鏡よ鏡
「ちゃーちゃん、これは“りょうてにはな”だね」
両隣から集まる嬉しそうな視線。
「そうだね〜、ちゃーちゃんは幸せものだね!」
左右ともに手を握り返しながら言う。
きゃーっと歓声が上がった。
お出かけのたびに娘たちと手をつなぐ。
定位置はなく、母が真ん中とも限らない。
あっというまに大きくなってしまう彼女たち。
いつまで素直に手を繋いでくれるのだろう。
今この瞬間を楽しみたくて、いつからか繋いだ形にコメントして遊ぶようになった。
「お、これは背の順だね〜」
「今日は捕えられた宇宙人だね」
子どもたちもケラケラ笑って楽しんでいたのだが、中でも気に入ったのが冒頭の「両手に花」だった。
母が真ん中、姉妹が左右に。
最初こそ「どういういみなの?」とキョトンとしていたが、自分たちが可憐な色とりどりの花に例えられていると知るや否や、母の二言めのリアクションまで含めて大層お気に召したらしく、彼女たちも進んで多用するようになった。
花たちが笑う。母も笑う。
いい相乗効果だなぁと感じる瞬間だ。
人は、鏡。言霊も鏡。
返ってくるのは、いいことばかりではない。
姉妹ふたりだけの言い争いに耳をすませてみる。
文字に起こすのもはばかるほどの語気。
理詰めと圧。もっとフラットでいたいのに。
そこにいるのは、紛れもなく小さな私だ。
醜く崩れた鏡のかけらが乱反射して、自分の奥底の闇をあらわにする。
普段こんな気持ちで私の苦言を彼女たちも聞いているのだろうか。自戒の念がよぎる。
とはいえなるべく当事者同士で解決してもらいたいので、ぐっと堪えてスタンバイ。
ーーあ、一線超えたな。さすがに仲裁に向かう。
姉だから?妹だから?そんなことは関係ない。
お互いの言い分からまず聞こうか。
成人したから急に大人になるわけでも、ある日突然指導者側に立てるわけでもない。
すべては子どもの頃からの地続きの自分で、泥くさく重ねてきた日々の厚みがすべてなのだ。
親になったからって勘違いしてはいけない。
むしろ、子のほうが小さなものも取り逃さず見えていることが多いくらいなのだから。
ふたりが仲直りしたあとで、母も話を切り出す。
あの時、こんな気持ちと理由があって叱ったけれど、伝え方がよくなかった。今更だけどごめんね。
情けない謝罪と訂正。
大人がいつも正しいわけじゃない。
「うん、いいよー。」
「もう!それならその時そういえばよかったじゃん。ふふふ。」
それぞれの鏡の中に、自分をみる。
自分で思っている以上に滑稽だ。
そこに映るかっこ悪くもがく姿に目をつぶるか、見つめ直すかは自分が決めていい。
眠る前のこどもたちに声をかける。
「おやすみ。大好きだよ、宝物だよ。」
うつらうつらしながら、彼女たちも返してくれる。
「ちゃーちゃんはたからものだよ」