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愛着と序列
次女には、ずっと肌身離さず持ち続けているぬいぐるみがある。
どこか出先でねだって買ってもらったわけでも、大好きなキャラクターというわけでもない。それは、実家に昔からある犬のぬいぐるみだった。
大人の手のひらに収まるくらいのサイズ感で、どこへ行くにも連れ歩き、そのぬいぐるみの片手をちねりながら眠りに落ちていく。
つまるところ、ライナスの毛布のような存在だ。
名前は、ろくべえという。
灰谷健次郎・作「ろくべえまってろよ」を読みたての当時2歳の長女が名づけた。
令和になかなかお目にかからない名前。いつか次女自身が改名するかと思いきや、未だにろくべえのままだ。
ちなみに余談になるが、長新太氏の絵のろくべえにはまったく似ていない。
次女の成長のそばにはいつもろくべえがいた。
楽しい時も、叱られた時も、泣いている時も、ずっと彼女を支え続け、愛を注がれ続けた。
お気に入りのぬいぐるみは数多あれど、ろくべえだけは別格で、「かぞくだよ」と言われるほどに抜きん出た存在だった。
しかし、最近になって、彼女のテリトリーにとんでもない新星が現れた。
国民的小麦とあんこのヒーロー。
絶対的エースが、祖母から贈られたのだ。
次女は歓喜した。
どういうわけか、我が家においてこれまであの世界の住人のぬいぐるみは、エースを生み出すパン職人しかいなかった。
すぐに先の相棒と合わせた二体を、意気揚々と連れて歩くようになった。
しかし、好奇心旺盛な彼女は、他に気が取られるとすぐにポンとぬいぐるみをどこかへ置いてしまい、いない!いない!と騒いでは一緒に探すはめになるのが常だった。
車で出かける際、家を出る前に約束をする。
「車にはどちらも乗せていってもいいんだけど、降りる時に連れていくのは、どちらかにしようね」
しおらしくうなずく彼女。
両手にぬいぐるみを抱えていては母と手が繋げないことはわかっていた。しばらく悩んだあとで、ろくべえを連れ出す。
他のぬいぐるみ相手では即決なのに、すこし葛藤する姿にふと話を聞いてみたくなった。
「悩むくらいどちらも好きなんだね。
それでも、やっぱりろくべえなんだ?」
「うん。むかしからいるこだからね」
さらりと真剣なトーンで、むかしからいるこ。
予想してなかった返答だった。
もっとこう、やっぱりろくべえがいいの〜だとか、そんな気分だから!だとか、いつもの彼女らしく軽やかにケラケラ笑いながら何か返ってくるような気がしていた。
この子とはずっといっしょにいるから、だとか、やっぱりおちつくから、だとかではなく、「むかしからいるこだから」。目から鱗だった。
いつのまに、そんな価値観を身につけていたんだろう。
好きなものをひとつ選ぶ時、3歳の子どもからまさか年功序列のような、重鎮を尊ぶような、そんな発言が飛び出してくるとは。
これだから、彼女たちと話すのはやめられない。おもしろい。
日頃から小さな思想のヒントを聞き逃さぬよう、しっかり耳を傾けていきたい。