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101年目の栄光
私が福祉の仕事をはじめたのは今から15年程前、ちょうど制度改正で地域包括支援センターが創設された頃です。
芸人になる放送作家になると努力もそこそこに夢ばかり膨らませていた暮らしをリセットして北海道へ移住。ヘルパーの資格をとり笑いのエッセンスがいかせるからとデイサービスで働いていました。
定員40名のデイサービスで麻雀が売りの1つで地域でも人気の施設でした。全自動の麻雀卓が2台に手積みの卓も出して、毎月開催される麻雀大会には5-6卓が並び、曜日変更や追加利用の方々で大盛況です。
上位3名の入賞者はデイで作る新聞に掲載され、家族やケアマネジャー、近隣地域にも配られるので、「新聞見たよ、おめでとう!なまら強いねー!勝負師っしょ!」と皆から労いの言葉も貰えるし、ちょっと誇らしい気持ちになれるんです。
そんな中で毎回ビリ争いをしてる100歳のおじいさんがいました。参加者の中では最高齢で、周囲からは参加するだけでもスゴイよ、と励ましの声を貰っていたものの、本人は納得していません。
「1度でいいから入賞して新聞に出たい」が口癖です。家族からも大会の朝は檄をとばされながら送りだされ、ケアマネからは長期目標プランに「上位入賞して新聞に掲載される」と書かれ、毎回並々ならぬモチベーションで望みますが、結果が奮いません。
一所懸命ですが、動作はゆっくりでチーポンロンも間に合わない位です。みんなに「遅いっ!」とダメ出しされてもニコニコとマイペースで楽しむ姿に、職員一堂、麻雀をしない他の利用者たちも、みんなが応援し見守っていました。
そんな中、とうとう101歳の誕生月にチャンスが回ってきました。ツキまくり親満を繰り返し、ベスト5を維持しながら最後の半荘です。
結果は…4位…でしたが、3位とは僅か400点差です。この人の生涯を通じて2度は無さそうな千載一遇のチャンス。
当時センター長をしていた私は自らの責任をもって神の手で記録を改…3位入賞!…として新聞掲載を決めました。内地に住む家族やケアマネからもお礼の電話が鳴り、新聞を見た町会長も祝福に来所され、お祭りモード一色です。
2ヶ月ほどたった大雪の朝、本人は心不全という名の老衰で旅立ちました。私にとって沢山の学びがあり、この世界でプロフェッショナルになろう、と思えた原点です。