して、広島の実家へと帰省した。 朝起きると、家族がNHKの連続テレビ小説の「らんまん」を見ていた。 ドラマの舞台は高知県。 主人公やその家族達は、「土佐弁」で会話をしているのを聞いて、懐かしく思った。 私は中学時代の2年間、高知県の大川村という場所で、山村留学生として、生活していた事がある。現地では、土佐弁を日常生活で自然に学んで、私も土佐弁で話した。 そこで、何回かに分けて、私の高知での中学時代を振り返りたいと思う。 私は小学校を卒業後、地元の中学校
前回は、私の自己紹介と決断についてお話しした。 詳細はこちら https://note.com/nice_holly595/n/nfc99d8a06eda 今回は、2010年に私がこれ以上ないくらい、行き詰まっていた時の話をする。 私は2010年の6月に、広島を旅立って関西に出て来た。 しかしそこから職を転々と変えて来た。 原因は、発達障害の一種の注意欠陥多動性障害(以下ADHD)による症状により職場で失敗が目立ったからである。 具体的には 1 一回の説明で、
約10年前、私は時間があれば、神戸元町駅近くにある、大丸デパートの屋上に行って、涙にくれていた。 今回、その頃の私と、同じ状況に置かれている方を応援したいという思いで、ブログを綴る事を決断した。 そして、毎週2回神戸の駅ピアノで直感で気になった流行りの曲や、お気に入りのオリジナル曲を演奏して回っている。今は演奏活動をする事に凄くハマってきてしまっている。 ここで私の自己紹介をしておく。 広島県三原市出身、来年度40歳と言う年齢にマジック1を点灯させている、兵庫県で暮らして