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ハンバードな帰り道

父が最期となる入院期間に入った時、片道1時間半ほど車を走らせ、私は足繁く病室へと通った。
後部座席には、1歳に満たない幼い相棒。
道中赤子はあっという間に寝てしまうのだが、車が停まると泣き出してしまう。
声をかけてなだめながらも、同時に遠くの父を思って「娘」としてぐらつく心。
「母」である自覚が私を支えていた。

もうひとつ、私の支えになってくれていたのが、道中に聴き続けたハンバードハンバードの音楽だった。


行きの道には、家族にまつわる明るい曲をかけて、これまで実家で過ごしてきた日々や出来事を思い返した。
こんなことあったな、あーいっぱいけんかもしたなぁ。
そばにいる母も疲弊している。笑える懐かしい家族の話をしたかった。

♪がんばれお兄ちゃん

♪あたたかな手

♪おうちに帰りたい


帰りの道には、今の父を思い、自分の無力さや行き場のない思いを抉ってくるような曲をかけて、真っ暗な帰り道に自宅に戻るまで思いきり泣きながら運転した。
心のデトックスをする時間が必要だった。

♪ひかり

♪おなじ話

♪虎


娘としての自分。はじまりの家族。
母としての自分。ひろがった家族。
どちらも地続きな自分であり、根っこは同じ。

大人になったから、母になったから、突然なにかが身につくことはない。
ただ自分で見聞きして、触れて、考えて、感じたものだけが、その先の自分を作っていく。
情けなさもさみしさも蓋をせずに、そのまま溢れさせていいのだ。知った痛みは、痛いままでいい。
そう帰り道に肯定することで、翌日も両親の前では笑うことができた。

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